予想しなかった質問だ。表情を取り繕う余裕がなく、上手い返事より先に汗が出てきた。

2階に到着したエスカレーターから降りて進みながら、当たり前の話題のように榊さんが続ける。

「ほら、長く付き合ってたんだから、一緒に服とか靴とか見に行ったんじゃないかと思って」
「あ、ああ……」

焼きもちは焼いてくれないらしい。

がっかりしたけれど、今日のところは仕方ない。それに、こういうことに遠慮しないところが榊さんなんだし、俺はそんなところも好きなんだから。

「見に行ったことはあるんですけど、あんまり興味がなくて」

とにかくここは、別れた彼女とはそれほど仲が良かったわけじゃないと言っておきたい。そして、まったく未練はないのだと。なのに。

「あ、そうだよね。彼女と一緒のときは、他のことはどうでもいいよねぇ?」

榊さんの解釈はぜんぜんずれていた。

「いえ、そうじゃ――」
「ほら、ここなの。広いでしょう?」

(俺の話は?)

誤解を解くことができないまま、立ち止まった榊さんの後ろから彼女の視線を追う……と。

「ホントだ……」

その階の売り場の約半分を女性用の靴の棚が埋めていた。

4段から5段くらいのいろいろな向きに配置してある棚全部に、黒や茶色の靴、靴、靴。中央の柱を囲んだ棚にはブーツが何十足も。奥の方にはスポーツメーカーのロゴが見える。棚の合間には、一人掛けのソファーがあちこちに置いてある。

「男用の靴売り場って、この半分……いや、4分の1くらいしかないんじゃないかな」
「そうなの? でも、まあ、ここは特に広いから」

一番近い棚に歩み寄る榊さんについて行くと、棚の間にいた女性店員と目が合ってしまった。営業用の笑顔で会釈されて、ドキドキしてしまう。榊さんから離れないように気を付けながら周囲を見回すと、目立たない制服を着た店員がたくさんいて驚いた。客よりも店員の方が多いような気がする。

「榊さん」
「ん~?」

なんとなく小声で呼ぶと、茶色い靴を熱心に調べていた榊さんは、振り向かずに返事をした。

「なんでお店の人があんなにたくさんいるんですか?」
「え?」

手に靴を持ったまま、榊さんが売り場を見回す。

「普通じゃない? 混んでくると店員さんを探すのが大変なんだよ」
「そうなんですか……」

話がよく飲み込めない。

「そうだ。靴を買いに来たわけじゃないんだったよね」

そう言いながら彼女は持っていた靴を戻し、もう一度売り場を見回した。俺もつられて見渡してみると、黒いスーツを着た男性店員がゆっくりと歩いていることに気付いた。見える範囲にもうひとり。若者という雰囲気ではない。30代から40代くらいか。

「榊さ――あれ?」

隣に榊さんはいなかった。

慌てて見回すと、店員と話している客が何組かいるのに気付いた。棚を見ている客も増えてきている。

(女の人ばっかり。しかも俺、浮いてるし……)

女性よりは頭一つ分くらい背が高い俺は、ここにいるだけで目立つ。しかも、着ている服は赤系チェックのシャツにジーンズ、それにリュック。デパートに来ているひとたちのシックな服装とは明らかに雰囲気が違う。

(榊さ~ん!)

限りなく心細い!

早く見付けなくちゃと焦って体の向きを変えたとき、左手の奥にある縦長の鏡に映っている彼女を見付けた。柱の裏側で、屈んで靴を選んでいる。

「榊さん。一人で行かないでください」

慌ててまわり込み、半分泣き声で訴えると、榊さんは「あ、ごめん」と笑った。

「靴って何足あっても足りないのよねー。今日は買うつもりじゃなかったのに」

そう言いながら、また次の棚へと歩き出す。と思ったら、ふと立ち止まった。

「店員さんを観察するなら、その辺の椅子に座ってる? あたし、せっかくだから一回り――」
「嫌です。俺も一緒に行きます」
「でも、面白くないと思うけど……?」
「こんなところで一人になりたくないです」
「そう?」
「だって俺、なんか浮いてますよ?」

置いて行かれるのかと思ったら、体裁も何も構っていられない。何がなんでもここで一人は嫌だ。そう思って必死で訴えると、榊さんが俺を頭のてっぺんから足元までゆっくりと見た。

「……たしかに」

そして、くすっと笑って。

「無理矢理荷物持ちに連れて来られた弟みたいね」

弟……。

この服を選んだのは、まさにそんな風に見えることを考えて、だ。榊さんの警戒を解くため。だけど……はっきり言われると、やっぱりちょっとがっかりする。でも、今はそんなことよりも優先事項がある。

「荷物持ちでも何でもしますから、絶対に一人にしないでください」

弱気でも、みっともなくても仕方ない。とにかく一人にしないでほしい。

「はい、分かりました」

榊さんが、にこっと俺に笑顔を向けた。

「よく考えたら紺野さんの用事で来たんだものね。ごめんなさ……あ」

言葉を切った彼女が、少し先に視線を向けながら俺の腕に手を置いた。

「ほら、あそこ」

彼女の視線を追うと、若い女性客が男の店員と話している。店員の手にはリボンの付いた黒い靴。

「行こう」
「え? はい」