幸いにして、俺は彼女よりも年下で、今までだって、彼女は先輩として俺に接していた。この前の飲み過ぎ事件だって、彼女は俺の世話を焼いてくれた。あんな状態だった俺に嫌な顔もせず、どちらかというと面白がっていたようだった。しかも――大切なのはここだ――プライベートで、だ。職場の外でも、彼女は俺が甘えるのを許してくれてるってことだ。
俺は、榊さんの打ち明け話を聞いてから、自分が頼られる存在にならなくちゃと思ってきた。でも、すでに3年半も付き合いがある俺と榊さんだから、俺の位置付けは決まっている。それをいきなり変えようとしたって無理なのだ。
だから、最初は甘えることで距離を詰め、だんだんと俺が手を貸すことが当たり前のようにしていく。それが新しい計画。
それに。
( “甘える” っていう響きがなあ……)
なんとも魅力的だ。そして、これは俺じゃなきゃできない、という自信がある! 槙瀬さんみたいな人が甘えても……。
(「意外に可愛い!」とか思われるのか……?)
いや。一番は俺だ!
そのあたりを考えて、今日は少し学生みたいな服装を選んだ。ジーンズに赤系のチェックのシャツ、黒のダウンベスト。靴は茶色のスエードのスニーカー。リュックは片方の肩に、髪は前髪を少し下ろして。適度にラフで、でも、だらしなく見えないように、姿勢は正しく。
普段のスーツ姿とはだいぶ違う。引かれちゃったら……と、少しだけ不安ではある。
(あ)
左手の駅通路の出口に榊さんの姿が見えた。腕時計を確認しながら、こちらに向かってくる。
(あれ? なんか……可愛くないか?)
服装がいつもと違う。Gジャンにピンク色のロングスカートだ。靴は俺と同じ茶色。
全体的にきちんとしているのに可愛い。榊さんがいつも会社に着て来る服とは明らかに違って “お出かけ” 仕様だ。
「榊さん」
嬉しくなって、声をかけながら、思わず手を振ってしまった。顔を上げて一瞬迷ったあと、彼女が同じように笑顔で手を振り返し、小さく走って近付いて来る。
(なんだよ、この出だし!)
まるで恋人同士の待ち合わせそのものじゃないか!
嬉しくて、「やったぜ!」と叫びたい。今日の目標とか計画なんて、もう必要ないような気がしてくる。
「おはようございます」
軽く頭を下げて言う彼女。片方だけ耳にかけた髪の裾が、くるんと首の周りで揺れる。そして、俺を見上げた微笑みは。
(え? ちょっと恥ずかしそう……だったりして?)
こんな顔をする榊さんは初めてだ。もしかしたら、ほんとうに大成功なんじゃないだろうか。
「おはようございます。休みの日に変なお願いをしてすみません」
浮かれた気持ちを封じ込め、用意してきたセリフを口にする。もちろん、どんな表情をするかも考えてきた。申し訳なさそうに、それでいて、ある程度は格好良く。
「ああ、いいえ、いいんだけど……」
そう言いながら、榊さんはなんとなく落ち着かないらしい。微笑みを返しながらも視線が定まらないし、手元のバッグを持ちかえたりして。そんな様子が初々しくて、ますますテンションが上がる。
「あ、あの」
ここは最初にどうしても伝えておきたい。自信を持って、一緒にいてもらうためにも。
「あの、そういう服装も、いいですね」
「……え?」
榊さんが自分の服を確認する。
「……そうかな?」
上目づかいに見上げる様子がまた可愛い。仕事中には絶対に見られない榊さんだ!
「はい。仕事のときとはまた違った雰囲気ですけど、似合ってます」
「……そう? よかった」
そう言って、榊さんは明らかにほっとした顔をした。俺の方は、自分の言葉の効果にほっとした。と、そこに彼女の声が。
「紺野さんも似合ってるよ。いつもと違いすぎて、最初は分からなかったけど」
気が緩んでいたので驚いてしまった。目の前には、いつもの笑顔に戻った榊さんが。
「あ、いや、あの、どうも」
どうしよう? すごく嬉しい。
笑顔が抑えられない。じっとしていられない。
そんな俺に、にこにこしながら榊さんが続けた。
「そういう服を着てると、やっぱり若いんだなあって思っちゃう。一緒にいるのが申し訳ない気がする」
「え? そんなこと言って、女性用の靴売り場で俺を一人にしないでくださいよ? 変な目で見られたら困りますから」
「あはは、そうね。分かりました」
軽いやり取りは、お互いの位置付けと自分の気持ちの確認の意味も兼ねているのかも。
(うん、行けそうだ)
自信が湧いてきた。
「ええと、行きましょうか。どこの店にしますか?」
榊さんはすぐ前にあるデパートを指差した。
「ここの靴売り場が一番大きいの。でも、男の店員さんが丁度良くいるかどうか分からないよ?」
「ええ、いいです。じゃあ、お願いします」
少し冗談っぽく頷き合って歩き出す。
俺はうっかりすると浮かれてしまう気持ちを懸命に抑えながら、榊さんとの距離を慎重に測り、彼女がリラックスできるような話題と態度を絶やさないように気を引き締めた。
開店と同時にデパートに入るのは初めてだ。
榊さんに導かれてほかのお客さんのあとから売り場を抜けて行くと、ところどころに立った店員さんが、「いらっしゃいませ」と丁寧にお辞儀をしてくれた。慣れない俺は、それに「あ、どうも」なんて返しそうになりながら、前を行く榊さんについて行く。
「まだ空いてそうだね」
上りエスカレーターの一段上に立った榊さんが振り向いて言った。こうやって前後に並んで乗ると、自分が榊さんを守っているような気がして気分がいい。
「きのうから考えてたんだけど…」
「はい」
まっすぐに見つめてくる榊さんに、自分の思う最高に優しい笑顔を向ける。
「彼女と一緒に来たことなかったの?」
「……え?」
俺は、榊さんの打ち明け話を聞いてから、自分が頼られる存在にならなくちゃと思ってきた。でも、すでに3年半も付き合いがある俺と榊さんだから、俺の位置付けは決まっている。それをいきなり変えようとしたって無理なのだ。
だから、最初は甘えることで距離を詰め、だんだんと俺が手を貸すことが当たり前のようにしていく。それが新しい計画。
それに。
( “甘える” っていう響きがなあ……)
なんとも魅力的だ。そして、これは俺じゃなきゃできない、という自信がある! 槙瀬さんみたいな人が甘えても……。
(「意外に可愛い!」とか思われるのか……?)
