「まさか、僕が来るまでここで待ち伏せていたとかありませんよね?」

 「そ、そんなことなことないって」

「ほんとですか?」

「うん」

私が弁解していくたびに彼の眉間にしわが寄っていく。いつもの私ならば嫌われまうからと、ここで終わりにしていただろうが、今日の私は彼の名前を知ると言うノルマがあるのだ。これだけは使いたくなかったが、切り札を使うことにした。

「さあ、君ここを通り抜けたいなら名前をいいな!」

 彼と塾の間に私は素早く入り込んだ。これで、塾に行くためには私に名前を教えなければならない。

「はあ、分かりましたよ、僕は佐倉 陸です。これで通っていいですか?」

 彼は、大きくため息をついた後にあっさりと名前を教えてくれた。こんなやつとは付き合ってられないっていう雰囲気が彼から流れ出している。名前を教えてくれたので素直に道を開ける。彼は道が開くなりとそくさに塾の中に入っていった。

 彼の名前を知れたことは大きな情報だった。佐倉陸っていうのか、これからはお姉ちゃんアピールもかねて、陸君って呼ぶことにしよう。彼のことに気をとられていたら、私の授業の始まる時間が迫っていていた。私も急いで塾内に入っていく。

 陸君は中学生なので、私の受けている部屋とは違うことが判明した。なので、塾にいるうち、授業中と出待ち待機の自習室ではそれなりに真面目に勉強み取り組んだ。

 私は授業が終わるなり急いで部屋を出て、自習室に向かった。授業終わってすぐに急いできたせいか自習室に陸君らしき姿は見当たらなかった。もう帰ったかなと考えたが、彼は今日も学習室に来ることにかけた。私の賭けはあたりで、それから間もなくして自習室に陸君は来た。

 陸君は自習室に入ってくるなり、部屋の全体を見渡した。一通り見たところで、安堵の息を吐き適当なところに座って勉強を始めた。

 おそらく、私がいないか確認したのだろうが、たまたま部屋の端の席に座っていた私は、彼のセンサーを回避することができた。私には移動して、彼の隣に行く選択肢もあったが、彼の勉強までも邪魔するほど無粋ではない。彼が立ち上がったり帰ったりしないか、陸君センサーを張りながらも、私は自分の宿題をやった。

 今日も前回同様、彼は自習室が閉まるぎりぎりまで勉強していた。自習室の閉まる時間の5分前くらいで、彼は自分の荷物をまとめると部屋を出ていった。私も慌てて荷物をまとめて彼を追う。私が追いついた時、彼は玄関で突っ立っていた。

「お疲れ様、陸君」

「ああ、やっぱり」

 彼の返事はこれだけだった。前回は迎えが来てるのでと言って帰っていた。今日も迎えを待っているのかと思ったが、どうやら違うようだ。今、外は前が降っていて、彼の手に傘はなかった。このことから、導き出されることを彼に聞いてみる。

「もしかして、傘持ってない?」

「はい、迎えは、いらないと伝えてしまって」

 彼の言葉を聞くなり、すぐさま私は自分のバックに手を伸ばし、折り畳み傘を取り出した。

「もしよかったら、これ使って?」

「でも、そんな。あなたも必要ですよね」

「いいの、私は迎え来てくれるから」

 受け取れないと拒む彼に無理やり傘を渡す。彼が傘を持った状態になったとき、私は素早く傘から手を離す。

「じゃあ、私迎え来てるから」

 彼に傘を渡した私は急いでその場から立ち去る。彼にいい印象を持たれたかったし、彼はこうでもしなきゃ受け取ってはくれなかったのだろう。

 雨に濡れないよう走りながら、考えた。今日は名前を聞けたし、突発な出来事だったけど傘を貸すことまでできた。彼に会ったのが今日で二回目だから、二回目にしてはいい功績をあげれたのではないだろうか。何とか、車にたどり着くことができたが、想像以上に濡れてしまった。

 それから二日後、塾に行くと彼が入り口のところで立っていた。今日は私服ではなく中学の制服を着ている。彼を見つけた私が声をかけに行く。

「陸君こんにちは、今日どうしたの?塾は入ってないでしょ?」

「なんで、今日僕が塾が入っていないことを知っているんです、まあ、その話は置いといて、これありがとうございました」

 そう言って、彼は前回私が貸した傘を差しだしてきた。私は自分の傘を彼から受け取る。

「もしかして、昨日もここきてくれたの?」

「ええ、いないって分かったら、すぐに帰りましたけど」

「そうだったんだ、ごめんね」

 彼が昨日わざわざ傘を返すためだけに塾に来てくれたと知って、昨日そのことも考慮せずに、家でスマホいじってた私を脳内で殴る。そんな私はほっといて、彼の話はまだ終わってなかった。

「あなたに、お礼をしたいんですけど、なにがいいです?でも、そんなにお小遣いないので」

「お礼なんていいよ、傘貸しただけだし」

「いえ、僕が借りただけは嫌なんです。借りたら、返せってお姉ちゃんが」

 傘を貸しただけで、お礼をしてくれるらしい。中学生なのでお金のかかるものを請求する気はもちろんなかったし、彼が私に傘を返すためだけに、ここまで足を運んでくれた事実だけで元は取れていた。でも、これは、せっかくのチャンスなので利用することにした。そして私にはとても良い考えがあった。

「じゃあ、陸君、スマホ持ってる?」

「持ってますけど」

 彼は制服のポケットからスマホを取り出した。彼がスマホを持っていることを確認した私は彼に一つお願いすることにした。

「連絡先交換して下さい!」

「え、そんなことでいいんですか?」

「もちろん、十分すぎるよ」

 彼が、私にどんなことを要求されると考えていたのか分からないが、私からのお願いは驚きつつもあっさりと承諾してくれた。私は慣れた手つきで彼のスマホと連絡先を交換する。これで、会えなくても連絡できる方法を手に入れることができた。

「僕、9時以降はスマホ電源切るので」

「了解したよ、邪魔になるほど連絡する気はないから安心して」

 私がそろそろ塾に入らなければいけない時間だと、気づいた彼は引き留めてしまったことを謝ると塾から立ち去ってしまった。

「塾さぼってもよかったのに」

 これから塾の憂鬱さと彼に会えた晴れやかな気持ちに包まれつつ、私は塾に入っていった。でも、連絡先の欄に「陸」と書かれているのを見るだけで、憂鬱さなんてどこかに消えてしまった。