部屋の中に置いた、少し大きな作業台。
その上にはノートを開いたくらいの大きさの紙と製図用のシャープペンシル、コンパス、下が透ける方眼定規、それから三分の一スケールの洋服の型紙が置かれている。
作業台に向かう椅子の横には、小さなサイドテーブル。その上には、白地にワンポイントの入った丸いティーポットと、お揃いのティーカップとソーサーを置いてある。
ポットからカップへ、紅茶を注ぐ。冷めてしまったせいか、香りは余り立っていない。
カップを手に取り、口を付ける。人肌ほどの温度の紅茶は、軋むように渋かった。
「ふう、少し根を詰めすぎてしまったかな」
休憩用に紅茶を淹れたのに、蒸らしている間に作業を進めていたら、こんな事になってしまった。
僕は、退魔師以外にも副業を持っている。
勤務時間の決まっている仕事だと退魔師の仕事がやりづらくなるので、所謂在宅ワークだ。
大学時代、正確には、僕が通っていたのは短大なのだけれど、服飾を専門に学んでいたのでそれを生かして、今は思い出の服を小さく仕立て直すと言う仕事をしている。
仕立て直す、と言っても、僕がやっているのは型紙を引くところまでで、型紙を仕立てをしている店に納入してお給料を貰っている。
そうだね、パターンナーと言えばわかりやすいかな?
勿論、人間の服の型紙を引くことも出来る。けれどもそれは、僕が仕事にするには制約が多すぎるのだ。
今請け負っている型紙の仕事は、そう頻繁に入る物では無いし、時間の自由が利く。だから、この仕事を副業に選んだ。
紅茶を飲み干し、また型紙に向かう。
神経を使う仕事で疲れるけれど、これも好きな仕事だからね、文句は無いよ。
そう言えば明日、短大時代の友人と博物館に行くのだった。本当は恋人と一緒に行きたいのだけれど、明日は平日だ。大学に通っている彼女と行くのはまたの機会にして、友人と楽しむことにしよう。
翌日、お昼時よりも少し前に、友人と博物館の最寄り駅で待ち合わせをしていた。
僕に合わせて国鉄の駅で待ち合わせているけれど、彼は私鉄に乗ってくるはず。細々と気を遣ってくれている友人には、いつも感謝しているよ。
友人のことを考えながら改札の近くにある銅像の前で待っていると、外套を着た袴姿の男性が手を振りながら僕の方へやって来た。
「ジョルジュお待たせ。
もしかして結構待ったかな?」
「やぁ、ごきげんよう。悠希。
多少は待ったけれど、そんなに長くは無いよ。
それよりも、君の方がここに来るのに足労したろう」
「ちょっと離れてるけど、博物館行くのにこっちの方には来なきゃいけないから、あんまり気にしないでね」
そう言って、気弱そうだけれども優しい笑みを浮かべている彼は、僕の短大時代の友人で、新橋悠希という。
悠希は、僕がクリスチャンであると言うことを知っても、からかったりなじったりすることをしなかった、ありがたい友人だ。
取り敢えず、博物館に行く前に早めの昼食だな。僕は悠希を誘い、駅に併設されているショッピングモールのレストランへ向かう。
昼食を食べてから博物館に行くのなら、お昼時に待ち合わせても良いと思われるかも知れない。しかし、早めの昼食にするのには理由がある。
実は、悠希は食事をするのがとても遅いのだ。
良く噛んで食べているから。と言うのも有るのだろうけれど、彼は普段料理を作ったり食べたりする気力が無いと言うことで、医者から液体栄養缶を処方されている。
もう何年も、普段あまり食事らしい食事をしていない悠希は、普通の料理を食べるのに手間取ってしまい、とても時間が掛かってしまうのだそうだ。
そんな状態なのに、彼は一人暮らしをしている。家族と仲が悪いわけではないみたいなのだが、どうしても一人暮らしを続けなくてはいけない理由があるらしい。
