# 6 夢の終わり
「俺は祓い屋じゃない。この村に来たのは、本当に純粋に雨を降らせてほしい、という依頼があったからだよ。到着の時に予行演習で雨を降らせてみたけど、途中で君に妨害された」
「わ、私、そんなつもりじゃ……」
「知ってるよ。分かってる」
涼介は、狼狽える楓に微笑みかける。
「同年代で同じように見える子に会ったのは初めてで、つい浮かれてたんだ。だからこんな風になるまで、わざと放置してしまった」
「涼介くん……?」
「君と話せて良かった。俺はこの出会いを、忘れない」
知りたいと思っていた涼介の本音を聞く事ができ、楓はとても嬉しかった。
そして、それと同じくらい悲しい。
涼介の言葉は、別れる前提のものだったから。
「……やだよ」
「杉崎さん?」
「楓(ふう)って呼んで。東京に帰っても、友達でいようよ。私、また涼介くんに会いたい。今度は東京のお祭りに一緒に行きたいよ……」
楓は嫌々するよう首を振る。
涼介は戸惑ったように楓を見つめたが、ためらいがちに口を開いた。
「君が、俺のことを覚えていてくれるなら……もう話している時間はない。今は、この干からびそうな天気を何とかしないとね」
涼介はズボンの尻ポケットから、なんとアメフラシさまを取り出した。
ずるずるとポケットからポケット以上の大きさのアメフラシさまが出てくる。四次元ポケット?! と楓は仰天した。
「失礼しますよ、アメフラシさま」
『うっしぃ』
続く行動も意外なものだった。
涼介はアメフラシさまを握りしめて雑巾のように、ねじって絞ったのである。
「そんなことしていいの?!」
「アメフラシさまだから大丈夫」
よく分からない理由だ。
絞られたアメフラシさまから体液がにじみだし、水蒸気になって立ち上った。 水蒸気は空に昇って雲になる。
雲は、夢喰虫の放つ乾気を遮った。
今にも雨が降り出しそうな湿気が辺りに充満する。
「よし。これで時間を稼ぐ。あとは夢喰虫を地面に落とさないと」
「どうやるの? 私も手伝う!」
「なら、絵を描いて」
「絵?」
楓はきょとんとする。
「文章でもいい。夢喰虫は、君が作るものに込められた夢が大好物なんだ」
涼介は、楓の手を取ると、さっと横抱きに抱え上げた。
楓はびっくりする。
周囲の屋台の店主や、祭りの見物客も、涼介の行動に目を見張った。
「この子、下駄の鼻緒が切れたみたいなんで、社務所に運びます!」
「お、おう。やるな少年」
見物客から「ヒュー」と口笛の音。
楓は恥ずかしくなった。
「涼介くん!」
「その下駄じゃ、速く歩けないだろ」
涼介は境内の隅にある社務所に、楓を運び込む。
そして社務所の中から紙とペンを持って引き返してきた。
「書いて」
楓は震える手で渡されたペンを握る。
涼介は真剣な顔で言った。
「君の夢を、なりたいものや欲しいものを、その紙に描いて」
プリンターの用紙を抜いてきたのだろう。
A4の真っ白な紙を見て、楓は束の間、動きを止めた。
私が欲しいもの……私の夢。
「……内気で、教室の隅で本ばかり読んでいて、人付き合いが苦手で」
「うん」
「そんな、どうしようもない女の子が、ある日、恰好いい男の子に話しかけられて」
「うん」
「自分にも可能性があるんじゃないか。変わりたい……と願うの」
これは只の物語。
現実には人はそう変わらなくて、心ときめくような出会いがあったとしても、二人には悲しい別れが待っている。現実にはハッピーエンドはない。人生はずっと続いていくのだから。
でも、今だけは。
物語の中でくらい。
願いが叶ってもいいじゃないか。
紙に線を引いて物語を紡ぐ。
惹かれ合う少年と少女の姿を漫画に表現する。
「紆余曲折の末、波乱を乗り越えて、二人は結ばれる」
「うん」
「ずっと一緒に……」
社務所の空気が震える。
壁を突き抜けて、半透明の揚羽蝶が、七色の鱗粉を散らしながら飛んできた。
夢喰虫、別名、本の虫。
中途半端に夢を現実にする、人騒がせな、儚いあやかし。
涼介は楓の前に立ち、アメフラシを両手に持って掲げた。
「諸々の罪穢れ、曲霊を頂戴する!」
アメフラシが伸びて薄い幕のように広がった。
生まれたばかりの夢喰虫は、危機に気付くこともなくアメフラシの口の中につっこむ。アメフラシは夢喰虫を丸のみにした。
美しい蝶の翅が、ばらばらになった。
七色の鱗粉が爆発するように散る。
楓は気が遠くなって、紙の上に突っ伏した。
「杉崎さん!」
気を失った楓の肩に手を置き、涼介は膝を付いた。
「ごめん。君に、俺のような想いを味わって欲しくないんだ。取り返しの付かないことをやらかして、人の世界に戻れなくなるようなことになっちゃ、駄目なんだ」
乱れた浴衣の裾をそっと直して、彼女の髪に触れる。
「参ったな。俺も夢喰虫の影響を受けて、君の空想に引きずられたんだろうけど、君と恋人みたいに過ごした数日間、悪くない夢だった」
ぽたり、と涼介の伏せた瞳から滴がこぼれる。
社務所の外で「夕立だ」と騒ぐ声がした。
「抑えないと……アメフラシさまじゃなくて、俺が感情のままに雨を降らせると、降らせすぎちゃうから」
少年は空いた手で自分の顔を覆う。
雨が止むまで、しばらくその体勢でうずくまっていた。