「そんなこ……と、こほっ」
『ああ、ごめん』
榊さんが電話の向こうで慌ててる。
『あのね、食べるものとか……どうしてるかと思って、買って来たんだけど……』
「買って……?」
(来た?)
その表現は変だ。ぼんやりしていてもそれくらいは分かる。
「榊さん、今、どこに……?」
『たぶん、紺野さんの部屋の下……』
「えぇ!?」
一気にばっちりと目が覚めた。
急いでベッドから降りて、窓に駆け寄る。いきなり起き上がって動くなんて、寝起きが悪い俺には、健康なときでも滅多にできないことなのに。
カーテンの隙間から下を覗くと、道路の向かいにある街灯の下に、白っぽい袋を提げた榊さんが見えた。
「……間違いなくうちの下です」
この目で見ても信じられない。頭の中はいろいろな感情が混じり合ってパニックに陥っている。なのに口調はそれほどではないのが不思議だ。
『ああ、合ってて良かった。』
ほっとした声と同時に、下の道路の榊さんが建物を見上げた。
「あの、どうぞ上がって来てください。オートロックじゃありませんから。3階の真ん中、303です」
『うん。食べ物を置いたらすぐに帰るから、散らかしたままでもいいからね』
「あ、はい」
そう返事をしたものの、頭の中で「そんなわけには行かないだろ!?」と叫ぶ。
電話を切りながら照明のスイッチを入れ、床に脱ぎ捨ててあった服を次々と抱える。置く場所に迷う時間も惜しくて、そのまま全部、脱衣所に入れて扉を閉めた。テーブルに置きっぱなしだったサンドイッチの残りは冷蔵庫に。表紙が微妙な雑誌は裏返しに。
ほかに片付けるものがないかと部屋を見回しながら、着ているものの冷たさに気付いた。汗をかいたままだったので、冷えてしまったらしい。とりあえず見苦しくないようにパーカーを羽織ったところで呼び鈴が鳴った。玄関のドアを開けると、少し悲しそうな顔で微笑んでいる榊さんが立っていた。
「ええと、ごめんね、具合が悪いのに」
榊さんがまた謝った。
全部自分が悪いと思っているんだろう。きのうのことは、俺の勝手な行動なのに。
「いいえ。あの、とりあえず、入ってください」
のどが痛いので、あまりたくさんはしゃべれない。申し訳ない思いでスリッパを出そうと屈んだら、頭がクラッとした。思わず壁に片手をついて、目を閉じる。
「だ、大丈夫!?」
目を開けたときには榊さんが目の前にいて、肩に手が置かれていた。
「あたしのことはいいから、紺野さんは休んでて。ああ、本当にごめんね」
背中を押されるようにして部屋に戻りながら、申し訳なさと嬉しさが胸の中で争い、最後に嬉しさが勝った。「熱は?」と尋ねられ、「うーん」と首を傾げると、ソファーに座ろうとした俺を彼女はベッドへと向かわせた。ベッドに腰掛けたところで、彼女の手が額に触れる。
「熱いってほどじゃ……ないかな……?」
榊さんの手がひんやりと気持ちいい。わざわざ寒い中を来てくれたなんて、俺はなんて幸せ者なんだろう!
「とにかく休まないと。あたしのことは気にしないで」
俺を寝かせようと布団をめくった彼女が、そこでハッと動きを止めた。
(あれ!?)
何か見られちゃまずいものが出てきたのか? いや、何もない。
「紺野さん、汗かいた?」
「え、あ、はい」
もしかしたら臭いのかも。でも、今日は仕方がないんだけど……。
けれど、落ち込みかけた俺に聞こえてきたのは、「すぐに着替えなくちゃ」だった。
「濡れたパジャマのままでいたらダメだよ」
そう言いながら、俺の背中や肩に手を当てて確かめている。彼女の真面目な顔を見たら、俺は照れくささを隠してなすがままになっているしかなかった。
榊さんは次々に俺の体調や物のありかを尋ねながら、テキパキと着替えを用意してくれた。世話を焼いてもらえることが心地良くて、俺はぼんやりとベッドに座って彼女を見ながら、問われるままに下着の場所も教えた。
「体を拭いた方がいいよ。タオルは?」
「脱衣所の棚に……」
「ああ、玄関の方だよね?」
彼女が見えなくなってから、脱衣所に服を放り込んだことを思い出した。驚く声が聞こえるかと思ってひやひやしたけれど、何も聞こえなかったから、見なかったことにしてくれたのだろうとほっとした。けれど、濡れタオルを持って戻ってきたとき、榊さんはスーツを一緒に持って来て、ハンガーに掛けてくれた。やっぱり見過ごすことはできなかったらしい。
さすがに体を拭こうかとは言わず、彼女は買ってきたものを片付けるからと言って、玄関の方に行ってしまった。この部屋は全体に仕切りがないから、見えない場所に移動するしかないのだ。見えないとは分かっていても、榊さんの気配がする場所で着ている物を脱ぐのはドキドキした。
着替えが終わるとタイミング良く声が掛かって、バスタオルを何枚か抱えた榊さんが戻ってきた。そして、手早くベッドのシーツをはずして代わりにバスタオルを敷くと、俺にベッドに入るように言った。それから俺を掛け布団ですっぽりとくるみ、今度は洗濯物をまとめて運び去った。脱いだ下着のことを思ってあたふたしたのは、俺だけのようだった。
『ああ、ごめん』
榊さんが電話の向こうで慌ててる。
『あのね、食べるものとか……どうしてるかと思って、買って来たんだけど……』
「買って……?」
(来た?)
