瑠璃と出会って二ヶ月が経った。とは言っても、学校で過ごしたのは一ヶ月ほどだけれど。
特に何をする訳でもないが、彼と一緒にいる時間が増えた。演劇部での活動も、大根役者なりに頑張っている。活動とは名ばかりで、主にダラダラしているのは部内だけの秘密だ。
ただ、毎年の文化祭で劇をやるのは恒例らしく、それに向けた練習は進んでいる。「夏目が部活に来るようになったのは、緋色が入部したおかげだ」と瑠璃に褒められた。なぜ私が部に入ると夏目さんが来るようになったのか、分からないのだが。

人間の食べ物は食べられないので、学校では砂糖水を飲んでいる。佐藤湯の日もある。瑠璃には顔を顰められたが、仕方がない。砂糖は麻薬と同等の依存性を持つ、未成年にも許された酒。食べ物の自由が少ない吸血鬼にとって、数少ない楽しみなのだ。
前は瑠璃に「血を吸っていいよ」と言われた屋上で吸血してしまったが、今考えると危なかった。誰かに見られたら大変だ。

「起立。気を付け、礼!」
不揃いな「ありがとうございました〜」は、放課後が始まる号令だ。今日は部活が無い日。一人で帰ろうとする瑠璃に歩み寄る。
「ちょっといい?」
瑠璃は笑うでもなく不機嫌になることもなく、席を立った。

「意外と、一緒に帰るのは初めてだね」
隣を歩く瑠璃が言った。
「そういえばそうだ。一緒に帰る理由が無かったから」
今日は吸血の日だ。外では人の目があるので、瑠璃の家にお邪魔させて貰うことにした。
「緋色が家に来るのも初めてだ」
確かに。少し緊張する。緊張?どうしてだろう。血を吸うだけなのに。
「両親とか、家にいるの?」
「父さんがいる」
「帰り、早いんだ」
「IT関係の仕事をしててね。時間には融通が効くんだって」
「ママは?」
瑠璃がブフッと吹き出す。
「ママって言うんだ」
「意外?」
「意外。サバサバしてるから」
確かにこの性格に『ママ』は違和感があるかもしれない。「お母さんは、仕事に行ってるの?」
「ママ、でいいよ。あと母さんは死んだ」
「ごめん」
「いや、いいんだ。もうかなり前のことだから」
駄弁っている内に、瑠璃の家に着いた。二階建ての一軒家だ。
「ただいま〜」「お邪魔します」
靴を脱いで家に入る。
キッチンでは、スラッとした中年男性が料理を作っていた。「おかえり。お、新しい女の子か。次はどれくらい続くだろう」
「からかわないでよ。それに、付き合ってる訳じゃないし」
そうだ。別に交際している訳ではない。血を吸うだけの関係。
「付き合ってもいない子を家に上げるのか?」
「勉強を教えるだけだよ」
瑠璃は咄嗟の嘘が上手い。いや真面目に、勉強は教えて欲しいのだけれど。食べて寝るだけで幸せな、逆に言うとそれ以外を面倒に感じてしまう私は、勉強ができない。
玄関脇にある階段を上って、瑠璃の部屋に入る。
「その辺でいいから、適当に座って」
殺風景な部屋だ。ベッドと勉強机と、教科書。あれは演劇の台本だろうか。それくらいしか物が無い。
「で、僕はこうしてればいいかな?」
瑠璃は左の肩をはだけた。白く透き通った肌が露出し、妖艶な空気を纏う。
「うん。それでいい」
瑠璃に抱きつくようにして体を固定し、彼の柔肌に牙を突き立てる。
「あ......ああぁ......」
彼の口から漏れる嬌声が、いっそう食欲を掻き立てる。甘い。美味い。甘美な汁。
『参った』の合図を示すように、背中をトントン、と叩かれた。ハッとして牙を抜く。
「ごめん。吸いすぎたかな?」
「いや、全然大丈夫だよ」大丈夫ではなさそうな顔色で瑠璃が言う。
私は決心して、瑠璃に杭を渡した。
「これ何?」
「百均で買った杭」
「それはなんとなく分かるんだけど」
「私、怖くなる時があって」
吸血中に理性を失うかもしれないこと、もしそうなったら瑠璃を殺しかねないこと、だから瑠璃の命が危うくなったら杭で殺して欲しいことを伝えた。
「嫌だよ。これを使うのは」
「勿論。私もなるべく、使わなくていいようにする。でも万が一のことがあるから、持っておいて」
「どう使うの?」
「私にもよく分からない。心臓に刺せば良いんじゃない?」
瑠璃は呆れたように言う。「そんな適当なんだ......」
「まあ、いつもならさっきみたいに、軽く叩いて知らせてくれればいい。叩いても私が反応しなかったら、使って頂戴」
「分かった」

靴を履き、瑠璃家に別れを告げる。「お邪魔しました」
「また、いつでも来てね」瑠璃の父さんは、優しそうな人だ。瑠璃をおちょくっているように見えるのは、単に素直になれないだけなのだろう。「その目は......」
「生まれつき、なんです。珍しいと思いますけど」
赤い目は目立つので、同じ質問をされることには慣れていた。

瑠璃家を後にし、若干の寂しさを抱えて家路につく。寂しさなんて、感じたことがなかったのに。
ママの仕事でしょっちゅう転校する上に、この見た目で、しかも吸血鬼。友達を作ることは諦めていた。友達?なのだろうか。少なくとも彼氏ではないから、友達みたいなものかな。
馬鹿みたい。またいつ引っ越すか分からないのに、一人で浮かれて、寂しくなって。でも、この日常がいつ終わるのか分からなくても、楽しいのは事実だ。