そうかな、とだりあは、
「だけどデートしたあとホテルで脱がされたりしたら、着付け出来ないとある意味地獄だよね?」
私はデートには着て行きたくないなぁ、とアケスケな物言いをした。
「そういう意味で言うとさ、先生みたいな男子なら大丈夫っぽくない?」
確かに清正は着付けが出来る。
スーツのときも、たまに見たことのないネクタイの結び方をしていることがあって、
「いや、気分転換に変えてみたんやけど…」
それ以上に、器用なのだなというのが分かる。
「でも先生はほら、あの通り茉莉江先輩のこと大好きだからさ」
だりあは清正が、茉莉江のための土産を選んでいるところに遭遇したことがある。
「食べ物とグラスを選んでた」
堺町のガラスの売店で、ブルーの夫婦タンブラーを買っていた。
「けど確か最初は茉莉江先輩が、怪我した先生を毎日お見舞いして、片目が見えないから世話してたんだよね?」
右目を負傷して視力を失った清正だが、自分の目よりも茉莉江の安否を気にして医師に訊いた…というところが、茉莉江の心を掴んで離さなかった点であるらしい。
「やっぱり結婚するならちゃんとした人だよねー」
はっきり物を言う香織にかかると一刀両断である。
それでも清正と茉莉江のラブラブな雰囲気は、メンバーの理想の夫婦であったのかもわからない。
そこへゆくと。
アイドル部で真剣にダンスやボーカルを目指してきた薫や優子とは、自ずと感覚が変わる。
薫や優子が心血を注いで特訓してきた振り付けを、
「こんな感じ?」
などとだりあは初見で何となく覚えて、数分練習したらモノにしてしまう。
もっとも薫や優子からすれば、たまったものではないのだが、こればかりは天賦の才としか言いようがない。
翔子はそれはないが、それでも覚えは早い。
一方の翔子は転勤族の娘で、クラリネットは吹けるが友達は少ない。
物怖じもなく明るいのだが、
「うちな、人見知りって悟られるの嫌いやねん」
などと言い、逆にお喋りに振る舞って本心を明かさない癖がある。
「せやから、ダーリャみたいな友達が出来たら、転校したくなくなるかも知れへん」
時折ふと見せる影が、一年生ながら人気者になる要因でもあったらしい。
そこへたまに、だりあと同じ一年生のさくらが加わるとトリオになって、ときたまワチャワチャとふざけることもある。
「あんたたち、ちゃんと練習しなさい!」
たまに美波に怒られて、しおしおとなる日もあった。
同じ一年生でも、飛び抜けて変わっていたのはひかるである。
みな穂の幼なじみの妹にあたる。
中学生時代にみな穂がアイドル部に入ったと聞くや、
「私もアイドル部に入る!」
といい、それまで習っていなかったダンスを本格的にやり始めようとしたが、はたと気がついたものか、
「千波ちゃんが抜けたら、作曲担当が空く」
そう先を読んでボーカロイドのソフトを使い、独学で作曲を始めたというエピソードがある。
どうやら先見の明はあったらしく、
「衣装デザインのデジタル化」
という、誰も手を付けていなかった面を手掛けたり、公式チャンネルやTwitterなどをカスタマイズするといった、アイドル部が弱かった面を強化する方向を選択した。
「シリアルナンバーを管理しましょう」
と言い、学年と五十音順でポロシャツに背番号を縫い付けた物を使って、シリアルナンバーを可視化したのもひかるの発案である。
のちにこの練習用ポロシャツはグッズ化され、背番号をカラーリングするというアイデアでヒット商品となり、アパレルメーカーと組んだコラボグッズとなった。
このとき、背番号1をつけるようにみな穂が推されたのだが、
「私ずっと11だったからなぁ」
と言うと、部長は11番という不文律がいつの間にか出来た。
他にもメジャーデビューしたののか、雪穂やすみれの2、6、8は欠番となり、
「欠番になれるように頑張ります!」
というのがメンバーの挨拶の常套句となった。
合宿も後半になった頃、ダンスパートを担ってきた薫にフォーメーション練習のさなか、異変が起きた。
「足首が…」
練習は直ちに中断した。
病院で検査を受けると、
「右足靭帯一部損傷」
との診断で、どうやら練習をし過ぎたらしかった。
「だって夜中こっそり起きて、浴場の脱衣所で練習してたもんね…」
相部屋の英美里は気づいていた。
病院から戻って来た薫を見つけると、
「ちょっとえぇか?」
珍しく清正は個人面談をした。
「藤浦…気持ちは分からんでもないけど、過ぎたるは及ばざるが如しって言うてやな」
やんわりした物言いだが、
「まぁ責任感強いから、藤浦らしいっちゃあらしいけど」
「…ごめんなさい」
「夜中の練習そのものは悪いことではないけど、体を壊したら元も子もないやろ?」
そこで。
「藤浦に頼みがある」
と、来ていた茉莉江を呼び「ちょっと見てやってや」と頼んだ。
翌日から薫は、茉莉江のサポートに回ることになった。
日々消費される洗剤や日用品のレシート管理、帳簿の記入、洗濯物の回収など…意外と忙しいことに薫は驚いた。
「こうした裏側って、きっとみんな知らないと思う」
茉莉江がレシートを束ねながら言う。
「私と結婚する前は、彼一人でやっていたみたい」
