楽しいクリスマスが過ぎ、忙しない年末が過ぎた。
榊さんと俺の関係は少し落ち着いて、彼女が困った顔をする回数が減った。困った顔じゃなく、ちゃんと嬉しそうな顔をしてくれるようになったから。
年が明けた1月1日。榊さんと出かけた初詣で、俺は彼女に結婚を申し込んだ。きっかけは、初詣先の浅草寺で偶然に会った椚係長夫妻だった。
椚さんは、俺が入社したときに庶務係にいた先輩。榊さんとも1年間一緒に仕事をしている。その後、給与係の係長になったあと、奥さんの復職と交代して、何か月か育児休業を取っていたこともある。穏やかな、人当たりの良い人で、社内のセクハラ相談員などもやっている。
社内結婚の奥さんである春香さんは、出先の事業所の係長。春香さんもよく用事で庶務係に来るので、俺たちはみんな顔見知りだった。
まだ椚さんが庶務係にいたころ、春香さんが赤ちゃんを連れて来たことがある。カウンターから「りょうちゃん、りょうちゃん!」と呼ばれて、諦めた様子で苦笑していた椚さんが、俺には物珍しくて可笑しかった。
春香さんは、にこにこと知り合いに手を振ったり、赤ちゃんを見せたりして、とても楽しそうだった。ふたりが周囲から温かく受け入れられているのを見て、俺は社内結婚の見本を見たような気がしたのだった。
浅草寺で会ったふたり……じゃない、お子さんを入れて三人は、なんともほのぼのとした家族連れだった。甘酒を飲んでいる俺たちを見て春香さんが何かを思い出したらしく、「あのときは可笑しかったよね?」と、椚さんを見ながらくすくす笑った。眠ってしまった男の子を抱いた椚さんは、春香さんにちょっと顔をしかめてみせた。
「あ、ごめんなさーい。うふふふふ」
春香さんが楽しそうに笑う。こんなふうに無邪気なひとだけれど、仕事では大きな契約を何件もまとめた実績を持っている。
「職場ではまだ内緒?」
椚さんの質問に、俺たちは顔を見合わせてから頷いた。槙瀬さんと里沢さん以外、まだ誰も知らないままだ。
「結婚を考えているなら、職場の都合もあるだろうから、上の人には早めに話した方がいいよ」
椚さんの言葉に春香さんもうんうんと頷いた。
にこやかに手を振って去って行く椚さん一家を見送りながら、俺は決心した。迷う理由なんて、何も無かった。壁にぶち当たったらふたりで乗り越えればいい。榊さんと一緒なら、きっと大丈夫だ。
「結婚しましょう、榊さん」
振り向きざまに宣言すると、榊さんがぎょっとしたように目を丸くした。
隣で甘酒を飲んでいたカップルは、さり気なく俺たちから距離を取った。ちょうど横を通った参拝客は、俺たちをじろじろ見ながら通り過ぎた。
「何? 甘酒で酔っ払ってるの?」
榊さんが小声で尋ねる。
「いいえ、酔ってません。何か問題ありますか?」
「え、あ、その……、早いんじゃないかと」
「何が?」
「決めるのが」
「え? 俺たち知り合ってからもう4年ですよ?」
「ああ、まあ、それはそうだけど……」
榊さんは困った顔をした。
「もしかして、まだ “お試し期間中” だって言うんですか?」
「ん……、そういうわけじゃ……ないけど」
「じゃあ、どうして?」
「なんか……、あたしでいいのかなって……」
そう言って下を向いてしまった彼女に、少し質問を変えてみる。
「榊さんは、俺が相手じゃ無理ですか?」
「え?」
「俺と一緒の未来は想像できませんか?」
何秒か考えてから、彼女は首を横に振った。
「ううん、そんなことない。紺野さんとなら、ずーっと上手くやっていける気がする」
真面目な表情で答えた彼女には、迷う気配はなかった。
「じゃあ、しましょう、結婚」
「……いいのかな?」
どうしてそこで迷うんだろう? 後戻りできないから?
