* * *
「いいところはありそう?」
プロポーズから1か月。婚約指輪を選びに行った帰りに俺の部屋に来た榊さんが、キッチンでケーキを皿に乗せながら尋ねた。俺は床の上の小さいテーブルでパソコンを開き、結婚式場を探している。
ホテルに教会、神社、結婚式専門の施設にレストラン。式を挙げようと思ったら、選択肢はたくさんある。そして、費用もさまざまだ。
「まあ、それなりには」
もう半分飽きてしまった俺は、ぼんやりと画面を切り替えながら返事をする。
元旦に結婚する約束をした俺たちは、三が日中に両方の家にあいさつに行った。娘に彼氏の気配がないと思っていた榊さんの親御さんも、4年間も付き合っていた相手と違う女性を紹介されたうちの両親も、かなり驚いていた。
どちらにも反対されなかったのは、榊さんに対する信頼が大きいと思う。榊さんのご両親は、しっかり者の娘が選んだ相手だから。俺の両親は、榊さんと話して安心したから。やっぱり榊さんは素晴らしいひとだ。
でも、相変わらず、彼女は「好き」とは言ってくれない。腕を組むのも、手をつなぐのも俺から。
たまに、そのことがちょっとだけ淋しくなる。こんなに好きなのは、俺だけなんじゃないかって。
俺はそのたびに榊さんの恥ずかしそうな笑顔を思い出して、「そんなことない」と自分に言い聞かせる。それに、いくら何でも、それほど好きじゃない相手と結婚まではしないはずだ。
「テーブルを少し空けてくれる?」
キッチンから声がかかった。
「はーい」
俺はパソコンをずらしながら、彼女が両手に皿を持って来るのをそっと見守った。彼女がどこに座るのかと、少しドキドキしながら。
榊さんが部屋に来るのは結婚を決めたあと2度め。前回はふたりで夕食を作って食べて、それで終わり。もちろん楽しかったけど、俺にはちょっとだけ物足りなかった。榊さんにとっては初めての “彼氏の部屋” だったから――だって、熱を出したときは単なるお見舞いだ――後のことも考えて、安心してもらう必要があったから。
今日は少しだけ先に進みたい。ほんの少しでいいから。
テーブルにケーキと紅茶を並べながら、榊さんは友達の結婚式の話をしている。それが済むと……隣に座った。
(よし!)
緊張して、少し鼓動が速くなる。榊さんがいる側の肌がちりちりする。
「どんなところがあるの?」
隣からパソコンを覗き込む彼女。俺は履歴画面からいくつか開いて見せながらそれぞれの特徴を説明する。でも、頭の中では違うことを考えている。
「どれがいいのか分からないね。予約でいっぱいかも知れないし」
彼女が首を傾げながら俺の方を向いた。
(今だ)
榊さんに、込められるだけの想いを込めて微笑みかける。
「式が挙げられなくても、先に一緒に住んじゃうっていう方法もあるけど」
「え?」
訊き返した隙を狙い、彼女の唇にそっとキスを。
(榊さんのファーストキス、もーらった!)
驚いて固まっている彼女にもう一度。そして、まだぼんやりと俺の顔を見ている彼女を抱き締めて、ゆっくりともう一度――。
彼女の肩に力が入り、ちょっともがいて体を引いた。ぱっちりと目を開けて、俺を間近に見つめた彼女の口から出たのは。
「え、ええと、紅茶、どうぞ?」
「くふっ」
思わず笑ってしまった。
きっと、どうしたらいいのか分からないのだ。紅茶をどうぞと言ったきり、困った顔さえできなくて、ぽかんと俺を見ている。
今日はここまでにしよう。
男が苦手な榊さんの、俺は初めての恋人。“腕を組む” と “手を握る” の次の段階としては、これくらいがいいんじゃないだろうか?
「じゃあ、そうしようかな」
最後にもう一度だけ軽くキスをして、彼女から手を離した。
ホッとした様子で彼女はパソコンを遠くに押しやり、ケーキと紅茶を二人の前に並べなおす。それから。
(え……?)
すすす……と寄って来て、ぴとっと肩をくっつけた。
(榊さん……)
こんなに素直に自分から近付いてくれたのは初めて。その可愛らしい愛情表現に胸がいっぱいになる。愛しくて愛しくてたまらない。
こみ上げる喜びを隠し、こんなことなんでもない、というふりをしてケーキにフォークを入れる。腕に、榊さんが笑った気配を感じた。
「あのねえ、紺野さん」
軽く俺に寄り掛かり、紅茶のカップを見つめながら、榊さんがつぶやいた。甘えた声に胸が震える。
「はい?」
「あたしね」
「うん」
「紺野さんのこと、とっても好き」
ガチャン! とフォークが皿に当たった。一瞬、自分の耳を疑う。
(何だこれは!?)
絶対に聞けないと思っていた言葉。それを、こんなに可愛らしく言われるなんて!
