何気ない様子で歩き出した榊さんについてそちらに向かう。その間に、男の店員はどこかに行ってしまった。後に残った女性客は、また棚の靴を物色し始めた。
「いなくなっちゃいましたよ?」
そのすぐ近くの棚で靴を見始めた榊さんに、こっそりと囁く。すると彼女も小声で
「すぐに戻ってくるから」
と言った。
その言葉通り、男の店員が箱と片方の靴を持って戻って来た。そして、迷わずさっきの女性客に歩み寄ると、近くのソファーを手で示し、女性客がそこに座る。その足元に店員がひざまずいた。
(おお……)
店員は笑顔で何か話しかけながら箱を開け、中を女性に見せると、靴の詰め物を出し始める。ひざまずいているからと言って、べつに家来っぽく見えるわけじゃない。いやらしい感じもしない。だけど、俺の目には新鮮だ。
(へえ……)
ツンツン、と、袖を引っ張られた。急に、自分がどれほどその光景に見入っていたのか気付いて恥ずかしくなった。隣では榊さんの目が笑っている。
「ちょっと移動するよ?」
「はい……」
そこの棚をぐるりと回り込んで反対側へ。すると、今度は座った女性が正面から見える位置だった。
また靴を物色し始めた榊さんについて歩きながら、ちらちらとそちらを観察する……と。
(あれか……)
試し履きしていた靴には、足首のところにベルトが付いていた。それを店員が留めようとしている。そのあとも、靴の大きさを確かめるように、あちこちを押したり触ったりする。もちろん靴の上からだけど。
「ああ、そうそう、あれなの。分かる?」
榊さんが隣で囁いた。
「あれがどうも苦手でね。距離が近過ぎるんだよね」
言われてみると、そうかも知れない。座っている膝の前のあたりに相手の顔があるわけだし。
あのお客さんはタイツをはいているけど、夏には素足の人もいるし、スカートが短い人だっているはずだ。だから男の店員はあんまり若くないのかな?
「榊さんはいつも――」
話しかけながら隣を見ると……。
またいない!
今まで話していたのに! と思いながら焦って見回す。すると、一つ隣の棚の前で、赤い靴を手にしている榊さんを見付けた。
(榊さ~ん! 一人にしないでって言ったのに!)
心の中で叫びながら近づくと、こちらを向いた彼女が軽く握った手で口元を押さえて顔をそむけた。
(笑うなんてあんまりだ!)
俺の顔を見て、言いたいことが分かったらしい。
「ごめんね。あんまり焦った顔してるから」
「だって、いつの間にかいなくなっちゃうし」
申し訳程度に謝る榊さんに、思わず抗議してしまう。でも。
「そんなに慌てなくても大丈夫。置いて行ったりしないから」
「約束ですよ? 忘れないでくださいよ?」
「うん。分かった」
機嫌を取るように優しく微笑んでもらったら、たちまち嬉しくなってしまった。
目的のものは見たし、榊さんとはいい感じだ。あとはこのまま靴を選ぶ榊さんにくっついていれば、成り行き的にランチには行けそうだ!
* * *
「はあ………」
自分の部屋でソファーにぼんやりと座り、もう何回めになるか分からない満足の吐息をつく。
デパートから帰って来てからずっとこの状態。かれこれ一時間、リュックは足元に置いたままだし、上着も脱いでいない。あんまり幸せで、ずっと今日の思い出に浸っていたい。
(出だしから良かったよな~)
榊さんの服装、そして走って来る姿、内気そうに俺を見上げた目。すべて完璧!
(俺の服も「似合う」って言ってくれたし)
思い出した途端、にや~、と笑いが浮かんでくる。お互いの私服もOKってことだ。榊さんの方では、そんなチェックをしているつもりではなかったのだろうけど。
行き先をデパートの靴売り場にしたのも、思い付きだったけれど成功だった。俺があの場に不釣り合いなことで弱気になって、自然に榊さんを頼る結果になったから。
(笑われちゃったけどさ~)
でも、あの笑い方は絶対に、俺に好感を抱いてくれている笑い方だ。まあ、ほぼ保護者気分だったんだろうけど。
それでも構わない。今日のところは。榊さんが、プライベートで休日に会ってくれたってことが重要なんだから。
(それに、楽しかったんだから……)
思い出すと、またにやにやしてしまう。
あの靴売り場で、榊さんは何足も靴を見ていた。たぶん、あそこに40分くらいいたと思う。試しに履いてみた靴もあった。でも、1足も買わなかった。
「うーん、今日はいいや」
そう言われたときには、俺に遠慮しているのかと思った。でも、そうじゃないと言われて、あんなにいっぱいあるのに気に入った靴がないのかと驚いた。
そんな俺を見て、榊さんは急に罪悪感を感じたらしい。自分の用事に俺の時間を使ってしまったと思って。だから、たぶん俺を解放するつもりで、俺の予定を訊いたんだと思う。
俺は大急ぎで考えて、「デパートの中を見てみたい」と答えた。それだけでは伝わらないかも知れないと焦って、「よかったら、案内してもらえませんか」と付け加えた。
それが大成功だった。
実際に、俺はデパートにはほとんど行ったことがなかった。それに、もうすでにその場にいるわけだし、そこまでの様子で、榊さんは俺を一人にするのは可哀想だと思ってくれたらしい。そのまま一緒に、昼飯をはさんで午後までかかって、デパート中を案内してくれたのだ!
