# 4 あやかし憑き


 夜中、嫌な予感がして、楓は目が覚めた。
 部屋の外からガサコソと音がする。
 まるで何かが家に侵入しようとしているような。
 
「……涼介くんのところに行かなきゃ!」
 
 涼介のことだから、前のように河原を散歩しているかもしれない。
 なぜか無性に彼に会いたくなった。
 楓はぼんやり光る芋虫を鞄に入れると、部屋を出た。
 勝手口から庭に出ようとして足を止める。
 
『オマエ、マルカジリ』
「ひっ?!」
 
 進行方向に、涼介が「曲霊(まがひ)」と呼んでいた大きな人面がぼうっと浮かんでいた。
 楓は一瞬、硬直したが、きびすを返して逆方向へ逃げ始める。
 土間を走って表の玄関へ。
 川辺とは逆方向にある、村の大通りの方へ。

 楓は大通りにまろびでると、スマートフォンの画面を確認した。
 電源スイッチを押して画面を点灯する。
 右上のアンテナ―マークには「×」が付いていた。
 
「これってアレ? 怪談ものにつきものの、電波が通じませんってヤツ?!」
 
 背後からはゴソゴソと曲霊が追ってくる音がする。
 思いきり足音を立てて出てきたにも関わらず母親や祖母が起きないのは、ここが隔離された空間だからなのだろうか。真夏だというのに冷気が辺りに漂っている。
 楓は薄暗い通りを見渡した。
 両脇に並ぶ日本家屋は闇に沈んでいる。
 道路に立つ街灯は不気味にジジジと点滅した。
 
『オーマーエー』
 
 家から出てきた空中に浮かぶ人面の怪物、曲霊が迫ってくる。
 
「神社! 神社に行けば……」
 
 昨日、涼介と会った八咫烏神社の敷地に入れば、怪物は追ってこないかもしれない。だいたい創作では神社に魔物は入ってこない設定だ。わずかな希望にかけて、楓は通りを駆けだした。
 だが、行くてをさえぎるように、もう一体の曲霊が立ちふさがる。
 
「どうしろっての……!」
 
 楓は棒立ちになった。
 その時「バアン!」と映画の中でしか聞いたことのない銃撃音が響く。
 咄嗟に耳をふさぎ、地面にしゃがみこんだ。
 
『……かわいい孫娘のピンチじゃ! ものども出会えー!』
『おおー!』
 
 いったい何?
 おそるおそる見回すと、楓を挟み込んで守るように、白黒の古い軍服を着た老人たちが、旧式のライフルやマシンガンを手に曲霊と対峙している。
 
「誰?!」
『お爺ちゃんじゃぞ、楓や! 仏間の写真でしか知らんかもしれんが』
 
 老人の一人が楓に向かってグッと親指を立てて見せた。
 顔立ちに何となく親近感がある。
 仏間の写真と言われて、楓は自分が小さい頃に亡くなったという祖父を思い出した。
 
『盆じゃからのう、帰ってきておったんじゃ。それが役に立った』
「おじいちゃん?」
『ここはワシらが押さえておるゆえ、お前は家に戻って裏口から川に抜けるんじゃ!』
 
 祖父は腕をあげて、仲間の老人たちに『斉射、用意ー!』と合図する。
 銃撃が始まった。
 そこはもう、悪霊バーサス旧日本軍兵士という、現実ではありえないカオスな空間である。
 
「ありがとう、おじいちゃん!」 
 
 楓は爆音に耳をふさぎながら、家に戻った。
 早足で土間を駆け抜けて、中庭に出る。そのまま裏口の扉を開け、川岸に飛び出した。
 
「杉崎さん!」
 
 アメフラシを頭に乗せた涼介が、勢い余って倒れ込みそうな楓を抱き留めた。
 涼介は楓の背中に腕を回して支えながら、心配そうな表情をする。
 
「怪我はない? 結界の気配が……外から中へ入れない仕組みだから、どうしようか悩んでたんだ」
「涼介くん、お爺ちゃんが……!」
 
 涼介の腕の中で、来た道を振り向いて、楓はぎょっとした。
 裏口の扉から黒い塊が這って出てこようとしている。
 黒い塊が津波のように伸びあがると、その頂点にぎょろりと巨大な人面が浮かんだ。
 
『ウラメシヤ……』
 
 二人をのぞきこむように、巨大な曲霊は睥睨する。
 目が合ってしまった楓は動けなくなった。
 涼介は楓の身体をそっと地面に降ろすと、胸を張って曲霊を見上げた。
 
「アメフラシさま!」
『うっしー!』
 
 涼介の頭の上から飛び出したアメフラシが、あっという間に膨れ上がって大きな水泡になる。
 空中に浮かぶ泡は、途中から中心に穴が空き、ドーナツ状になった。
 
「来い!」
 
 涼介の挑発に、曲霊は唸り声を上げると、のしかかるように頭上から落ちてくる。
 アメフラシが変じたドーナツの輪をくぐる瞬間。
 
「科戸(しなと)の風の、天の八重雲を吹き放つ事の如く!」
 
 涼介が早口で祝詞を唱える。
 途端にアメフラシは白い光を放ち、曲霊を粉々に分解した。
 曲霊は『ヲヲヲ……!』と重低音の悲鳴を上げる。
 その姿が頭の方から薄くなり、黒いもやは風に吹き払われるように消失した。
 
『げっぷ』
 
 空中に光が集まってアメフラシの姿になる。
 心なしか、最初に見た時より太った姿になっていた。
 
「やった!」
 
 楓は歓声を上げた。
 アメフラシをキャッチした涼介は苦笑する。
 
「間に合って良かったよ。ああ、肝が冷えた……」
「これで一件落着なの?」
「さっきのは親玉みたいだからね。あれより大きいのは、そうそう出て来ないだろ」
 
 楓はほっと安心した。
 思い付いてスマートフォンを見るとアンテナが元に戻っている。
 時刻は一時を過ぎたところだ。
 
「……明日、というかもう今日だけど。神社の境内に屋台が並ぶじゃん。杉崎さん、一緒に立ち食いしない?」
 
 背中越しに楓のスマートフォンを見て、時刻を確認した涼介が言ってきた。
 
「いいの?!」
 
 連絡先交換を断られたので、嫌われたかと思っていた。
 楓は涼介の誘いに目を輝かせる。
 
「それじゃあやっぱり連絡先を交換しようよ。涼介くんの連絡先、知りたい」
「あー……」
 
 涼介は何故か気まずい表情になって、宙に視線をさ迷わせた。
 
「……俺のスマホ、いっつも圏外なんだ」
「へ?」
「アメフラシさまの影響で……使えない時の方が多い」
 
 いつもと違い歯切れの悪い説明だった。
 楓はきょとんとする。
 
「じゃあ友達と連絡する時って、どうしてるの?」
「こういう体質だから……友達作れないんだよ」
 
 涼介は言いにくそうに呟いた。
 何と返したら良いか分からなくなって、楓は少し迷った。
 
「私とはもう友達だよね? お祭り一緒に見ようって、言ってくれたもんね」
「……うん」
「待ち合わせ時間と場所、決めようか」
「うん……」
 
 素直に頷く涼介が可愛い。
 二人は照れながら約束をして、昨夜のように川岸で別れた。