水曜日の夜には、槙瀬さんを含む男ばかり何人かで飲みに行った。
店まで歩く途中で、槙瀬さんに「榊と仲直りできたか?」と訊かれて「はい」と答えた。その質問で、槙瀬さんが今週は榊さんとは個人的に話をしていないことを知った。
榊さんに関しては俺が槙瀬さんに一歩先んじていると思うと、すっきりした気分で槙瀬さんと話すことができた。本当のことを言えば、“すっきりした気分” ではなく、 “得意な気分” という方が正しいかも知れない。
けれど、その間にも、榊さんの同窓会はどんどん近付いて来る。
俺はもう、同窓会の話題を出すのはやめていた。いたずらに彼女を不安にさせる気にはなれなかったから。
その代わり、話せるときには楽しい話題を心がけた。
自分の失敗談や軽く頭に来たことなどを話すと、榊さんはにこにこして俺を慰めてくれた。お菓子のおすそ分けをくれたり。そんなわずかな時間、わずかな会話が、俺にはいつでも幸せをもたらしてくれた。
とは言え、彼女はいつも先輩の態度。俺を頼ってくれる様子は、相変わらず皆無だ。
そして金曜日。
(土日にまた呼び出すのはダメだよなあ……)
同窓会まで10日を切ったことを考えると、もう一度くらい、インパクトのあることが欲しい。ノート男の思い出に負けないくらいの出来事が。
でも、2週連続で誘ったりしたら、さすがに榊さんだって変だと思うだろう。せっかくいい感じに継続してるのに、ここで引かれたらショックが大き過ぎる。
とは言っても、今週はずっと控え目にしてきたから、少し長めの二人の時間を作りたい。そして、できれば少しだけロマンティックな雰囲気が出せれば。
とすると……、夕飯かな。今日の帰りに。
お店はカジュアルでも、景色がいいとか。まあ、お店に特徴がなくても、それらしいセリフを言ってみるとか?
うん。ちょっとだけなら、それもいいかも。
少しだけ俺の気持ちをほのめかすようなことを言ったら、彼女はどんな顔をするだろう? 気付かないのか、気付かないふりをするのか。あるいは戸惑いの表情?
ポッと頬を染めるとか。
もしかしたら、嫌な顔をされる可能性もあるのかな。でも、ほんのちょっとだけならごまかせるし……。
昼休みに誘うことに決めて、一人で浮かれながら仕事に励んだ。けれど。
昼休みになるとすぐ、榊さんを営業課の女性が誘いに来た。タイミングを奪われてしまった俺は、さり気なくふたりの会話に耳をすませながら、社員食堂に向かうふたりのあとをついて行った。
社員食堂は2つ上の階。俺たちのフロアからは階段を使う方が早い。階段のスペースに入ると話し声が響いて、すぐ前にいる榊さんたちの声がよく聞こえた。
「ねえ、琴。今日、飲みに行かない?」
「琴」というのは、琴音という名前の榊さんの愛称。同期の女性には、たいていそう呼ばれている。
「うちの兄の大学時代の友達が来るんだけどさあ、かなり粒揃いなんだよね」
合コンの誘いだ! しかも、相手は「かなり粒揃い」。
思わず神経がぴんと張り詰める。でも、榊さんは申し訳なさそうな顔を隣の女性に向けた。
「ごめん。忙しくて残業なの」
「え~。急ぎなの?」
「うん、ちょっとね。休んでる人の代わりで」
「そっか~。残念~」
「ごめんね。来週、どんな様子だったか聞かせてね?」
ふたりはくすくす笑いながら話題を変えた。
(そうか。榊さんなら断って当然か……)
ほっとしながら思い出した。彼女は男が苦手なのだ。わざわざ初対面の男と酒を飲みたいなんて思うはずがない。紳士服売り場の店員でさえダメなんだから。
でも、残業は本当?
