月曜日の朝になってから、俺は少し不安になった。榊さんがどんな態度を見せるのかと。

もしかしたら、一晩経った今日は、休日に俺と会ったことを後悔しているかも知れない。そして、後悔しているとしたら避けられるのかも知れない。

逆に、何とも思っていなくて、同僚に気軽に話してしまうかも知れない。誰にでも話すわけじゃなくても、槙瀬さんには話すのかも……なんて。

俺自身も、どうしたらいいのかよく分からない。学生時代の恋はどうだったのかもよく覚えていない。まあ、学校では一緒に活動しているうちに付き合い始めたから……。

とにかく、まずはお礼を言わないと。

もちろん、きのうだって言ったけど、今日は今日で一番最初に言いたい。俺の頼みを聞いて出てきてくれたわけだし。

……というのは口実で、ただ朝一番に榊さんに会いたいだけかも。だから、同じ電車になるように家を出た。



「おはようございます」

改札口を出たところで榊さんをつかまえた。今朝の彼女はベージュのトレンチコートにパンツ、黒いバッグ。仕事仕様の服装。

「ああ、紺野さん。おはようございます」

俺を見上げた表情は……。

(オッケーかも~~~!)

いつもと変わらぬ笑顔。後悔はまったく感じられない。そして、ちょっと首を傾げて俺の服をゆっくりと見て。

「やっぱりスーツも似合うよねぇ」

納得したように、再びにっこり。

(スーツ「も」だって!)

まさに天にも昇る気分!

朝からこんな攻撃をされたら、俺はいったいどうなっちゃうんだろう?

きのうのお礼を言うと、榊さんは何でもないことのように「こちらこそ」と答えてくれた。そのさっぱりした笑顔にほっとした反面、多少のがっかり感が入り込んだのも事実だった。

「おはようございます」

信号で止まったところで、後ろから女性の声がした。振り向くと、庶務係で榊さんと背中合わせに座っている雲井さん。去年入社した人で、俺も一年間一緒に仕事をした。おとなしくて素直な性格で、榊さんにとてもなついている。榊さんも俺も、気心が知れた同僚と言える……けど。

(どうするんだろう?)

俺たちの間に雲井さんを入れてあげながら、朝の心配が頭をもたげる。榊さんはきのうのことを、話すのか、話さないのか。

俺から話すつもりはない。でも……?

普段どおりを装い、女性二人の会話に適切な相槌と質問をはさむ。話題は雲井さんが最近入会したフィットネスクラブのことだった。

「それが、土日に行くと、いつ行ってもいる人がいるんです」

雲井さんが力を込めて説明している。

「何時に行っても、必ずいるっていう人が5人くらい。お互いに知り合いみたいで、きっと一日中、あそこにいるんだと思います。お風呂もあるし」
「へえ」

確かに暇つぶしにはいいかも知れない。健康にも良さそうだし……と思ったところで小さな爆弾が。

「榊さんは、土日はお出かけしなかったんですか?」

ハッとして、思わず鋭く榊さんを見てしまった。雲井さんには俺の顔は見えなかったはず。でも、榊さんは……?

「出かけたよ。きのう」

彼女の言葉に心臓がドキドキし始めた。普通の顔をしようと思っても、視線をどこに向けたらいいのか分からなくて困ってしまう。

榊さんは、俺の方はちらりとも見なかった。笑顔をまっすぐ雲井さんに向けている。

「三浜が丘のデパートに」

ドッキン!

ひと際大きく心臓が打った。

「一日中見てまわったのに、結局、何も買わないで帰って来ちゃったけど。ふふ」

(あ……)

それが、俺へのメッセージでもあるのだと思った。

一緒に出かけたことは秘密。それが榊さんの選択だ。

一瞬弱気になって、俺と出かけたことを “なかったこと” にしたいのかと思った。けれどすぐにさっきの彼女の様子を思い出し、単に他人に詮索されないための方便だと納得する。

(秘密……か)

そう決まってみると、今度は残念な気持ちが生まれる。オープンにしてくれたら、榊さんと俺の仲の良さを自慢できるのに。でも、秘密も、それはそれで嬉しい。

みんなに堂々と言えないことをふたりでやったのだという共犯者的な気分。

そして、楽しかった思い出を大切にしているという温かい満足感。

3人で歩きながら、榊さんは意味ありげな視線も態度も見せなかった。俺はそれをさすがだと思いながらも、少しだけ淋しい気もした。



そのまま何事もなく、その週は過ぎて行った。

俺はなるべく榊さんとふたりきりで話すチャンスを作りたくて、彼女の動きを気にしていた。けれど、そうしながらも、あまりやり過ぎて警戒されたり、うるさがられたりしないように気を付けなくちゃとも思っていた。

それに、日曜日のデート――って俺は思ってる――はそれなりに大きなイベントだったから、榊さんには少し落ち着く時間も必要な気もした。

だから結局は、じりじりしながら、彼女とは今までと変わらない距離を保つだけになってしまった。