一体どんな理由なのか、それは訊けないでいるけれども。
たっぷりと時間をかけて昼食を食べた後、博物館へと向かう。
今の期間は書の特設展をやっていると言うことで、それが目当てで来た。
正直なことを言うと、僕は書について詳しいわけでは無い。悠希も、書はよくわからないと言っていた。
だけれども、僕は書の時に力強く、時に流れるような線が好きだし、悠希もどんな言葉が綴られているのかを想像するのが好きだと言っている。
展示室の前で貸し出しをしている音声ガイドを受け取り、二人揃ってヘッドホンを頭にかける。
平日なせいか幾分閑散とした、薄暗い展示室の中で展示品をじっくりと眺めながら、音声ガイドを聞く。
美術館や博物館では、こうやって音声ガイドを借りることが多い。展示されているパネルに書いていないことも解説されているし、文字と作品の間で視線を往復させる事も無く済むからだ。
ふむ、今回の音声ガイドを吹き込んだ人は、随分と流暢に話すし、聞き取りやすいね。
この音声ガイドがCDになって販売されていたら、買っていたかも知れないな。
展示室を回り終わり、ミュージアムショップで図録も買って。博物館併設の休憩所で、飲み物を飲みながら悠希と二人で話をして居る。
「そう言えば、悠希が書に興味を持ったきっかけは何なんだ?」
「きっかけ? 高校の時に本格的な書を初めて見て、すごいなって思ったんだよね。
それで、美術館とか博物館でたまに見るようになったんだ」
悠希は、高校の話をする時いつも楽しそうだ。なんでも、学校の授業や部活が楽しかったのだという。
だけれども、中学以前の学校の話は余りしたがらない。詳しくは聞いていないのだが、小学、中学と、いじめられていたらしい。
その時の不満をもっと吐き出せば楽になれるだろうのに、悠希はそれをしない。
どんな嫌がらせをした相手であっても、悪口を言ったり、悪評を広めたりしたくないのだそうだ。
こんなにも優しく、清廉な彼が、聖職に就いたらどれだけの人々が救われたのだろう。
そう思っても、悠希はクリスチャンでは無いし、無理に改宗させることも出来ない。
何より悠希には、目標があった。
今は医者から就業を禁じられている身だから出来る事だけれど。と言っていたけれども、悠希は小説家を目指して、日々執筆をしていて、出版社に投稿もしている。
賞を貰ったと言う話はよく聞くのだけれど、小説が出版されるという話はとんと聞かない。小説家というのも、厳しい世界なのだろう。
投稿して賞を取ったと言っても、なかなか信じられないと言う事もあるだろう。だが、悠希は小説の賞金で生計を立てていると言うのも有り、実際それで生活をして居るのを見ると、嘘では無いのだなと思う。
ただ、悠希が小説家を目指しているのは良いのだが、問題が一つ。
「悠希、この前小説大賞に応募して賞を貰っただろう? その後、どうなったんだい?」
「え? あ、あの、また出版社が潰れちゃった……」
「本当に運が無いな」
悠希の投稿先が悪いのか、賞を貰う度に出版社が潰れるのだ。
これは一体どういう事なのだろうな。不思議ではあったけれども、これも神様が乗り越えるべき試練として与えている物かも知れない。
博物館を後にし、夕食時よりも前に家に帰れるように、悠希と別れた。
悠希は犬を飼っているので、その食事の用意をしなくてはいけないのだ。
博物館で買った図録を持ち、電車に揺られる。
偶には勤やイツキを誘っても良いのだろうが、あの二人が美術的な物に興味があるかどうかわからないので、どうしても美術の素養がある恋人か、悠希を誘いがちになってしまう。
何とも無しにスマートフォンを取り出し、電話帳を眺める。
「でも、今度駄目なのを覚悟して、誘ってみても良いか」
そう言えば、あの二人と話す時は近況か仕事のことばかりだなと、改めて思った。