断る口実かも知れない。あとでさり気なく確認してみよう。
そして、できたら帰りに食事に行けたらいいな。
* * *
残業は本当だった。そして、休んでいる人の代わり、ということも。
言われてみれば、二、三日、見ていなかった。俺のあとに入った新人の姿を。
流行に突入する前のインフルエンザをどこかでもらったらしい。熱を出しながら出勤してきた彼を、係長が、ほかの社員にうつされるのが一番困ると説得して家に帰したのがおとといのこと。無理して出てきたせいで悪化して、まだ熱が高いとか。
「榊さんは大丈夫なんですか?」
「うつらなかったかってこと? 大丈夫みたい」
榊さんは微笑んだ。
確かにこの3年間、彼女が病気で休んだという記憶がない。普段から “うがい、手洗い” を欠かさない習慣が身についているからだと彼女は言う。それがどれほど効果があるのかは分からないけれど、きちんと健康管理ができるところも、社会人として、俺は尊敬している。
急に休むことになってしまった新人は、期限のある仕事が片付いていなかったそうだ。彼の教育係でもある榊さんがそれに今朝になってから気付き、大急ぎでやっていると言った。
「手伝いましょうか?」
店まで歩く途中で、槙瀬さんに「榊と仲直りできたか?」と訊かれて「はい」と答えた。その質問で、槙瀬さんが今週は榊さんとは個人的に話をしていないことを知った。
榊さんに関しては俺が槙瀬さんに一歩先んじていると思うと、すっきりした気分で槙瀬さんと話すことができた。本当のことを言えば、“すっきりした気分” ではなく、 “得意な気分” という方が正しいかも知れない。
けれど、その間にも、榊さんの同窓会はどんどん近付いて来る。
俺はもう、同窓会の話題を出すのはやめていた。いたずらに彼女を不安にさせる気にはなれなかったから。
その代わり、話せるときには楽しい話題を心がけた。
自分の失敗談や軽く頭に来たことなどを話すと、榊さんはにこにこして俺を慰めてくれた。お菓子のおすそ分けをくれたり。そんなわずかな時間、わずかな会話が、俺にはいつでも幸せをもたらしてくれた。
とは言え、彼女はいつも先輩の態度。俺を頼ってくれる様子は、相変わらず皆無だ。
そして金曜日。
(土日にまた呼び出すのはダメだよなあ……)
同窓会まで10日を切ったことを考えると、もう一度くらい、インパクトのあることが欲しい。ノート男の思い出に負けないくらいの出来事が。
でも、2週連続で誘ったりしたら、さすがに榊さんだって変だと思うだろう。せっかくいい感じに継続してるのに、ここで引かれたらショックが大き過ぎる。
とは言っても、今週はずっと控え目にしてきたから、少し長めの二人の時間を作りたい。そして、できれば少しだけロマンティックな雰囲気が出せれば。
とすると……、夕飯かな。今日の帰りに。
お店はカジュアルでも、景色がいいとか。まあ、お店に特徴がなくても、それらしいセリフを言ってみるとか?
うん。ちょっとだけなら、それもいいかも。
少しだけ俺の気持ちをほのめかすようなことを言ったら、彼女はどんな顔をするだろう? 気付かないのか、気付かないふりをするのか。あるいは戸惑いの表情?
ポッと頬を染めるとか。
もしかしたら、嫌な顔をされる可能性もあるのかな。でも、ほんのちょっとだけならごまかせるし……。
昼休みに誘うことに決めて、一人で浮かれながら仕事に励んだ。けれど。
昼休みになるとすぐ、榊さんを営業課の女性が誘いに来た。タイミングを奪われてしまった俺は、さり気なくふたりの会話に耳をすませながら、社員食堂に向かうふたりのあとをついて行った。
社員食堂は2つ上の階。俺たちのフロアからは階段を使う方が早い。階段のスペースに入ると話し声が響いて、すぐ前にいる榊さんたちの声がよく聞こえた。
「ねえ、琴。今日、飲みに行かない?」
「琴」というのは、琴音という名前の榊さんの愛称。同期の女性には、たいていそう呼ばれている。
「うちの兄の大学時代の友達が来るんだけどさあ、かなり粒揃いなんだよね」
合コンの誘いだ! しかも、相手は「かなり粒揃い」。
思わず神経がぴんと張り詰める。でも、榊さんは申し訳なさそうな顔を隣の女性に向けた。
「ごめん。忙しくて残業なの」
「え~。急ぎなの?」
「うん、ちょっとね。休んでる人の代わりで」
「そっか~。残念~」
「ごめんね。来週、どんな様子だったか聞かせてね?」
ふたりはくすくす笑いながら話題を変えた。
(そうか。榊さんなら断って当然か……)
ほっとしながら思い出した。彼女は男が苦手なのだ。わざわざ初対面の男と酒を飲みたいなんて思うはずがない。紳士服売り場の店員でさえダメなんだから。
でも、残業は本当?
断る口実かも知れない。あとでさり気なく確認してみよう。
そして、できたら帰りに食事に行けたらいいな。
* * *
残業は本当だった。そして、休んでいる人の代わり、ということも。
言われてみれば、二、三日、見ていなかった。俺のあとに入った新人の姿を。
流行に突入する前のインフルエンザをどこかでもらったらしい。熱を出しながら出勤してきた彼を、係長が、ほかの社員にうつされるのが一番困ると説得して家に帰したのがおとといのこと。無理して出てきたせいで悪化して、まだ熱が高いとか。
「榊さんは大丈夫なんですか?」
「うつらなかったかってこと? 大丈夫みたい」
榊さんは微笑んだ。
確かにこの3年間、彼女が病気で休んだという記憶がない。普段から “うがい、手洗い” を欠かさない習慣が身についているからだと彼女は言う。それがどれほど効果があるのかは分からないけれど、きちんと健康管理ができるところも、社会人として、俺は尊敬している。
急に休むことになってしまった新人は、期限のある仕事が片付いていなかったそうだ。彼の教育係でもある榊さんがそれに今朝になってから気付き、大急ぎでやっていると言った。
「手伝いましょうか?」