美波はこういうの苦手だからね、と茉莉江は、コーチでかつてのクラスメイトでもあった美波の弱点を明かした。
「でも美波がコーチになっても、こうした事務方の作業は彼、させなかったんだよね」
「どうしてですか?」
「アイドルに生活臭は要らんやろ、って」
清正の知られざる一面ではあろう。
それでね、と茉莉江は続けた。
「今でこそ長谷川さんもいるし私もいるから楽になったけど、以前は誰もやらないから、部費の計算が大変だったみたい」
茉莉江は懐かしむように笑って、
「薫ちゃんケガしなかったら多分、こんなこと知らないままだったかもね」
茉莉江は薫の頭を撫でてから、
「私が妊娠しにくい体質だって分かってから、アイドル部を自分の娘のように考えてるみたい」
薫は涙ぐんだ。
「…なんか私って勝手だなって」
「いいじゃない、女の子は少しだけわがままな方がモテるからあれでいいって彼も言ってるし」
少し薫は考え方が変わったらしい。
それまでの薫は少し取っ付きづらい面があって、
「ダンスは上手いんだけど、協調性がね…」
と言われることもあった。
ダンス練習をやり過ぎて足を痛めてしまうほどストイックで、それで誰かを非難することはないが、見る側からすれば、
──怠けるなよ。
という無言の圧力めいたものは感じるであろう。
薫自身もそこは分かっていたのか、それで誰かと組むということを出来ず、リラ祭の演目を出せなかったらしい。
ところが。
ケガで薫が離脱をしたあと、ちょっとした変化があった。
「薫、洗い替えのポロシャツある?」
だりあにせがまれたので一枚だけ貸した。
次の日、薫がふとレッスン風景を見ると、そのポロシャツが額装され、練習場の最も目立つ位置に掲げてあったのである。
「大丈夫、ちゃんと忘れてないよ」
だりあなりの優しさであったのかも分からない。
薫は泣きそうになったが、
「薫ちゃん、ちょっと手伝ってもらっていいかな?」
茉莉江の声がしたので、涙を拭って踵を返した。
合宿も終盤に差し掛かった頃、夏フェスのフォーメーションがおおかた決まった。
「今回は薫がいない分、私たちが薫の分まで良いパフォーマンスをして、早く薫に戻って来てもらえるようにしよう」
るなの提案で、メンバー全員で薫の激励会を開くこととなった。
一年生メンバーで手宮のホームセンターで飲料やお菓子などを買い出しし、合宿施設へ帰ってくると準備を始めた。
薫は少しは元気を取り戻してはいたものの、
「こんなタイミングで靭帯だもんなぁ…」
包帯の巻かれた右足を、半ば恨めしそうにじっと見つめたりもしていた。
そこへ。
「陣中お見舞いだよー」
やってきたのは、夏休みで北海道へ帰って来ていた優海である。
医学部に入っていた優海はひと目見るなり、
「…薫、もしかして靭帯?」
薫はうなずいた。
「藤子ちゃんのときは捻挫だったけど、あれであんまりダンスできなくなったんだよなぁ…」
優海は藤子の捻挫の話をした。
「だけど最後は全国大会で優勝できたし、やっぱり諦めたらダメなんだよね、人生ってさ」
しかし。
優海は頑張れとは言わない。
優海は藤子から聞いた話をした。
「頑張るって、本来は年甲斐もなく無理な力を出すって意味なんだって」
だから私は頑張らない、と優海は笑った。
「それからはね私、激励するときには無理しないでねって言うようにしてる。無理さえしなければ、少なくとも大怪我はしないかなって」
優海はだりあが持って来た麦茶を飲んだ。
「あとはね、変に焦って我慢して練習しないこと。これは一応、医学部にいる立場だから言っとくね」
「…ありがとうございます」
うちの部って、変わってるでしょ──優海は笑った。
「普通ならこんなときに離脱して、とか言われそうなもんじゃん」
「はい」
「でもね、うちの部は澪先輩の頃からそうなんだけど、基本は楽しむことな訳ね。私は最初それは違うって思っていたんだけど、自分自身が楽しく笑顔でいられないのに、見てくれる人が楽しくなかったら話にならないよねって」
これはそうだと思った、と優海は悟りを明かした。
「だから、プロ並みにキレッキレのバッキバキに踊れるのも大切なんだけど、無理をして怪我なんかしたら、それこそ元も子もないよね」
だから私はプロに向いてないって分かって、進路を変えたんだ…と、優海は今まで誰にも明かしてなかった話をした。
それまであまり付き合いのなかった先輩の一人である優海が、このとき薫には身近に感じられたようで、
「プロに向いてないって…いつわかったんですか?」
と訊いてみた。
「私の場合は同期にすみれと雪穂がいて、すみれは読モから事務所行ったりしてすでにプロだったから格が違うのはわかっていたけど、いちばん衝撃だったのは雪穂が撮影のとき、私は女優ですって思い込めば簡単ですって言われたときかな」
リラ祭のポスター撮りのときのことである。
「私にはあの発想はなかった。だから、これは次元が違うんだって思った」
薫は真剣な眼差しで優海を見た。
「それで、これは卒業したら何か身に着けないとダメだってときに、たまたま先生が片方失明して、医療ってスゴくカッコいいなって」
優海は薫の頭をポンポンと軽くなでた。