「俺だって4年も榊さんを見てきてるんですよ? それで今、こんなに好きなのに」
「うわ、声が大きいよ」
「べつにいいです。恥ずかしくないし」
口に出しているうちにますますその気になって、それ以外考えられなくなってしまった。OKをもらうまで絶対に諦めない! という気分。
「だから結婚してください」
榊さんは気まずそうな様子でこっそり周囲を見回して、「こんな人混みで……?」とつぶやいた。隣のカップルには、今ではもう遠慮なく注目されている。
「俺、榊さんと離れたくないです」
「え?」
「ずっと一緒にいたい。愛してま――」
「うわわ、わ、分かりましたっ。分かったから」
なだめるような仕種で、榊さんが慌てて俺を止めた。そして。
「はい。します。紺野さんと結婚する。これでいい?」
「はい。やった!」
嬉しくて思わずバンザイした俺に、目が合った隣のカップルの男性が「おめっとざーす」と言ってくれた。甘酒屋のおばさんは、「お祝いに特別」と言っておかわりをくれた。
榊さんの分まで甘酒を飲んでほろ酔い気分になった俺は、どこかのテレビ局の「今年の目標は?」というインタビューに、「世界平和です!」と答えた。
榊さんと俺の関係は少し落ち着いて、彼女が困った顔をする回数が減った。困った顔じゃなく、ちゃんと嬉しそうな顔をしてくれるようになったから。
年が明けた1月1日。榊さんと出かけた初詣で、俺は彼女に結婚を申し込んだ。きっかけは、初詣先の浅草寺で偶然に会った椚係長夫妻だった。
椚さんは、俺が入社したときに庶務係にいた先輩。榊さんとも1年間一緒に仕事をしている。その後、給与係の係長になったあと、奥さんの復職と交代して、何か月か育児休業を取っていたこともある。穏やかな、人当たりの良い人で、社内のセクハラ相談員などもやっている。
社内結婚の奥さんである春香さんは、出先の事業所の係長。春香さんもよく用事で庶務係に来るので、俺たちはみんな顔見知りだった。
まだ椚さんが庶務係にいたころ、春香さんが赤ちゃんを連れて来たことがある。カウンターから「りょうちゃん、りょうちゃん!」と呼ばれて、諦めた様子で苦笑していた椚さんが、俺には物珍しくて可笑しかった。
春香さんは、にこにこと知り合いに手を振ったり、赤ちゃんを見せたりして、とても楽しそうだった。ふたりが周囲から温かく受け入れられているのを見て、俺は社内結婚の見本を見たような気がしたのだった。
浅草寺で会ったふたり……じゃない、お子さんを入れて三人は、なんともほのぼのとした家族連れだった。甘酒を飲んでいる俺たちを見て春香さんが何かを思い出したらしく、「あのときは可笑しかったよね?」と、椚さんを見ながらくすくす笑った。眠ってしまった男の子を抱いた椚さんは、春香さんにちょっと顔をしかめてみせた。
「あ、ごめんなさーい。うふふふふ」
春香さんが楽しそうに笑う。こんなふうに無邪気なひとだけれど、仕事では大きな契約を何件もまとめた実績を持っている。
「職場ではまだ内緒?」
椚さんの質問に、俺たちは顔を見合わせてから頷いた。槙瀬さんと里沢さん以外、まだ誰も知らないままだ。
「結婚を考えているなら、職場の都合もあるだろうから、上の人には早めに話した方がいいよ」
椚さんの言葉に春香さんもうんうんと頷いた。
にこやかに手を振って去って行く椚さん一家を見送りながら、俺は決心した。迷う理由なんて、何も無かった。壁にぶち当たったらふたりで乗り越えればいい。榊さんと一緒なら、きっと大丈夫だ。
「結婚しましょう、榊さん」
振り向きざまに宣言すると、榊さんがぎょっとしたように目を丸くした。
隣で甘酒を飲んでいたカップルは、さり気なく俺たちから距離を取った。ちょうど横を通った参拝客は、俺たちをじろじろ見ながら通り過ぎた。
「何? 甘酒で酔っ払ってるの?」
榊さんが小声で尋ねる。
「いいえ、酔ってません。何か問題ありますか?」
「え、あ、その……、早いんじゃないかと」
「何が?」
「決めるのが」
「え? 俺たち知り合ってからもう4年ですよ?」
「ああ、まあ、それはそうだけど……」
榊さんは困った顔をした。
「もしかして、まだ “お試し期間中” だって言うんですか?」
「ん……、そういうわけじゃ……ないけど」
「じゃあ、どうして?」
「なんか……、あたしでいいのかなって……」
そう言って下を向いてしまった彼女に、少し質問を変えてみる。
「榊さんは、俺が相手じゃ無理ですか?」
「え?」
「俺と一緒の未来は想像できませんか?」
何秒か考えてから、彼女は首を横に振った。
「ううん、そんなことない。紺野さんとなら、ずーっと上手くやっていける気がする」
真面目な表情で答えた彼女には、迷う気配はなかった。
「じゃあ、しましょう、結婚」
「……いいのかな?」
どうしてそこで迷うんだろう? 後戻りできないから?
「俺だって4年も榊さんを見てきてるんですよ? それで今、こんなに好きなのに」
「うわ、声が大きいよ」
「べつにいいです。恥ずかしくないし」
口に出しているうちにますますその気になって、それ以外考えられなくなってしまった。OKをもらうまで絶対に諦めない! という気分。
「だから結婚してください」
榊さんは気まずそうな様子でこっそり周囲を見回して、「こんな人混みで……?」とつぶやいた。隣のカップルには、今ではもう遠慮なく注目されている。
「俺、榊さんと離れたくないです」
「え?」
「ずっと一緒にいたい。愛してま――」
「うわわ、わ、分かりましたっ。分かったから」
なだめるような仕種で、榊さんが慌てて俺を止めた。そして。
「はい。します。紺野さんと結婚する。これでいい?」
「はい。やった!」
嬉しくて思わずバンザイした俺に、目が合った隣のカップルの男性が「おめっとざーす」と言ってくれた。甘酒屋のおばさんは、「お祝いに特別」と言っておかわりをくれた。
榊さんの分まで甘酒を飲んでほろ酔い気分になった俺は、どこかのテレビ局の「今年の目標は?」というインタビューに、「世界平和です!」と答えた。