地元の国立大学の史学科に進学し、卒業後は世界史の教師になった。社会人二年目のときに同性婚の合法化が決定され、性的少数者の界隈はこれまでになく色めきだった。
 初音も近くのレズビアンのコミュニティに参加してみたものの、交際にまで発展することは一度もなかった。どんなに魅力的な相手といても、頭に浮かぶのはいつも狐の少女のことだったのだ。
 「あなたは私の話を聞いてくれない」と言われてお断りされるのが常だった。
 結局初音は一年も経たないうちにコミュニティを去った。
 三年前には恒子が他界した。百歳の大往生だった。
 遺影の中の彼女は優しく笑っていて、初音は応援されているような気がした。
 
 いつの間にか雨はやんでいた。やはり通り雨だったようだ。初音はカバンを持って席を立つ。
 
 教職員用の靴箱で靴を履き替えていると、大きな虹が目についた。思わず見とれる。
 もっと大きな、空一杯に広がる虹を、初音は見たことがある。それは喜ばしいものではなかったけれど。
 ふと背後に気配を感じる。振り向かずとも初音にはその正体が分かっていた。
 ――君はいつもそうやって出てきた。最初の日も、最後の日も。
 「綺麗な虹ですね」
 初音はゆっくりと振り返る。
 弾けるような笑顔はそのままに、人間の女子高生となったコンの姿がそこにはあった。
 この高校の制服に身を包んだ彼女の目線は初音とそう変わらず、胸など初音のよりしっかりしているかもしれない。
 「おかえり」
 初音は微笑んだ。
 「今までずっと、待っていてくださったのですね」
 少女の瞳が真正面から初音を捉える。
 「まあね」
 初音は何故かすごく照れくさくなって視線を逸らす。
 「待ちくたびれて、おばさんになっちゃったよ」
 少女が小首をかしげる。
 「そうですか?大人のお姉さんって感じですけど。昔の初音さんもいいですが、今も素敵ですよ」
 初音は顔から火が出そうになった。
 「な、何言ってんのよ。人間になって処世術でも覚えた?」
 「そんな、本心からですよ」
 少女が抗議する。やけに真剣な目。
 初音は耐えられなくなって噴き出した。少女は初め戸惑っていたものの、つられて笑いだす。
 二人の笑い声が、雨上がりの空に吸い込まれていく。天国の恒子に届いているかな、と初音は思った。