それぞれ顔を見合わせて困惑している。
 
 どうしてなのか。誰が死んだのか。聞きたくても碧理は顔を手で覆ったまま中々顔を上げない。
 
「花木! 誰が死んだんだよ。どうやって! 誰かに殺されたのか?」
 
 慎吾が興奮気味に声を荒げて立ち上がる。
 それにつられるように翠子も立ち上がり、縋るように慎吾の腕を掴んだ。その顔色は蒼白だ。
 
「ちょっと! 赤谷、落ち着きなさいよ。それに、今、全員生きてるじゃない!」
 
 美咲も立ち上がり、碧理を守るように慎吾の前で仁王立ちになった。
 
「それは、そうだけど……。花木、誰が死んだんだよ」
 
 美咲の剣幕に驚いた慎吾は、少しだけ冷静になったようで、もう一度碧理を見る。
 唇を噛みしめて涙を何度も手で拭っていると、目の前にハンカチが差し出された。
 
 角に小さく白い糸で描かれた猫の刺繍が見える。
 
 それは何回も見ているハンカチで、一昨日は黒色。そして今はネイビーだ。どうやら蒼太はここのブランドが好きらしい。
 一人だけ冷静な様子の蒼太は、碧理と目が合うと悲しそうに笑った。
 何かを悟ったように。
 そして、目尻を下げて口を開いた。
 
 
「……死んだのは僕でしょう? じゃなきゃ、あんなに毎日、僕のこと心配そうに見ないよね? ごめんね……花木さん一人にだけ辛い記憶が残ったままで」
 
 その言葉で、更に碧理の瞳から涙が零れた。
 それは碧理の、布団を握り締めている手の甲に落ちていく。
 
「私を庇ったの。本当は、私が死ぬはずだったのに……ごめんなさい。ごめんなさい!」
 
 泣きじゃくり始めた碧理に、蒼太はハンカチを優しく手渡す。
 
「花木さん。君が死んでいたら僕も同じことをしたよ。そして、記憶が残ったままだったのは僕だったかも知れない。だから……自分を責めるのは止めて。僕は今、生きているから大丈夫だよ」
 
 碧理の手の中で強く握ったハンカチは、さらにしわくちゃになった。
 蒼太は自分を責めるなという。
 だけど、あの夜を思い出すと、碧理の心は冷静ではいられない。
 
「……ずっと、森里君を見ていたのは、いつか消えてしまうんじゃないかと思って。その時は、今度は私が助けなきゃって……ごめんなさい」
 
 懺悔を繰り返す碧理に、蒼太は首を何度も振る。
 そして、慰めるように頭を撫でた。
 すると美咲も傍に来ると座り込み、涙で濡れた碧理の両手を取った。
 
「……正直に言うと、私じゃなくて森里で良かったって思うの。そのせいで記憶がなくなったのは残念だけど、私は皆が今、生きていて嬉しい。だから記憶をなくしたこと自体は気にしない。だから泣かないで!」
 
 美咲の励ましのような思いがけない言葉に、思わず碧理の涙が止まる。
 
「……白川、それ酷くない? 死んだ本人目の前にして」
 
 呆れたような蒼太の言葉にも、美咲は動じない。
 
「あ、ごめん、ごめん。でも、森里も記憶がないのなら、それはそれで良かったって思わない? 覚えていたら精神状態絶対最悪よ。何度も自分が死ぬ瞬間思い出すなんて最悪じゃない」
 
 美咲の言うことも一理あった。
 蒼太が死んだ光景を覚えている碧理は、自責の念でこの二カ月間苦しんで、悪夢ばかり見てきた。
 それを思えば、記憶がないだけ幸せなのかも知れない。
 
「おい、お前ら。本当にそんな非常識で非科学的なことを信じるのか? あり得ないだろ? 人が死んで生きかえるとか。俺は信じない。花木の虚言かも知れないだろ」
 
 美咲や蒼太と違って、慎吾は信じていない様子で捲し立てる。それに応戦したのは美咲だった。
 
「なによ、赤谷。碧理が私達に嘘を付いて何の得があるのよ!」
 
 慎吾に掴みかかる勢いで立ち向う。
 
「あのな、現実を見ろよ。証拠も何もないんだぞ。俺達の記憶がないことは事実だけど、蒼太が死んだとかあり得ない。しかも、願いで人が生きかえるとか……。なら、大切な人が死んだ家族や恋人は、全員、洞窟で願うだろ? 花木は他に何か隠しているんだよ。それ以外の事実を」
 
「世の中、不思議なことだって起きてるじゃない。超常現象や心霊現象だって、どう説明するのよ。それに、この赤いノートが赤谷の家にあったことや、私が持っていた指輪だって説明がつかないわ!」
 
 二人がそれぞれ言ったことは全部当たっている。
 
 現実には信じられない奇跡のような体験。それを碧理達は経験したのだ。
 本来、願いが叶うのは、その人の努力や奇跡も含まれる。人が生き返る現実は、はっきり言ってありえない。
 
「――私は信じます。碧理さんを」
 
 美咲と慎吾の言い争いを止めたのは翠子の言葉。
 翠子は、碧理の目の前に座り込むとハンカチを自分の鞄から取り出した。
 
「このハンカチは森里さんの物だったのですね。これは、私の部屋にある、机の引き出しの中から出てきました」
 
 それは、碧理が今、持っているハンカチと同じ物。
 ネイビーのハンカチには四つ角の一角に猫の絵が描かれている。
 
「どうして、翠子さんが持ってるの? 二カ月前に俺が貸したとか?」
 
 蒼太は翠子から受け取ると、まじまじと自分のハンカチを眺めた。
 
「私が借りたのですか? このハンカチを」
 
 答えを持っていない翠子は碧理を見た。
 
「……正確には違う。そのハンカチは、私が森里君から借りたの。一日目の夜にカレーを作ろうとして包丁で指を少し切ったんだ。その時、貸して貰ったの。その後、翠子さんが転んで膝を擦りむいたから貸したの。もちろん、森里君から許可貰ったよ」
 
 懐かしそうに碧理は目を細める。
 廃校で過ごした、あの夜を。
 
 
「――花木さん。提案なんだけど、僕と一緒に当時のルートをまた最初から辿ってみない?」
 
 そう言い出したのは蒼太だ。
 思いもよらなかった提案に、碧理は泣きすぎて真っ赤な瞳を蒼太に向ける。