初音は村を見下ろした。視界の端々で雨粒が日光を反射し、きらきら輝いていた。前にもこの景色を見たことがあると、初音は確信した。
 耳の奥で、声が聞こえてくる。とても懐かしく、切ない響きだった。

 ――あなた、さっきからずっと私の方見てるよね。一緒に遊ぼうよ
 ――本当によろしいのですか?
 ――いいに決まってるじゃん。それで、お名前は何て言うの?
 ――名前、ですか。お狐様としか呼ばれておりませんでしたので、特には……
 ――じゃあ、コンってのはどう?
 ――コン、ですか
 ――ちょっとそのまますぎたかな
 ――いえ、とても素敵な名前です。ところであなたのお名前は何とおっしゃるのでしょうか?
 ――私は今野初音
 ――コンノさんですか。私とそっくりなお名前ですね
 ――あ、言われてみればそうだったね。まあ、私のことは初音でいいよ
 ――はい、初音さん。これからよろしくお願いします

 次の瞬間には、初音は全てを思い出していた。
 七年前、コンと紡いだ掛け替えのない思い出の数々。幼い胸に初めて抱いた恋心。そしてそれ故に犯した、あまりにも無邪気で、あまりにも重すぎる罪。
 村での最後の日の夕刻、一人帰路についていた十歳の初音は、延々と続く薄暗い林道に迷いこんだ。狐石の作り出した神域である。
 最奥に佇むソレに、初音はお願いをしたのだ。
 ――大きくなったらコンと結婚できますように、と。
 「私が何も覚えてなかったのは、願いの代償だったのかな?」
 隣にコンがいるのは気配で感じ取れた。
 「どうでしょう。或いは、あなたの気持ちが変わらないか試されたのかもしれません」
 我々にはあずかり知らぬことです、とコンは結んだ。
 雨脚はいつの間にか弱まっていた。
 「虹が出たら、婚姻の儀の始まりです」
 コンは正面を向いたまま、いつになく淡々と言った。その横顔からは、何の感情も読み取れない。 
 自分の知っているコンではない、と初音は思った。好奇心旺盛で、明るく無邪気なのが本来の彼女の姿だと。しかしそこではたと気づく。自分は果たしてコンの何を知っているのだ。彼女の過去も、気持ちも知らないではないか。
 初音は、願ってしまったことを猛烈に悔いた。死が怖くなったわけではない。コンと一緒ならどこまでも行く、その覚悟は固まっていた。コンの意思を確かめもしなかったことを思い出したのだ。