(何か悩み事? それとも、どこか具合が悪いのか?)
病気かも知れないと思ったら、急に不安になってしまった。誰も知らないということが、彼女の抱える問題が大きいことを物語っているようにも思えてしまう。
仕事中も、向こうの島に座っている榊さんが気になってしかたがない。毎日、今はため息をついていないだろうか、笑顔でいるだろうか、と心配している。なんだか自分の胃まで重たくなってきてしまった。だって、心配の種は、常に視界に入る場所にいるんだから。
(こんなことじゃ、俺の方が参っちゃうよ……。)
ちゃんと話してもらおうと決心したのは10月に入って間もなく。
彼女ははぐらかそうとするかも知れない。でも、俺が具合が悪くなりそうなほど心配していると分かれば、きちんと話してくれる気がする。それくらいは信用されていると思いたい。
* * *
榊さんを誘ったのは、少し上品な居酒屋。有機野菜の蒸し料理が人気の店で、女性客が多い。
隣の席とのしきりが壁になっていて気兼ねなく話ができるので、この店を選んだ。榊さんとも何度か来たことがあるし。
……と言っても、二人だけで飲みに来たのは初めて。いつも槙瀬さんや里沢さんが一緒にいた。
それはたぶん、俺に気を使ってのことだったと思う。雑談の中で、恋人がいる男が女性と二人で出かけるのはダメだ、みたいなことをちらりと言われたことがあるから。
榊さん自身は、槙瀬さんと二人で飲みに行くこともある。恋人のいない者同士だから問題が無いということだ。
そして、社内で榊さんと槙瀬さんの仲を疑っている人はほとんどいない。ということは、槙瀬さんと同じくらい榊さんと仲の良い俺なら、榊さんと二人で飲みに行くのもOKに決まってる。
誘うときには、俺が心配しているということは言わなかった。廊下で「久しぶりに行きませんか?」と声をかけ、念のため、「仕事が一山越えたんです」と付け加えた。店の名前を出すと、榊さんは「いいね」と笑顔でOKした。
彼女がほかにも誰かが一緒に行くのだと思っていることは分かっていたけれど、それは敢えて黙っていた。
だって、断られたら困る。
このままでは普通じゃない彼女のことが心配で、俺の方が体調を崩してしまう。それに、俺にはもう恋人がいないんだから、榊さんが気を使う必要はないはずだ。だから、出発間際に「あれ? 二人だけ?」と言われたときも、「そうなんですよ」と返して終わりにした。
初めての二人だけの居酒屋だって、いつもと変わりはない。お酒も食事も会話も楽しく進む。社内のうわさ話や新しいシステムの話題、テレビドラマの批評など、とりとめもなく話は続いて行く。
テーブルをはさんで座っている榊さんも、いつもと変わらない。薄いグレーのブラウスは襟とカフスの部分が白、胸元には水色の石が揺れる銀色のチェーン。毛先が肩にかかる長さの髪を片方だけ耳に掛けて、化粧は控え目。シンプルで、爽やか。
料理を楽しみ、お酒を楽しみ、会話を楽しみ……ずっと笑顔。
俺は飲む酒のペースを控え目にして、榊さんの様子をさり気なく観察していた。そして料理が少し落ち着いたところで、問題の話を切り出してみた。
「榊さん。もしかしたら、どこか具合が悪いですか?」
「え?」
楽しそうなまま首を傾げる彼女。何も心配事なんか無いような無邪気な顔で。
「なんかその…、最近、元気がないみたいだから…」
「そう? そんなこと無いけど?」
目をぱっちり開けて、「どうしてそんなことを聞くの?」みたいな顔をする。
(なんで……?)
その表情が、俺にはとてもショックだった。
まるで自分の存在を拒否されたみたいで。
役立たずだと言われたみたいで。
胸がつぶれるような重苦しさが襲って来た。
「……俺だから言わないんですか?」
気付いたら、つぶやくようにそう言っていた。
榊さんの顔から笑顔が消えて、戸惑いの表情が浮かぶ。そんな顔をさせて申し訳ないと思うけど、胸が痛くて苦しくて、自分の気持ちを吐き出さずにはいられない。
「先月からずっと元気がないじゃないですか。憂うつそうな顔してるところを何度も見ました。ため息ついてるところも。どうして “なんでもない。” って言うんですか? なんでもないのに、どうして元気がないんですか? どうして話してくれないんですか? 俺は心配で具合が悪くなりそうなのに。そんなに俺は頼りになりませんか? それとも信用されてないんですか?」
一気にしゃべる俺を、彼女は戸惑いの表情を浮かべたまま見つめていた。途中で何かを言おうと口を開いたけれど、そのまま何も言わなかった。
俺は口を閉じ、彼女の答えを待った。目が合うと、彼女は視線を泳がせて、気まずそうに通路の方に顔を向けてしまった。
(話してくれるまで諦めませんから。)
心の中で宣言する。