いや。一番は俺だ!
そのあたりを考えて、今日は少し学生みたいな服装を選んだ。ジーンズに赤系のチェックのシャツ、黒のダウンベスト。靴は茶色のスエードのスニーカー。リュックは片方の肩に、髪は前髪を少し下ろして。適度にラフで、でも、だらしなく見えないように、姿勢は正しく。
普段のスーツ姿とはだいぶ違う。引かれちゃったら……と、少しだけ不安ではある。
(あ)
左手の駅通路の出口に榊さんの姿が見えた。腕時計を確認しながら、こちらに向かってくる。
(あれ? なんか……可愛くないか?)
服装がいつもと違う。Gジャンにピンク色のロングスカートだ。靴は俺と同じ茶色。
全体的にきちんとしているのに可愛い。榊さんがいつも会社に着て来る服とは明らかに違って “お出かけ” 仕様だ。
「榊さん」
嬉しくなって、声をかけながら、思わず手を振ってしまった。顔を上げて一瞬迷ったあと、彼女が同じように笑顔で手を振り返し、小さく走って近付いて来る。
(なんだよ、この出だし!)
まるで恋人同士の待ち合わせそのものじゃないか!
嬉しくて、「やったぜ!」と叫びたい。今日の目標とか計画なんて、もう必要ないような気がしてくる。
「おはようございます」
軽く頭を下げて言う彼女。片方だけ耳にかけた髪の裾が、くるんと首の周りで揺れる。そして、俺を見上げた微笑みは。
(え? ちょっと恥ずかしそう……だったりして?)
こんな顔をする榊さんは初めてだ。もしかしたら、ほんとうに大成功なんじゃないだろうか。
「おはようございます。休みの日に変なお願いをしてすみません」
浮かれた気持ちを封じ込め、用意してきたセリフを口にする。もちろん、どんな表情をするかも考えてきた。申し訳なさそうに、それでいて、ある程度は格好良く。
「ああ、いいえ、いいんだけど……」
そう言いながら、榊さんはなんとなく落ち着かないらしい。微笑みを返しながらも視線が定まらないし、手元のバッグを持ちかえたりして。そんな様子が初々しくて、ますますテンションが上がる。
「あ、あの」
ここは最初にどうしても伝えておきたい。自信を持って、一緒にいてもらうためにも。
「あの、そういう服装も、いいですね」
「……え?」
榊さんが自分の服を確認する。
「……そうかな?」
上目づかいに見上げる様子がまた可愛い。仕事中には絶対に見られない榊さんだ!
「はい。仕事のときとはまた違った雰囲気ですけど、似合ってます」
「……そう? よかった」
そう言って、榊さんは明らかにほっとした顔をした。俺の方は、自分の言葉の効果にほっとした。と、そこに彼女の声が。
「紺野さんも似合ってるよ。いつもと違いすぎて、最初は分からなかったけど」
気が緩んでいたので驚いてしまった。目の前には、いつもの笑顔に戻った榊さんが。
「あ、いや、あの、どうも」
どうしよう? すごく嬉しい。
笑顔が抑えられない。じっとしていられない。
そんな俺に、にこにこしながら榊さんが続けた。
「そういう服を着てると、やっぱり若いんだなあって思っちゃう。一緒にいるのが申し訳ない気がする」
「え? そんなこと言って、女性用の靴売り場で俺を一人にしないでくださいよ? 変な目で見られたら困りますから」
「あはは、そうね。分かりました」
軽いやり取りは、お互いの位置付けと自分の気持ちの確認の意味も兼ねているのかも。
(うん、行けそうだ)
自信が湧いてきた。
「ええと、行きましょうか。どこの店にしますか?」
榊さんはすぐ前にあるデパートを指差した。
「ここの靴売り場が一番大きいの。でも、男の店員さんが丁度良くいるかどうか分からないよ?」
「ええ、いいです。じゃあ、お願いします」
少し冗談っぽく頷き合って歩き出す。
俺はうっかりすると浮かれてしまう気持ちを懸命に抑えながら、榊さんとの距離を慎重に測り、彼女がリラックスできるような話題と態度を絶やさないように気を引き締めた。
開店と同時にデパートに入るのは初めてだ。
榊さんに導かれてほかのお客さんのあとから売り場を抜けて行くと、ところどころに立った店員さんが、「いらっしゃいませ」と丁寧にお辞儀をしてくれた。慣れない俺は、それに「あ、どうも」なんて返しそうになりながら、前を行く榊さんについて行く。
「まだ空いてそうだね」
上りエスカレーターの一段上に立った榊さんが振り向いて言った。こうやって前後に並んで乗ると、自分が榊さんを守っているような気がして気分がいい。
「きのうから考えてたんだけど…」
「はい」
まっすぐに見つめてくる榊さんに、自分の思う最高に優しい笑顔を向ける。
「彼女と一緒に来たことなかったの?」
「……え?」