山神あやかし保育園〜園長先生は、イケメンの天狗です〜

 兄妹の間にあったわだかまりはもはやない。のぞみと縁を切ったことを颯太は泣いて謝ってくれたし、それがいかに断腸の思いでしたことなのかはすでに志津から聞いていたことだから、さほど時間は掛からなかった。
 のぞみにとってはそれよりも、家族が増えたことのほうが、嬉しかった。
 親のいないのぞみの嫁入りを、こうして兄夫婦が送り出してくれるのだから。
「なっさけないなぁ、父ちゃんは!」
 そう言って、颯太の後ろから太一がひょこりと顔を出した。
「まぁ、太一!」
 志津が声をあげて、眉を寄せた。
「家で紅さまと待っていなさいと言ったのに。あなたがここをちょろちょろしたら、白無垢が汚れてしまいます」
 家といっても、以前彼らが三人で住んでいた隣町の家ではない。のぞみと同じアパート内の二階の一室だった。
 太一はヌエに拐われたあと、しばらく夜泣きが続いた。それほど幼い彼にとっては恐ろしい体験だったのだ。
 ヌエの脅威は去ったのだと、いくら言い聞かせても理屈ではないのだから仕方がない。
 見かねたのぞみが紅に相談をして結界の中のアパートへ引っ越してはどうかと提案したのだ。
 結界の中は安全だということは、太一も本能でわかるようで、まもなく夜泣きは治まった。
 一方で、かつての紅の妻である志津がアパートへ戻ることに良からぬことを言うものがいるのではないかと、のぞみは密かに心配したが、そこは過去を気にしないあやかしのこと、誰も何も言わなかった。
 むしろお嫁さまでなくても入れるならと、あやかし園の子の家族を中心に入居希望者が殺到しているという。
 そのことに呆れた紅は、「ファミリー物件じゃないんだけど…」と言って頭を掻いた。
 なにはともあれ山神神社には平穏が戻った。
 ヌエの脅威が去った今もあやかし達は子を連れてくる。なによりも子ども達が行きたがって仕方がないのだと、言いながら。
「そろそろ準備できたかい?」
 そう言って紅が扉からひょいと顔を出した。
 そして、白無垢姿ののぞみに目を留めて、「やぁ!可愛いなぁ!」と目を輝かせた。
「さすが、私ののぞみだ。あぁ、床入りが待ちきれないよ」
 そう言って今にも抱きつこうと手を広げる。それに志津が目を吊り上げた。
「紅さま、そのようなことをおっしゃるのはおやめ下さいまし。のぞみさまは嫁入り前の娘です」
「嫁入り前って…これから嫁入りするのだから、直前じゃないか」
「それでもです!」
 紅はため息をついて、やれやれというように首を振る。
 今や志津は義姉として、のぞみ最強の味方だ。今日のために一生懸命に人間の結婚のことを調べて、白無垢を用意してくれたのも彼女だった。
「…本当にうるさいやつだ」
 紅が口を尖らせる。
 のぞみは堪えきれずに吹き出して、しばらく笑いが止まらない。これからしばらくは、ここで二世帯同居をするのだから、賑やかになりそうだ。
 紅が颯太に近づいて囁いた。
「颯太、お前が志津を元気にしてくれたことには私は感謝しているよ。だがちょっと元気にしすぎじゃないかい?…おかげで私は結婚後、小姑に悩まされそうだ」
 赤、黄、だいだい色の葉の色に染まる山神神社の参道に、この辺りの全てのあやかしが詰めかけて、手を繋いで本殿に立つ紅とのぞみを祝福している。
 のぞみはそれを潤んだ瞳で見つめていた。
 夫婦になる時に特別なことはしないというあやかしたちは皆、初めて見る婚礼の儀式に興味津々のようだった。そしてそれぞれが婚礼にふさわしいと考える衣装を思い思いに身につけている。
 河童一族は真新しいスクール水着に身を包み、赤舐め一族はノリの効いた作業着だ。
 こづえとかの子はお揃いのウエディングドレスを着て、サケ子はなぜかチャイナドレスだった。
 唯一まともな格好をしている鬼一家の中に、今日謹慎を解かれたばかりの一平の姿もあった。茶色かった髪を黒く戻して短く切り、リクルートスーツ姿の彼は以前より少し大人びて見える。
 さながら和製ハロウィンパーティーのようなこの光景に、のぞみの胸が熱くなった。
 本当のところ先ほど行われた婚礼自体も人間のものとはかけ離れていたような気がしたが、夫婦になりましたということを誰かに報告するのが婚礼だとすれば、これでいいのだとのぞみは思う。
 のぞみが今感謝の気持ちを伝えたい人たちは皆ここにいるのだから。
 こづえとサケ子が抱き合って泣いているのに目を留めて、のぞみの目からついに涙が溢れ出した。
 それを紅が人差し指ですくって、囁いた。
