十一月も終わりに差し掛かっている。空は秋の寂しさを湛えていた。屋上は涼しい。昼休みは、あと少し。
瑠璃に付けた左手首の傷を撫でながら、謝る。「ごめんね」
何で緋色が謝るのさ、と瑠璃は慰めてくれた。
「ちょっと、夏目さんに怒っちゃったかも」
首に貼った絆創膏をさすりながら、瑠璃は言った。「夏目は、そういう奴だから」
「何であんなことしたんだろう」
瑠璃は諦めているようだった。「何も考えてないと思うよ。ただ、面白がってるだけ」
「それにしても、あの台本には驚いた。ロミオはまるで僕だ」
「人を食い殺す仮面も吸血鬼みたいだよね」
夏目さんはたまに鋭い。いつもは何考えてるのか、よく分からないけれど。本当に、何も考えていないのかもしれない。
「あの物語では、結局どうなったんだっけ」
瑠璃に言われて思い出した。夏目さんのアドリブに振り回されて、全く違う結末になったんだ。消えかけた記憶を辿ってみる。
「よく覚えていないけれど確か、ロミオがジュリエットに食い殺されるのを望んだような気がする」
「そうだった。で、ジュリエットが刺されるんだ。ロミオに片思いしてる村娘に」
田中くんに刺されないように気を付けなきゃ、と冗談めかして言っても、瑠璃は笑わなかった。「笑えない」
何で?と聞こうとしたがその前に、瑠璃が口を開いた。
「あの、キスって......」
「前、演技ならキスでもセックスでもできるって言ってたから」
台本には無かったのだが、勢いでしてしまった。少し恥ずかしい。恥ずかしい?どうしてだろう。ただの演技なのに。
瑠璃も珍しく歯切れが悪い。
「そ、そんなことより、今日のお弁当は何なの?」
瑠璃とは、ただ血を吸うだけの関係。それ以上は望まない。望めない。
こうやって彼の隣で、いつまでも下らない話をしていたい。そんなことが、許されるのかな?吸血鬼の、私にも。

家に帰ると、ママが青い顔をして立っていた。文字通り、顔が青い。
「大丈夫?」
「ここに座りなさい」
木製の机を挟んで、ママの正面に座った。面接みたいだ。いつものママらしくない。
「瑠璃くん、って言ったわよね」
「うん。彼がどうかした?」
「文化祭の劇から、ずっと考えてたのよ」
背筋に嫌な汗が流れる。「あれは、ただの劇だよ」
「でもあんな展開、あらすじには書いてなかった」
「夏目さんって人がアドリブしちゃってね。それで」
「そうなの。あと血を吸った後の目の変わり様。見覚えがある。夏目さん?に瑠璃くんの血を舐められた時の、鋭い眼光も」
もしかして、「パパのこと?」
ママは重そうな頭を縦に振った。
「生き血を吸った吸血鬼は、どうなると思う?」
「分からない。知りたくない」
「理性を失って、血だけを求めるようになる」
嘘。「瑠璃のことも、忘れちゃうってこと?」
「たぶん記憶全部、忘れるわ」
「それは嫌!」私はまるで、ダダを捏ねる子どもみたいだ。実際、子どもなのだけれど。
「愛の杭を探しなさい」
「愛の杭?」
顔色が更に悪くなった。「ごめん。これ以上は、話したくない」
追い詰められたママをそれ以上、追求することは出来なかった。

時計の短針が12を通り過ぎても、瞼が落ちてはくれない。その日は、あまり眠れなかった。
気付いていた。瑠璃の血を飲むと少しずつ、もっと求めてしまうことに。
でも気付かない振りをしていた。瑠璃と私を繋ぐのは、吸血だけだから。
初めて仲のいい人が出来た心地良さに、甘えていたんだ。
これから、どうしようか。