「――耳、だよ」

 隣の紗枝がぼそりといった。驚いて固まった遊羽は、聞こえなかったフリをした。無視したのにもかからわず、紗枝は続ける。

「今、切り落としてるのも、社殿の中にあるのも」

 首の裏に悪寒が走った。紗枝の声には感情が感じられず、冷淡だった。小声で囁くように喋っているから、そう聞こえるのかもしれない。しかし、その声にはゾッとする響きがあった。頬が硬直するのを感じ、遊羽は奥歯を噛んで表情を固めた。

「あの木箱に音を封じ込めてるの。姿がない音は、人の耳にとり憑くと考えられた。当然、とり憑かれたら祓わなければならない。けれど、音を祓うのは目に見えるモノを封じるのとは訳が違う。けど、それでも祓う方法はある……。
 音だけのモノを祓うには……。とりわけ、特定の耳にだけ聞こえるモノを祓うにはどうすればいいか。なんて、考えなくても分かるよね?」

 隣に座る紗枝は、ぼそぼそと囁いている。遊羽は無視し続けた。とても応える気になれない。視線を動かさず、宮司が人型の耳を切り落とす作業を見続けていた。祈り、小刀を掲げ、耳を切り落とす。その一連の作業は、まだ続いている。一体、いくつ耳を切り落とすのだろう。

「でも、耳に憑かれたとしてもね、耳を切り落とされるくらいなら我慢した方がいいって言う人もいるよね。実際は音が聞こえるだけのこと。危険な場所へ誘うといっても、所詮はただの音。無視すればいい。音や言葉に惑わされないできちんと自制すれば良いのだから、何も耳を切り落とす必要はない、そう思う人も当然いた」

「でもね、信じてはいけない言葉を耳元で延々と囁かれ続けると、人はだんだんとおかしくなっていくの。嘘か真かわからない言葉を聞き続けていると、そのうちに誰の言葉も信じられなくなっていく。そんな耳を塞いだ生活は、人の精神をすり減らすの。
 最期には自分の言葉や思考すら分からなくなる。人は言葉で思考してるんだよ。こんな状況が続いて頭がおかしくならない人なんていない」

(紗枝、やめて)

 そう思ったけど言葉には出せず、膝の上の赤ずきんをきつく握りしめた。