打起しには「正面打起し」と「斜面打起し」の二通りある。草越(くさこし)高校では正面打起しを採用している。このように各学校で打起しをはじめ、矢を放つまでの動作に違いがある。大会では中りが求められるけど、各々が身につけた射形を見せる場にもなっているため、人によっては二通りの楽しみ方ができる。このように試合の観戦は、弓道の知識を深めるためにも最高の場となっている。
 打起した凛は、弓道の基本動作である「射法八節(しゃほうはっせつ)」通りの流れにそって動作を進めていく。大三(だいさん)の姿勢をとった凛は「引分(ひきわ)け」の動作に移る。そして僕が弓道の一番の見どころだと思う瞬間が訪れる。引き切ったままの姿勢を数秒間保つ。この「(かい)」こそ、僕が弓道にのめり込むきっかけだった。
 会には今までの動作の全てが含まれている。そしてその後訪れる「(はな)れ」へと続く大切な時間。この時間をしっかりと保つことこそが、弓道の美へとつながると僕は思っていた。
 そして、凛にも離れの瞬間が訪れた。
 パンッ。
 放たれた矢が、的の真ん中を射ぬいた。
「「よっしゃー!」」
 突然、周囲が賑わい出す。隣にいた草越高校の刺繍が入った袴を身に纏う、女子弓道部の人達が一斉に声を上げた。つられて僕も一緒に叫ぶ。
 弓道は(たち)の間、しゃべることが一切ない。聞こえるのは離れの瞬間に鳴る弦音(つるね)と、的に中った時の爽快な音だけ。観客は話してもいいけど、基本的にはしゃべらない。
 しかし唯一大きな声を出す場面がある。矢が的に中った時だ。このとき、観客やチームメイトは喜びを爆発させる。たいていの学校は「よっしゃー」と言う。これは「良い射」だったことを表しており、そこから「よっしゃー」へと転じていると言われている。学校によっては、ただ叫んでいるようにしか聞こえないところもあり、僕は意味を知るまで喜びを表現しているだけだと思っていた。
 歓声の残響が残る中、凛は離れの姿勢のまま佇んでいた。この姿勢は「残心(ざんしん)」または「残身(ざんしん)」とも言う。正面から見ると、大の字を彷彿とさせる姿勢。その姿には今まで行ってきた動作を一気に爆発させた直後の美しさ、儚さを感じることができる。
 初めての大会で一射目を的中させた凛は、嬉しさを爆発させるかのように大きな残心をとっていた。しばらく余韻に浸っているのか、通常よりも長い残心だった。