それから担任ではなく別の先生が家に来て、プリントや授業をまとめたものを家に届けてくれて、家に来たとき両親経由で渡してくれれば、内申点の評価をすると言われた。

 学校に行けない間、私はお母さんと近所の散歩を初めて、慣れてきたら図書館で勉強をしたり、病院に行ったりしていた。

 そうして少しずつ、少しずつ外に出る機会を増やし、学校に向かうことのないまま三年生になった頃。私は高校の受験をしたいと言った。

 このままだとお母さんにも心配をかけ続けることになる。お母さんとお父さんの不安げな表情や、心配そうな顔を見たくはなかったし、ネットで高校について調べると、通信制の高校を見つけたことも大きい。中学のいない高校を選んで、それでも駄目だったら通信制の高校に切り替えればいいと逃げ道を発見して、私は少しだけ前向きになれた。

 それから、お母さんやお父さん、ネットで有志の人がアップしている勉強の動画を見たりして、高校受験の勉強をした。

 出席日数に不安がある分試験では絶対にいい点数を取らなければいけなくて、小学校虐められてまともに授業が受けられなかったし、中学で授業を受けていない分勉強は大変だった。

 受験票の提出はお母さんがしてくれたけど、試験は自分がしなきゃいけない。受験当日の朝、服を着替えて、朝ご飯を食べて、鞄をもって、靴を履き替えて。そして玄関のドアノブを握ったとき、足は震えたけど吐きはしなかった。お母さんは嬉しそうに笑って、試験すら受かってないのにおめでとうと喜ばれた。

 そんな経緯を経て、この高校に入ったわけだけど、まさかあんな奴、清水照道が六月になって現れるとは思っていなかった。クソ、本当にクソだ。

 嫌な気持ちが拭えないまま黙々と山を登っていると、景色が変わったことに気付いた。今まできちんと道になっていたはずなのに、どこか獣のようで転がる大きな石は無くなり、代わりに小ぶりな岩がごろごろと斜面に鎮座している。地面は雨なんて降っていないのに湿っていて、ぬかるんでいる気がしてならない。

 ……道を間違えた?

 でも、きちんと初心者コースか山登りコースか確認して進んだはずだ。

 山登りコースを選んでいるのなら、私みたいな人間が登れるはずがない。気のせいだと少し進んでいき、周りに全く人の気配を感じられず立ち止まる。

 もしかして、ここはどのコースでもない? 迷った?

 コースは二つしかない。けれど定められたコースが二つしかないだけで、別にそれ以外の道を通ると降ろされるとかそういうことはない。

 あの看板を誰かが悪戯して、私は今全く別の場所を進んでいることもあり得ない話じゃない。頭の中に、遭難という文字が過る。

 いや、まだ遭難してない。スマホを確認すると電波は良好で、圏外にもなっていなかった。もしこのまま上に登って道がおかしくなったら、戻ろう。戻って戻れなくなっていたら電話しよう。遭難していないなら、電話はしなくていい。

 電話を掛けることを考え、ぎゅっと心臓が痛むのを落ち着けるように大丈夫だと深呼吸をして、画面に目を向ける。

 時刻は山頂に集合するまで余裕がある。大丈夫だとまた深呼吸をしようとすると、画面に水滴がぽつりと落ちた。