そもそも初音はあまりこの話を信じていなかった。
 「はーい」と間延びした返事をして、家を出た。
 携帯で時刻を確認する。午後三時過ぎ。恒子に心配をかけるといけないし、炊事の手伝いもしたいから六時には帰ろうと思った。
 
 少し歩いた所にある自動販売機で水を調達する。暑さは随分マシになっていた。来たときは駅から一時間近く歩きっぱなしだったので、余計暑く感じていたというのもある。
 森林の側を通る道は、連なる木々が影を作っていてとても涼しい。
 初音はこの森林沿いを歩きながら、いつしか物思いにふけっていた。
  
 初音は、レズビアンである。物心ついたときから他の人と何かが違うことは自覚していた。それが決定的になったのは小学校高学年くらいのときだ。初音は、ある少女を好きになった。初めてにして今までで唯一の恋である。今ではその子の顔も名前も思い出せないが、胸を焦がすような想いだけはしかと焼き付いている。
 両親には隠してこそいなかったが、どんな顔をされるか分からなかったのでずっと黙ってきた。しかし十七年も一緒にいれば何となく察しがつくようで、
 「初音、何かお母さんたちに隠してることがあったら言いなさい」と言われたのが、夏休みに入って間もない四日前の晩。
 どうせいつかは言わなければならないのだから、今がいい機会だと思って初音は正直に告白した。
 薄々でも気づいているなら、両親にも受け入れる心の準備が整っているのだろうという期待もあった。
 しかしそれは間違いだった。母親は泣き崩れ、父親も絶句するばかりで狼狽を隠せていなかったのだ。
 「じゃあ私はやっぱり、もう孫の顔を見られないのね」
 初音は一人っ子である。その言葉が胸にぐさりと突き刺さり、いたたまれなくなって自室に取って返した。
 出来ることなら母親の望み通りにしてやりたかった。しかし、そのためだけに男と交際し、剰え行為に及ぶなどということは到底考えられない。初音の胸は申し訳なさで一杯になった。
 その翌日から初音は家に居づらくなった。
 母親はどこかよそよそしくなり、同情している風な父親も傍観するだけで頼りにならなかった。
 そして昨晩、家出を決意して恒子に電話をかけた。
 『しばらく祖母の家に行ってきます』という素っ気ない書置きを学習机の上に置いておいた。
 
 ふと背後に気配を感じ、初音は振り返る。