文化祭当日、二年の谷口凜は鏡の前でしきりに前髪を整えていた。

今日は大事な彼と一緒に文化祭を回る予定なのだ。
待ち合わせの時間が近づくにつれて、そわそわと、繰り返し鏡を見てしまう。

予定時刻ぴったりに彼は現れた。彼を見付けて、手を振ると彼も気づいたようだ。
彼がこちらに来るとき、私は——今日が勝負の日だと活を入れた。

彼を初めてみたのは、通学中の電車の中だった。

通学中の学生はほとんどが友達と固まって電車に乗っていた。私もその例に外れることなく決まったメンバーと固まっていた。

 その中にいつも一人電車に揺られる人がいたのだ。
 彼は私の一つ後の駅で乗ってくる。最初のうちは気にもならなかったが、いつも見かける時は一人だった。

 気になり始めたのは、友達が寝坊した日。

 ——寝坊したぁ、とのメッセージを駅のホームで受け取った私は、今日は電車一人かと気を落とした。電車に揺られる時間は暇で仕方なかった。

 イヤホンを忘れたことに気が付いたのは電車に乗った後で、そこから先は意味もなく社内広告を眺めた。そんな中、次の駅で彼が電車に乗り込んできた。

 私は友達と話しているのが何よりの幸せなので、彼のように一人でいることが信じられなかった。もちろん、学校に行けば彼にも友達がいるのだろうけど。

 彼は扉の横に移動すると、特に何もすることはなく音楽に意識を向けているようだった。少し、うつむいた彼の顔が、長めに伸ばされた髪の隙間からちらりと見える。
 その横顔が主たる原因だったのだろう、それからは電車に乗ると彼を気にするようになった。



 それから少しして、電車の中で彼と同じ服装の男が私の近くに立っていた。ちょうどいいと思ったので、いつも一人の彼のことを聞いてみた。

「ねぇねぇ、あの人知ってる?」

「ああ、村上連だよ」

「いつも、あんな感じなの?」

「同じクラスではないから分からないけど、多分そうじゃないかな」

「ありがとっ」

 私は聞きたいことは聞けたので、友達の方に向きなおろうとした。

「えっと、君はどこ高校の?」

「あ、ごめん、私ここで降りるから!」

 自分に問いかけられただろう言葉を返すことはなく、電車が高校近くの駅に停まると私は一目散に電車から降りた。

「なにー?凜、次はあの男狙ってるの?」

「あの男って・電車の中で話してたじゃん。面識なさそうなのにフットワーク軽いねー」

 後から電車を降りてきた友達が私が他校の男子と話してきたことをちゃかしてくる。
 たしかに私は誰にでも臆せず話せるが、さっき話してた人の顔は覚えていない。私にとってそれくらいの人だ。

「もう、顔も覚えてないよ」

「じゃあ、なんでさっきなんで話していたの?」

「肩ぶつかったから謝っただけだよ」

「ほんとにそれだけ?」

「ほんとだって、早く学校行こ」

 私は恋を隠すことはなく、今まで友達には話してきた。付き合い始めても彼の愚痴だって包み隠さず。だから、友達は私よりも私の恋愛事情に詳しい。

 今回も一人でいる彼に好意でも持ったなら、きっと私は彼のことを話すだろう。

 大きく事態が動いたのはすぐの事だった。

 帰りの時、いつも彼は一つ前の駅で降りているのに今日はそこで降りなかった。何か用事でもあるのかと考えていると、自分の降りる駅に電車が着いた。
 私が電車から降りてホームに出ると、彼も同じ駅に降りたのだ。

 彼は電車から降りるなり、足早に改札に向かってあるく。友達には急ぎの用事があると伝えて、彼の後を追った。
 彼を追っても何も起きないが、電車以外で彼を見れるチャンスを待てずにいられなかった。

 彼は駅から出ると、駅前のカフェに入っていた。
 彼が誰かと待ち合わせしているかと思ったが、店内に彼を待っていたような人は見つからない。
 彼が今の時間だけでも一人だと分かった私の行動は一つだった。

「ねえ、ここってカフェオレ美味しいよね」

 カフェに入った彼を追って、私も入り彼の前に座る。
 我ながら強引な放火と思ったが、——こんなかわいい子と相席できるなって彼には得しかないだろう。

 私が目の前に座ったことに気付いた彼は、特に驚いた表情を見せることなく。席を立ちあがった。

「席どきます」

 荷物を持ち、彼は立ち上がる。

「いや!君に用があって座ったの!」

「は?」

「いや、は?——じゃなくて、君今一人でしょ。待ってる人来るまででいいから、一緒にお茶しない?」

 私の言ってることがうまく伝わってないのか、彼は立ったまま首をかしげる。
 注文するために定員を呼び、せかせるように彼を座らせた。

 お互い、注文を済ませる。

 注文したものが届けられ、お互い口をつけるも彼から言葉は発せられなかった。
 今のところ、彼の待ち人が来る様子はなかった。

「蓮くんだよね」

「そうだけど」

「誰か待ってるの?」

「誰も待ってませんよ」

 素っ気なく彼は答える。

「じゃあ、なんでカフェに?」

「塾までの時間つぶしです」

「そうなんだ」

 彼のことを一般では口数が少ない人というのだろう。私が話しかけても、返ってくるのは簡潔な言葉だけだった。
 大抵の人ならすぐに話を盛り上げれる自信があったが、彼は大抵に深まれない人だった。

「ごめんね、急に邪魔しちゃって」

 話が盛り上がることはなさそうなので、私はカフェを出ることにした。
 財布から自分の飲み物代を取り出すと机の上に置いた。

「これ私の分だから」

 彼は何も言わなかったが、目線は動いたので聞こえたのだろう。伝わったことを確認したら私は席から立ち上がった。

 私が立ち上がっても、彼は何もなかったかのようにスマホを取り出していじり始める。

 行方の下で隠すようにスマホを触るせいで、彼の顔は前かがみになる。前に垂れた髪の隙間からちらつく顔のせいで——私は彼の塾の時間までここにいることにした。

 それから、彼がカフェを出るまで特に何もなかった。お互いスマホを触り、時間は過ぎていった。
 時間になると彼はレシートを手に取り、「時間なんで」と言い残すとお店を出ていった。

 私も彼が出て行ったあと、残りを飲み切りお店を後にした。彼がお店から出ていった後に気付いたことなのだが、どうやら私は彼にカフェ代をおごられたらしい。