今日は幸太郎とのデートがある。服選びに頭を使うのが面倒なので、デートにもジャージを着ていく。私はそういう人間だ。スカートは苦手。
待ち合わせは最寄りの駅だ。日曜日とあって人が多い。時計の短針は九時を指している。十時まであと十分。
「悪い、待った?」彼の恰好はファッションに疎い私が見ても、オシャレなのだろうな、と分かるものだった。
「待った。十分くらい」ここで世のモテ女は「ううん、全然」とか言えるのかもしれないが、そういうのはできないのだ。
「あの十分の退屈は、このデートで挽回して貰うからね」
デートプランは彼に丸投げしてある。

「着いた!」
連れて来られたのは、古びた喫茶店だった。今にも崩れ落ちそうな見た目だ。
「ここは、どういう場所なの?」
「先ずは、中に入って」
「いらっしゃい」フサフサした白髭を蓄えた、優しそうなお爺さんがマスターの服装をしていた。壁には、見覚えのあるサインが掛けられている。
「あれって、酒井多幸郎さんの!」
「そう」
同じ市内で執筆活動をしていることは知っていたが、まさかこんな所だったとは。幸太郎に出会わなければ、見られなかった景色だ。基本的に休みの日は家で本を読んだり書いたりしているので、外に出る機会が無い。
「ありがとう」
「翠が素直にお礼を言うとか、珍しい」
「失礼な」
とは言ったものの、確かに私は捻くれている。今も少しだけ恥ずかしい。
私が黙っていると、幸太郎は不安げに言った。「退屈、だったか?」
「私はどこに居ても退屈してるよ。君が私を楽しませようとしてくれた気持ちが、嬉しいの。分かったら黙ってて」
強引に彼を黙らせたのは、これ以上喋ると私がどんどん恥ずかしいことを言ってしまいそうだから。この鼓動が、バレていませんように。
マスターはグラスを拭きながら、ニッコリと笑って私たちを見守っていた。