「あはは、嬉しいなあ。特にどこが?」
あまりにも嬉しすぎるせいか、態度が妙に硬くなってしまった。心臓はバクバクしてるし、フォークも上手く扱えていない。
「んー……、あのねえ、一緒にいると安心なの」
「安心?」
「そう。いつもあたしのことを心配して、見ていてくれるから」
俺の肩に寄り掛かったまま、満足そうに息を吐く彼女。
――「安心なの」
彼女の言葉が、俺の胸にずどんと響く。それこそ俺が目指していたものだ。彼女に与えたいと思っていたもの。
「いいよね、ふたりでいるって。んふふ」
「いいところはありそう?」
プロポーズから1か月。婚約指輪を選びに行った帰りに俺の部屋に来た榊さんが、キッチンでケーキを皿に乗せながら尋ねた。俺は床の上の小さいテーブルでパソコンを開き、結婚式場を探している。
ホテルに教会、神社、結婚式専門の施設にレストラン。式を挙げようと思ったら、選択肢はたくさんある。そして、費用もさまざまだ。
「まあ、それなりには」
もう半分飽きてしまった俺は、ぼんやりと画面を切り替えながら返事をする。
元旦に結婚する約束をした俺たちは、三が日中に両方の家にあいさつに行った。娘に彼氏の気配がないと思っていた榊さんの親御さんも、4年間も付き合っていた相手と違う女性を紹介されたうちの両親も、かなり驚いていた。
どちらにも反対されなかったのは、榊さんに対する信頼が大きいと思う。榊さんのご両親は、しっかり者の娘が選んだ相手だから。俺の両親は、榊さんと話して安心したから。やっぱり榊さんは素晴らしいひとだ。
でも、相変わらず、彼女は「好き」とは言ってくれない。腕を組むのも、手をつなぐのも俺から。
たまに、そのことがちょっとだけ淋しくなる。こんなに好きなのは、俺だけなんじゃないかって。
俺はそのたびに榊さんの恥ずかしそうな笑顔を思い出して、「そんなことない」と自分に言い聞かせる。それに、いくら何でも、それほど好きじゃない相手と結婚まではしないはずだ。
「テーブルを少し空けてくれる?」
キッチンから声がかかった。
「はーい」
俺はパソコンをずらしながら、彼女が両手に皿を持って来るのをそっと見守った。彼女がどこに座るのかと、少しドキドキしながら。
榊さんが部屋に来るのは結婚を決めたあと2度め。前回はふたりで夕食を作って食べて、それで終わり。もちろん楽しかったけど、俺にはちょっとだけ物足りなかった。榊さんにとっては初めての “彼氏の部屋” だったから――だって、熱を出したときは単なるお見舞いだ――後のことも考えて、安心してもらう必要があったから。
今日は少しだけ先に進みたい。ほんの少しでいいから。
テーブルにケーキと紅茶を並べながら、榊さんは友達の結婚式の話をしている。それが済むと……隣に座った。
(よし!)
緊張して、少し鼓動が速くなる。榊さんがいる側の肌がちりちりする。
「どんなところがあるの?」
隣からパソコンを覗き込む彼女。俺は履歴画面からいくつか開いて見せながらそれぞれの特徴を説明する。でも、頭の中では違うことを考えている。
「どれがいいのか分からないね。予約でいっぱいかも知れないし」
彼女が首を傾げながら俺の方を向いた。
(今だ)
榊さんに、込められるだけの想いを込めて微笑みかける。
「式が挙げられなくても、先に一緒に住んじゃうっていう方法もあるけど」
「え?」
訊き返した隙を狙い、彼女の唇にそっとキスを。
(榊さんのファーストキス、もーらった!)
驚いて固まっている彼女にもう一度。そして、まだぼんやりと俺の顔を見ている彼女を抱き締めて、ゆっくりともう一度――。
彼女の肩に力が入り、ちょっともがいて体を引いた。ぱっちりと目を開けて、俺を間近に見つめた彼女の口から出たのは。
「え、ええと、紅茶、どうぞ?」
「くふっ」
思わず笑ってしまった。
きっと、どうしたらいいのか分からないのだ。紅茶をどうぞと言ったきり、困った顔さえできなくて、ぽかんと俺を見ている。
今日はここまでにしよう。
男が苦手な榊さんの、俺は初めての恋人。“腕を組む” と “手を握る” の次の段階としては、これくらいがいいんじゃないだろうか?
「じゃあ、そうしようかな」
最後にもう一度だけ軽くキスをして、彼女から手を離した。
ホッとした様子で彼女はパソコンを遠くに押しやり、ケーキと紅茶を二人の前に並べなおす。それから。
(え……?)
すすす……と寄って来て、ぴとっと肩をくっつけた。
(榊さん……)
こんなに素直に自分から近付いてくれたのは初めて。その可愛らしい愛情表現に胸がいっぱいになる。愛しくて愛しくてたまらない。
こみ上げる喜びを隠し、こんなことなんでもない、というふりをしてケーキにフォークを入れる。腕に、榊さんが笑った気配を感じた。
「あのねえ、紺野さん」
軽く俺に寄り掛かり、紅茶のカップを見つめながら、榊さんがつぶやいた。甘えた声に胸が震える。
「はい?」
「あたしね」
「うん」
「紺野さんのこと、とっても好き」
ガチャン! とフォークが皿に当たった。一瞬、自分の耳を疑う。
(何だこれは!?)
絶対に聞けないと思っていた言葉。それを、こんなに可愛らしく言われるなんて!
「あはは、嬉しいなあ。特にどこが?」
あまりにも嬉しすぎるせいか、態度が妙に硬くなってしまった。心臓はバクバクしてるし、フォークも上手く扱えていない。
「んー……、あのねえ、一緒にいると安心なの」
「安心?」
「そう。いつもあたしのことを心配して、見ていてくれるから」
俺の肩に寄り掛かったまま、満足そうに息を吐く彼女。
――「安心なの」
彼女の言葉が、俺の胸にずどんと響く。それこそ俺が目指していたものだ。彼女に与えたいと思っていたもの。
「いいよね、ふたりでいるって。んふふ」