短針は七時を指している。クライエントから想定外のバグが報告され、その修正に手間取っていた。定時で帰れないのは久し振りだ。
なんとか対処して、ようやく帰路に就く。家に着く頃には、八時を回っているだろう。
今日は瑠璃が友達と遊園地に行くそうだ。気難しい息子に、休日を一緒に過ごせる友達ができるとは、思っていなかった。昔から田中くんとは仲が良いようだが、出かけることは無いと記憶している。
気がかりなのは、あの赤い目をした少女。文化祭で瑠璃の血を吸ったように見えたが、それも気のせいだと私に言い聞かせて来た。父親として、息子の友人を疑うなんて無粋な真似は避けたい。
「ただいま」
返事が無いのはいつものことだ。
玄関には、瑠璃のものではない靴があった。あの少女がまた、来ているらしい。
たまには飲み物でも差し入れてやろうと思って、冷蔵庫からりんごジュースを取り出し、二つのグラスに注ぐ。階段を上ると、扉は閉まっていた。小さくノックして、それを開ける。
扉の向こうにいたのは、息子に噛み付く少女だった。
思わず声を上げそうになったが、堪えた。彼女は目を瞑っていて、こちらには気付いていない。
そのまま後ずさって、階段を降りた。やっぱり、そうなのか?吸血鬼、なのか?

あれから二日ほど考えた。今日は日曜日だ。瑠璃は家にいる。意を決して、階段を上った。
「瑠璃、入るぞ」
ノックせずにドアを開ける。
「何の用?」
オブラートに包むのは苦手なので、「単刀直入に言う。あの天鬼さんって子は、吸血鬼か?」
瑠璃はたまに分かりやすい。あからさまに動揺して、目を逸らしている。「そんな訳ないじゃん。いきなりどうしたの」
「見てしまったんだ。一昨日」
「何を?」
「吸血の現場を」
「ドアを開けたのは父さんだったか」
息子は観念したようだ。
「ちょっ何すんの」
やや強引に、瑠璃の左肩をはだけさせた。そこには二つの小さな穴。
「母さんの首に、付いていた痕と同じだ」
「どういうこと?」
「もう分かっているだろう。瑠璃が付き合っているあの少女は、母さんを殺した吸血鬼と同じってことだ」
瑠璃は、私を真正面から睨んで言った。「確かに緋色は吸血鬼だけど、人を殺したことは無いよ。母さんを殺した吸血鬼とは違う!」
四十を回った壮年は、その場にへたり込んだ。「分かってるんだ。分かってるつもりなんだけどな......」
「父さん......」
どんよりとした曇り空に、遠雷が鳴る音が聞こえた。