その表現は変だ。ぼんやりしていてもそれくらいは分かる。
「榊さん、今、どこに……?」
『たぶん、紺野さんの部屋の下……』
「えぇ!?」
一気にばっちりと目が覚めた。
急いでベッドから降りて、窓に駆け寄る。いきなり起き上がって動くなんて、寝起きが悪い俺には、健康なときでも滅多にできないことなのに。
カーテンの隙間から下を覗くと、道路の向かいにある街灯の下に、白っぽい袋を提げた榊さんが見えた。
「……間違いなくうちの下です」
この目で見ても信じられない。頭の中はいろいろな感情が混じり合ってパニックに陥っている。なのに口調はそれほどではないのが不思議だ。
『ああ、合ってて良かった。』
ほっとした声と同時に、下の道路の榊さんが建物を見上げた。
「あの、どうぞ上がって来てください。オートロックじゃありませんから。3階の真ん中、303です」
『うん。食べ物を置いたらすぐに帰るから、散らかしたままでもいいからね』
「あ、はい」
そう返事をしたものの、頭の中で「そんなわけには行かないだろ!?」と叫ぶ。
電話を切りながら照明のスイッチを入れ、床に脱ぎ捨ててあった服を次々と抱える。置く場所に迷う時間も惜しくて、そのまま全部、脱衣所に入れて扉を閉めた。テーブルに置きっぱなしだったサンドイッチの残りは冷蔵庫に。表紙が微妙な雑誌は裏返しに。
ほかに片付けるものがないかと部屋を見回しながら、着ているものの冷たさに気付いた。汗をかいたままだったので、冷えてしまったらしい。とりあえず見苦しくないようにパーカーを羽織ったところで呼び鈴が鳴った。玄関のドアを開けると、少し悲しそうな顔で微笑んでいる榊さんが立っていた。
「ええと、ごめんね、具合が悪いのに」
榊さんがまた謝った。
全部自分が悪いと思っているんだろう。きのうのことは、俺の勝手な行動なのに。
「いいえ。あの、とりあえず、入ってください」
のどが痛いので、あまりたくさんはしゃべれない。申し訳ない思いでスリッパを出そうと屈んだら、頭がクラッとした。思わず壁に片手をついて、目を閉じる。
「だ、大丈夫!?」
目を開けたときには榊さんが目の前にいて、肩に手が置かれていた。
「あたしのことはいいから、紺野さんは休んでて。ああ、本当にごめんね」
背中を押されるようにして部屋に戻りながら、申し訳なさと嬉しさが胸の中で争い、最後に嬉しさが勝った。「熱は?」と尋ねられ、「うーん」と首を傾げると、ソファーに座ろうとした俺を彼女はベッドへと向かわせた。ベッドに腰掛けたところで、彼女の手が額に触れる。
「熱いってほどじゃ……ないかな……?」
榊さんの手がひんやりと気持ちいい。わざわざ寒い中を来てくれたなんて、俺はなんて幸せ者なんだろう!
「とにかく休まないと。あたしのことは気にしないで」
俺を寝かせようと布団をめくった彼女が、そこでハッと動きを止めた。
(あれ!?)
何か見られちゃまずいものが出てきたのか? いや、何もない。
「紺野さん、汗かいた?」
「え、あ、はい」
もしかしたら臭いのかも。でも、今日は仕方がないんだけど……。
けれど、落ち込みかけた俺に聞こえてきたのは、「すぐに着替えなくちゃ」だった。
「濡れたパジャマのままでいたらダメだよ」
そう言いながら、俺の背中や肩に手を当てて確かめている。彼女の真面目な顔を見たら、俺は照れくささを隠してなすがままになっているしかなかった。
榊さんは次々に俺の体調や物のありかを尋ねながら、テキパキと着替えを用意してくれた。世話を焼いてもらえることが心地良くて、俺はぼんやりとベッドに座って彼女を見ながら、問われるままに下着の場所も教えた。
「体を拭いた方がいいよ。タオルは?」
「脱衣所の棚に……」
「ああ、玄関の方だよね?」
彼女が見えなくなってから、脱衣所に服を放り込んだことを思い出した。驚く声が聞こえるかと思ってひやひやしたけれど、何も聞こえなかったから、見なかったことにしてくれたのだろうとほっとした。けれど、濡れタオルを持って戻ってきたとき、榊さんはスーツを一緒に持って来て、ハンガーに掛けてくれた。やっぱり見過ごすことはできなかったらしい。
さすがに体を拭こうかとは言わず、彼女は買ってきたものを片付けるからと言って、玄関の方に行ってしまった。この部屋は全体に仕切りがないから、見えない場所に移動するしかないのだ。見えないとは分かっていても、榊さんの気配がする場所で着ている物を脱ぐのはドキドキした。
着替えが終わるとタイミング良く声が掛かって、バスタオルを何枚か抱えた榊さんが戻ってきた。そして、手早くベッドのシーツをはずして代わりにバスタオルを敷くと、俺にベッドに入るように言った。それから俺を掛け布団ですっぽりとくるみ、今度は洗濯物をまとめて運び去った。脱いだ下着のことを思ってあたふたしたのは、俺だけのようだった。