初音は早起きして二人分の朝食を作っていた。居候の身だし子供ではないからということで炊事全般を引き受けたのだが、最初のうちは大変だった。料理がではない。初音は早起きが苦手なのだ。しかし慣れというのは恐ろしいもので、今となっては六時には自然と目が覚める。
 ひっくり返した目玉焼きを皿に盛りつけているとき、恒子が居間にやって来た。
 「おばあちゃん、おはよう」
 しかし返事は無かった。
 初音は不審に思って恒子の顔を見返した。恒子は、化け物でも見ているかのような目を初音に向けている。
 「初音ちゃん、あんた、顔」
 恒子が初音を指さしながら震える声で言った。
 初音はいつも洗顔前に朝食を作っているのだ。
 むくんで変な顔になっているのだろうか。だとしたらコンに笑われるなあ、と考えながら洗面所の鏡を覗き込んだ初音は、短い悲鳴を上げた。鏡に映るソレが自分の顔であることを認識するのに数秒を要する。
 初音の目は異様に吊り上がり、虹彩は琥珀色に光っていた。
 初音はただただ鏡の前に立ちすくむことしか出来なかった。後ろで恒子が誰かに電話をかけているような気がした。

 少しして、立派な袈裟を身にまとった僧侶がやって来た。初音は恒子に言われるがまま、ちゃぶ台の前に正座していた。恒子に招き入れられた僧侶は、初音の顔を見るなり一瞬ではあるが明らかに狼狽の色を見せた。初音の向かい側にまず僧侶が腰を下ろし、恒子が続いた。
 「住職さん、この子は――」
 恒子が言いきる前にお坊さんが答えた。
 「はい。確かに彼女は狐に魅入られているとお見受けします」
 感情を押し殺したような低い声だった。初音は改めて目の前の僧侶の顔を見る。髪もひげも綺麗に刈り取られている。しわが深く刻まれているが、三十台とも六十台ともとれる奇妙な顔立ちだった。
 「狐に――魅入られている?」
 初音はオウム返しをする。
 「そうです。どうやらあなたは近々狐に嫁ぐことが決まったようです。心当たりは無いかもしれませんが」
 嫁ぐ、という言葉に反応して初音の心臓がどくんと高鳴った。
 「嫁ぐと、どうなるんですか?」
 「彼らと同じ次元に連れて行かれます。こちらからは何も干渉できない、所謂神隠し状態に永続的に置かれることになります」
 僧侶は一呼吸おいて、
 「端的に言えば、亡くなります」と静かに放った。