「カタミミ様の由来を知っているか?」老人が遊羽にきいた。

「ええっと……、少女が耳の怪我したキツネを保護して、手当てをしてあげた。それで、赤ずきんをかぶったキツネが道案内してくれるようになった。
 あと、人に化けて人ごみに現れるっていうのも聞きました」
 遊羽は、紗枝と老婆にきいた話をつなぎ合わせながらいった。
「それくらいしか知りません。カタミミ様の由来は、片方の耳が切り落とされているから、でしょうか?」

 遊羽がしどろもどろだったが、カタミミ様に詳しい紗枝は助けてくれなかった。にこにこと愛想良く笑いながら、他の老人たちにお酌をしている。要領よくて場慣れしている風だった。
 老人は物思いにふけるように宙を見てからお猪口を手にとった。

「おっ、やはり酌は髱たぼだな。……せっかくだから、もう少し詳しい話をしてやろう」老人は酒で唇を湿らせてから、真剣な顔になった。
「昔、ここは関所だったんじゃ。ちょうど山間の開けた場所で、山越えをする人たちの休憩所として都合がよかった。そりゃあ、商人や旅人が絶え間なく往来して、栄えたものじゃ。今じゃ見る影もないがな」

 なぜか紗枝は、遊羽との嘘関係を吹聴していた。遊羽はできるだけ聞かないようにして老人の話に耳を傾けた。
 紗枝に嫌悪感を抱いたものの、遊羽も目の前に出された寿司を食べてしまったので、やっていることは紗枝と同じだと気づき、悲しくなった。

「しかしな、周囲の山は険しく、切り立った崖が多くてな。たびたび遭難する危険な場所として恐れられていた。特に崖から落ちる人が多くてな……、万全な態勢で山越えに出た人でも転落してしまう。だから人々は、山に良くないものが住んでいると恐れた」
「天狗、でしょうか?」遊羽はきいたが、老人は首をふった。
「姿形を見た人間はおらんのじゃ。ガサゴソと草むらが揺れる、足音がついて来る。が、音のほうを確認しても何もない。明らかにすぐそこで音がするのに何もいない。熊や狸といった獣ではない。まるで音だけ存在だと」
「音……、ですか」遊羽は自分の左耳を触った。
「そういう話があるもので、その音は木々や茂みに紛れて人に近づく不吉なものだと認識されておった。姿の見えない音だけの存在は人を怯えさせ、危険な場所へと誘い込む……、と」

 ――ドンドン。

 そこまで老人が話したところで、社殿から音が聞こえた。手のひらで硬い板を叩きつけた。そんな音だった。