(最後にあんみつまで食べたしなあ……)
どの売り場に行っても楽しかった。雑貨やインテリア、アクセサリーや高級ブランドショップ、子供服に化粧品、なんでも。
「いなくなっちゃいましたよ?」
そのすぐ近くの棚で靴を見始めた榊さんに、こっそりと囁く。すると彼女も小声で
「すぐに戻ってくるから」
と言った。
その言葉通り、男の店員が箱と片方の靴を持って戻って来た。そして、迷わずさっきの女性客に歩み寄ると、近くのソファーを手で示し、女性客がそこに座る。その足元に店員がひざまずいた。
(おお……)
店員は笑顔で何か話しかけながら箱を開け、中を女性に見せると、靴の詰め物を出し始める。ひざまずいているからと言って、べつに家来っぽく見えるわけじゃない。いやらしい感じもしない。だけど、俺の目には新鮮だ。
(へえ……)
ツンツン、と、袖を引っ張られた。急に、自分がどれほどその光景に見入っていたのか気付いて恥ずかしくなった。隣では榊さんの目が笑っている。
「ちょっと移動するよ?」
「はい……」
そこの棚をぐるりと回り込んで反対側へ。すると、今度は座った女性が正面から見える位置だった。
また靴を物色し始めた榊さんについて歩きながら、ちらちらとそちらを観察する……と。
(あれか……)
試し履きしていた靴には、足首のところにベルトが付いていた。それを店員が留めようとしている。そのあとも、靴の大きさを確かめるように、あちこちを押したり触ったりする。もちろん靴の上からだけど。
「ああ、そうそう、あれなの。分かる?」
榊さんが隣で囁いた。
「あれがどうも苦手でね。距離が近過ぎるんだよね」
言われてみると、そうかも知れない。座っている膝の前のあたりに相手の顔があるわけだし。
あのお客さんはタイツをはいているけど、夏には素足の人もいるし、スカートが短い人だっているはずだ。だから男の店員はあんまり若くないのかな?
「榊さんはいつも――」
話しかけながら隣を見ると……。
またいない!
今まで話していたのに! と思いながら焦って見回す。すると、一つ隣の棚の前で、赤い靴を手にしている榊さんを見付けた。
(榊さ~ん! 一人にしないでって言ったのに!)
心の中で叫びながら近づくと、こちらを向いた彼女が軽く握った手で口元を押さえて顔をそむけた。
(笑うなんてあんまりだ!)
俺の顔を見て、言いたいことが分かったらしい。
「ごめんね。あんまり焦った顔してるから」
「だって、いつの間にかいなくなっちゃうし」
申し訳程度に謝る榊さんに、思わず抗議してしまう。でも。
「そんなに慌てなくても大丈夫。置いて行ったりしないから」
「約束ですよ? 忘れないでくださいよ?」
「うん。分かった」
機嫌を取るように優しく微笑んでもらったら、たちまち嬉しくなってしまった。
目的のものは見たし、榊さんとはいい感じだ。あとはこのまま靴を選ぶ榊さんにくっついていれば、成り行き的にランチには行けそうだ!
* * *
「はあ………」
自分の部屋でソファーにぼんやりと座り、もう何回めになるか分からない満足の吐息をつく。
デパートから帰って来てからずっとこの状態。かれこれ一時間、リュックは足元に置いたままだし、上着も脱いでいない。あんまり幸せで、ずっと今日の思い出に浸っていたい。
(出だしから良かったよな~)
榊さんの服装、そして走って来る姿、内気そうに俺を見上げた目。すべて完璧!
(俺の服も「似合う」って言ってくれたし)
思い出した途端、にや~、と笑いが浮かんでくる。お互いの私服もOKってことだ。榊さんの方では、そんなチェックをしているつもりではなかったのだろうけど。
行き先をデパートの靴売り場にしたのも、思い付きだったけれど成功だった。俺があの場に不釣り合いなことで弱気になって、自然に榊さんを頼る結果になったから。
(笑われちゃったけどさ~)
でも、あの笑い方は絶対に、俺に好感を抱いてくれている笑い方だ。まあ、ほぼ保護者気分だったんだろうけど。
それでも構わない。今日のところは。榊さんが、プライベートで休日に会ってくれたってことが重要なんだから。
(それに、楽しかったんだから……)
思い出すと、またにやにやしてしまう。
あの靴売り場で、榊さんは何足も靴を見ていた。たぶん、あそこに40分くらいいたと思う。試しに履いてみた靴もあった。でも、1足も買わなかった。
「うーん、今日はいいや」
そう言われたときには、俺に遠慮しているのかと思った。でも、そうじゃないと言われて、あんなにいっぱいあるのに気に入った靴がないのかと驚いた。
そんな俺を見て、榊さんは急に罪悪感を感じたらしい。自分の用事に俺の時間を使ってしまったと思って。だから、たぶん俺を解放するつもりで、俺の予定を訊いたんだと思う。
俺は大急ぎで考えて、「デパートの中を見てみたい」と答えた。それだけでは伝わらないかも知れないと焦って、「よかったら、案内してもらえませんか」と付け加えた。
それが大成功だった。
実際に、俺はデパートにはほとんど行ったことがなかった。それに、もうすでにその場にいるわけだし、そこまでの様子で、榊さんは俺を一人にするのは可哀想だと思ってくれたらしい。そのまま一緒に、昼飯をはさんで午後までかかって、デパート中を案内してくれたのだ!
(最後にあんみつまで食べたしなあ……)
どの売り場に行っても楽しかった。雑貨やインテリア、アクセサリーや高級ブランドショップ、子供服に化粧品、なんでも。