その上にはノートを開いたくらいの大きさの紙と製図用のシャープペンシル、コンパス、下が透ける方眼定規、それから三分の一スケールの洋服の型紙が置かれている。
作業台に向かう椅子の横には、小さなサイドテーブル。その上には、白地にワンポイントの入った丸いティーポットと、お揃いのティーカップとソーサーを置いてある。
ポットからカップへ、紅茶を注ぐ。冷めてしまったせいか、香りは余り立っていない。
カップを手に取り、口を付ける。人肌ほどの温度の紅茶は、軋むように渋かった。
「ふう、少し根を詰めすぎてしまったかな」
休憩用に紅茶を淹れたのに、蒸らしている間に作業を進めていたら、こんな事になってしまった。
僕は、退魔師以外にも副業を持っている。
勤務時間の決まっている仕事だと退魔師の仕事がやりづらくなるので、所謂在宅ワークだ。
大学時代、正確には、僕が通っていたのは短大なのだけれど、服飾を専門に学んでいたのでそれを生かして、今は思い出の服を小さく仕立て直すと言う仕事をしている。
仕立て直す、と言っても、僕がやっているのは型紙を引くところまでで、型紙を仕立てをしている店に納入してお給料を貰っている。
そうだね、パターンナーと言えばわかりやすいかな?
勿論、人間の服の型紙を引くことも出来る。けれどもそれは、僕が仕事にするには制約が多すぎるのだ。
今請け負っている型紙の仕事は、そう頻繁に入る物では無いし、時間の自由が利く。だから、この仕事を副業に選んだ。
紅茶を飲み干し、また型紙に向かう。
神経を使う仕事で疲れるけれど、これも好きな仕事だからね、文句は無いよ。
そう言えば明日、短大時代の友人と博物館に行くのだった。本当は恋人と一緒に行きたいのだけれど、明日は平日だ。大学に通っている彼女と行くのはまたの機会にして、友人と楽しむことにしよう。
翌日、お昼時よりも少し前に、友人と博物館の最寄り駅で待ち合わせをしていた。
僕に合わせて国鉄の駅で待ち合わせているけれど、彼は私鉄に乗ってくるはず。細々と気を遣ってくれている友人には、いつも感謝しているよ。
友人のことを考えながら改札の近くにある銅像の前で待っていると、外套を着た袴姿の男性が手を振りながら僕の方へやって来た。
「ジョルジュお待たせ。
もしかして結構待ったかな?」
「やぁ、ごきげんよう。悠希。
多少は待ったけれど、そんなに長くは無いよ。
それよりも、君の方がここに来るのに足労したろう」
「ちょっと離れてるけど、博物館行くのにこっちの方には来なきゃいけないから、あんまり気にしないでね」
そう言って、気弱そうだけれども優しい笑みを浮かべている彼は、僕の短大時代の友人で、新橋悠希という。
悠希は、僕がクリスチャンであると言うことを知っても、からかったりなじったりすることをしなかった、ありがたい友人だ。
取り敢えず、博物館に行く前に早めの昼食だな。僕は悠希を誘い、駅に併設されているショッピングモールのレストランへ向かう。
昼食を食べてから博物館に行くのなら、お昼時に待ち合わせても良いと思われるかも知れない。しかし、早めの昼食にするのには理由がある。
実は、悠希は食事をするのがとても遅いのだ。
良く噛んで食べているから。と言うのも有るのだろうけれど、彼は普段料理を作ったり食べたりする気力が無いと言うことで、医者から液体栄養缶を処方されている。
もう何年も、普段あまり食事らしい食事をしていない悠希は、普通の料理を食べるのに手間取ってしまい、とても時間が掛かってしまうのだそうだ。
そんな状態なのに、彼は一人暮らしをしている。家族と仲が悪いわけではないみたいなのだが、どうしても一人暮らしを続けなくてはいけない理由があるらしい。
一体どんな理由なのか、それは訊けないでいるけれども。