「ねぇのぞみ、すごく不思議な光景だね。あやかし達が涙を流して喜ぶなんて。私の妻はあやかし達を虜(とりこ)にする怪しい術が使えるようだ」
 のぞみは頬を染めてくすくすと笑った。
「それは紅さまではないですか?私はただアパートを借りに来ただけなのに、いつのまにか"お嫁さま"です」
 のぞみの言葉に、紅が肩をすくめた。
「必死だったんだよ。なんとかのぞみをここに留めておきたくて。今から思い返しても、なぜそう思ったのかわからないけど、とにかくどうしてもそうしたかったんだ。本当に不思議だよ、のぞみは。私はもうのぞみのいない世界では生きてゆけない」
 繋いだ手にぎゅっと力が込められる。その温もりに確かなものを感じながらも、のぞみは少しだけいじわるを言ってみたくなる。
「でも紅さまはいつも、あやかしは情が薄いとか気まぐれだとか言うじゃないですか」
 そしてわざと疑うような視線を送る。紅が神妙に頷いた。
「確かにそうだね。だからこそあやかしの間では"約束"は絶対なんだよ。でも簡単には約束をしない」
 あやかしは小さな頃からやすやすとは約束しないようによく言い聞かせられているという。
「よし!」
 突然紅が声をあげる。そしてびくりと肩を震わせるのぞみの耳に息がかかるくらい近くまで唇を寄せて囁いた。
「のぞみが、もう二度とそのような不安を抱かないようにしよう」
 そしてなんのことか分からずに目を白黒させているのぞみをよそに、集まったあやかし達に向かって口を開いた。
「皆んな、今日は私とのぞみの婚礼のために集まってくれて、ありがとう。ご苦労だったね」
 あやかし達が静かになって、長の言葉に耳を傾けた。
「人間は夫婦になるときには、生涯離れないと約束をするそうだ。私たちあやかしの世界では信じられないことだけど」
 何人ものあやかしがうんうんと頷いている。
 紅はすべてのあやかし達をぐるり見回す。そして長の言葉をじっと待つ彼らにまるで何かを確認するように頷いてから、ゆっくりと口を開いた。
「でも私の妻は人間だ。だから、私は今ここで皆と"約束"をしようと思う。私は生涯のぞみだけを妻にして、決して離れはしないと」
 おおお~!というあやかし達のどよめきが山に響いた。意外すぎる長の言葉に皆驚き度肝を抜かれている。
 互いに顔を見合わせて、紅さまの決意はこれほどまでに固いのだと口々に言い合った。
 こづえだけがやっぱりというようにため息をついて、哀れむような眼差しをのぞみに向けた。
 紅が得意げに宣言する。
「そして婚礼では約束の証しとして、皆の前で口づけをするそうだ。それを今から見届けてくれるだろうか」
 おお~!!ともう一段高い歓声があがる。のぞみは目を剥いて紅の袖を引いた。
「こ、紅さま、それは西洋の慣しです。神社での式ではしません!」
 紅が、「え?そうなの?」と眉を上げた。
「そ、そうですよ!は、早く訂正して下さい!!」
 だがそんなのぞみをよそに紅はニヤリと笑ってからぺろりと自身の唇を舐めた。
「でももう言っちゃったし」
「こ、紅さま!」
 のぞみは慌てて紅から離れようとするが一足早く紅の手が腰に絡み付いて叶わなかった。
「のぞみは"約束"して欲しいのだろう?かわいいのぞみを、不安させるわけにはいかないからね」
 白々しくそんなことを言いながら紅がぐいっと距離を詰める。
 あやかし達が、本殿のすぐそばまで詰めかけて、目を輝かせて二人を見つめる。子ども達も皆親によじ登ってわくわくしながら待っている。
「だ、ダメです、紅さま!子ども達が見て…んっ…!」
 のぞみの言葉が紅の口に消えてゆき、同時にどどどと山が揺れるほどの歓声が、山神神社を包みこんだ。
 それは山のふもとまでも届くほどで、街の人は皆、今日は山神神社で祭りでもあっただろうかと首を傾げたという。
 単線の電車が走る海辺の街。それを見下ろす山の頂に、街唯一の夜間保育園がある。
 毎日日が暮れる頃、どこからともなく沢山の親子が現れて、子ども達を預けてゆく。
 子ども達は皆あやかし園で元気に遊び、親の帰りを待つのであった。

作品を評価しよう!

ひとこと感想を投票しよう!

あなたはこの作品を・・・

と評価しました。
すべての感想数:201

この作品の感想を3つまで選択できます。

この作家の他の作品

藤原先輩は私だけを泣(ニャ)かせたい!

総文字数/19,002

青春・恋愛1ページ

本棚に入れる
表紙を見る
あやかし保育園のクリスマス

総文字数/3,037

あやかし・和風ファンタジー1ページ

本棚に入れる
表紙を見る

この作品を見ている人にオススメ

読み込み中…

この作品をシェア