(あと2週間なんだ……)

翌土曜日の朝。遅い朝食のあと、ふとカレンダーを見て気付いた。榊さんの同窓会まで、あと2週間しかない。2週間後の日曜日に、榊さんはノート男と再会する。

(もちろん、あっちが出席しない可能性もあるけど……)

どうしても、その可能性は少ないような気がする。

一人でぼんやりしていると、頭の中に浮かんでくるのはビュッフェスタイルのホテルの宴会場。スマートなスーツを着た男が、女性グループで話していた榊さんに近付いて、低い声で名前を呼ぶ。振り向いた榊さんが目を見開いて息をのみ、口の中でそいつの名をつぶやく……。

(いや! そいつから話しかけてくるなんてことはないに決まってる!)

そうだ。あいつは榊さんの親切心を利用しただけの、自分勝手なヤツなんだから!

せっかく打ち消した場面がまたすぐに浮かんでくる。

飲み物のグラスを手に、女性同士で話をしている榊さん。楽しそうに話しているけれど、その視線の先にはノート男。視線を感じたそいつが振り向き、慌てて目を逸らした榊さんに気付く……。

(いやいや! 榊さんは「気付かれたくない」って言ってたじゃないか! 自分で見ていたりするもんか!)

すると、すうっと宴会場は消えて、現れたのは部屋の外。広い廊下には落ち着いた茶色のカーペット。

会場から出てきた榊さんが分厚いドアを閉めると、聞こえるざわめきが一気に低いうなりに変わって消える。閉まったドアから廊下の奥へと体を向けると、そちらからスーツのポケットに手を突っ込んだ男が歩いて来る。それを目にした榊さんの動きが止まる。近付いてきた相手も彼女に気付き、目を見開いて見つめ合う……。

(いいや、見つめ合ったりしない。榊さんはそいつを避けるはずだ)

硬い表情で下を向いて、そちらへ向かう榊さん。足を速めてすれ違おうとしたその瞬間、「榊?」と声がかかる。苦しい思いで、でも礼儀正しいさり気ない表情で、そいつを見上げる彼女。男の方から「……元気だった?」と、ためらいがちな言葉。それに答えようとする榊さんの瞳には、懐かしさだけではないきらめきが宿って……。

(ダメだ……)

どうしても会ってしまう。会って、お互いに高校時代に抱えていた想いがふくらんで。

会ったら絶対に、それだけでは済まない気がする。次に会う約束をして、連絡先を交換して、二人だけで会って、お互いに好きだと気付いて――。

(そんなの認められるか!)

そいつは高校卒業以来、10年間も榊さんのことをほったらかしていたんだぞ! それが同窓会のお知らせでいきなり復活して、榊さんをあんなに悩ませるなんて。そんなゾンビみたいなヤツに、榊さんを譲るわけにはいかない!

(そうだよ)

うじうじ考えてる場合じゃない。俺が榊さんにとって必要な存在になること。それが重要なんだ。

俺のためだけじゃない。頼る相手のいない榊さんのためにも。

謝ろう。一刻も早く。

そう思ったら、すぐに体が動いた。榊さんの電話のコール音が聞こえるまでほんの数秒。

『はい。榊です。』

電波を通して聞こえた声は、いつもよりも頼りなく感じた。

「あ、あの、榊さん、俺……、すみませんでした!」

謝ることしか考えていなかったせいで、あいさつも何も出て来なかった。ただ、謝罪の言葉と一緒に頭を下げるだけ。

「俺、勝手なことばっかり言っちゃって……、本当にすみませんでした!」
『あの……、いいよ、もう。気にしないで。』

やっぱり榊さんは怒らない。少し元気がないようではあるけれど。

『あたしの方こそ、紺野さんを傷付けたみたいで……ごめんなさい』

(榊さん……)

淋しそうな声に胸が痛んだ。

俺を傷付けたと言っているけど、あのことで本当に傷付いたのは榊さんの方だと思う。なのにこうやって自分を責めて、俺に謝って。本当に申し訳ないことをしてしまった。

「あの」

彼女を元気づけたくて、思い切って明るい声を出してみる。いつまでも謝り合っていたら、榊さんがいつまでも自分を責め続けるような気がするから。そんな状態は望んでいない。

「今、何をしてるんですか?」
『え? あ、ああ、お掃除の途中』
「ああ、仕事中だったんですね。すみません」
『ふふ、いいよ。べつに急いでるわけじゃないから』

笑ってくれた榊さんにほっとした。戻った軽い口調に思わず微笑んだ俺の耳に、彼女の声が続けて聞こえてくる。

『前に話したっけ? 土曜日は普段できない家の仕事をして、日曜日はゆっくり過ごすって』
「ああ、そういえば、聞いたような気がします」

答えながら、ふと、一つの計画が浮かんだ。

『だから今日は、まずお掃除をして、スーパーにお買い物に行って――』
「明日は予定があるんですか? お友達と出かけるとか?」
『明日? ないよ。家でのんびりするだけ。』
「じゃあ、出かけませんか?」

榊さんが一瞬黙った。それから。

『……え?』

自信なさそうな声がした。何か、聞き間違えたと思ったのかも知れない。

「出かけませんか、俺と?」
『……は?』

どうやら混乱してるみたいだ。

そのまま無言で返事を待とうかと思った。でもすぐに、機転の利く彼女なら、ソツのない断り文句を考えるのも簡単なことだと思い出した。

「仲直りの儀式です」
『え?』

急いで考え出した理由に、彼女の戸惑いが伝わってくる。でも、自分で言ってみたら、とても必要なイベントだという気がしてきた。