たっぷりと時間をかけて昼食を食べた後、博物館へと向かう。
今の期間は書の特設展をやっていると言うことで、それが目当てで来た。
正直なことを言うと、僕は書について詳しいわけでは無い。悠希も、書はよくわからないと言っていた。
だけれども、僕は書の時に力強く、時に流れるような線が好きだし、悠希もどんな言葉が綴られているのかを想像するのが好きだと言っている。
展示室の前で貸し出しをしている音声ガイドを受け取り、二人揃ってヘッドホンを頭にかける。
平日なせいか幾分閑散とした、薄暗い展示室の中で展示品をじっくりと眺めながら、音声ガイドを聞く。
美術館や博物館では、こうやって音声ガイドを借りることが多い。展示されているパネルに書いていないことも解説されているし、文字と作品の間で視線を往復させる事も無く済むからだ。
ふむ、今回の音声ガイドを吹き込んだ人は、随分と流暢に話すし、聞き取りやすいね。
この音声ガイドがCDになって販売されていたら、買っていたかも知れないな。
展示室を回り終わり、ミュージアムショップで図録も買って。博物館併設の休憩所で、飲み物を飲みながら悠希と二人で話をして居る。
「そう言えば、悠希が書に興味を持ったきっかけは何なんだ?」
「きっかけ? 高校の時に本格的な書を初めて見て、すごいなって思ったんだよね。
それで、美術館とか博物館でたまに見るようになったんだ」
悠希は、高校の話をする時いつも楽しそうだ。なんでも、学校の授業や部活が楽しかったのだという。
だけれども、中学以前の学校の話は余りしたがらない。詳しくは聞いていないのだが、小学、中学と、いじめられていたらしい。
その時の不満をもっと吐き出せば楽になれるだろうのに、悠希はそれをしない。
どんな嫌がらせをした相手であっても、悪口を言ったり、悪評を広めたりしたくないのだそうだ。
こんなにも優しく、清廉な彼が、聖職に就いたらどれだけの人々が救われたのだろう。
そう思っても、悠希はクリスチャンでは無いし、無理に改宗させることも出来ない。
何より悠希には、目標があった。
今は医者から就業を禁じられている身だから出来る事だけれど。と言っていたけれども、悠希は小説家を目指して、日々執筆をしていて、出版社に投稿もしている。
賞を貰ったと言う話はよく聞くのだけれど、小説が出版されるという話はとんと聞かない。小説家というのも、厳しい世界なのだろう。
投稿して賞を取ったと言っても、なかなか信じられないと言う事もあるだろう。だが、悠希は小説の賞金で生計を立てていると言うのも有り、実際それで生活をして居るのを見ると、嘘では無いのだなと思う。
ただ、悠希が小説家を目指しているのは良いのだが、問題が一つ。
「悠希、この前小説大賞に応募して賞を貰っただろう? その後、どうなったんだい?」
「え? あ、あの、また出版社が潰れちゃった……」
「本当に運が無いな」
悠希の投稿先が悪いのか、賞を貰う度に出版社が潰れるのだ。
これは一体どういう事なのだろうな。不思議ではあったけれども、これも神様が乗り越えるべき試練として与えている物かも知れない。
博物館を後にし、夕食時よりも前に家に帰れるように、悠希と別れた。
悠希は犬を飼っているので、その食事の用意をしなくてはいけないのだ。
博物館で買った図録を持ち、電車に揺られる。
偶には勤やイツキを誘っても良いのだろうが、あの二人が美術的な物に興味があるかどうかわからないので、どうしても美術の素養がある恋人か、悠希を誘いがちになってしまう。
何とも無しにスマートフォンを取り出し、電話帳を眺める。
「でも、今度駄目なのを覚悟して、誘ってみても良いか」
そう言えば、あの二人と話す時は近況か仕事のことばかりだなと、改めて思った。