「え?」
「あ、いえ」
「槙瀬さんか……」

ちゃんと聞こえてるじゃないか!

俺ってなんて間抜けなんだろう? わざわざ槙瀬さんがあてはまることを教えてあげるなんて。

ハラハラしている俺の隣で、榊さんがちょっと考えてから言った。

「そうね」
「え?」

榊さんの笑顔に、思わず顔が引きつった。

「槙瀬さんはいいよね」
「そっ、そうですよね! あははは……」

正統派じゃないモテ男ですもんねっ!!

「うーん、気が付かなかったなあ……」

面白くもないのに笑顔を作っている俺の横で、榊さんがつぶやいている。

「意外に近くにいるものなのねえ」
「え、あ、ええ……」

俺って本当に間抜けだ……。

「でも、まあ、そういうのは無いかな」
「え?」

槙瀬さんをそういう対象には考えられない? ホントに?

「あたしが相手じゃ、向こうが嫌でしょ。あははは」
「そんなこと……」

(そうじゃなくて!)

榊さんがどう思うか、ってことを知りたいのに!

だいたい、向こうはすでに「いい」って言っているのだ。これじゃあ俺は、槙瀬さんが言っていた「俺が『結婚するか』って言ったら――」を確認しただけじゃないか!

この話題は、榊さんと槙瀬さんの前では絶対に出さないことにしよう――と、心に誓う。

「ねえねえ、それより紺野さんは、新しい恋とかないの?」

楽しげに身を寄せて尋ねられ、その近さにドキッとする。もしかして、俺に興味があるんだろうか……なんて、ちょっと期待してしまう。

「え……?」
「ほら、若いんだから、楽しく過ごさないと。クリスマスまで2か月切ってるし。ね?」

(「若いんだから」って……他人事?)

「あ、はあ」
「紺野さん、格好いいんだから、その気になれば彼女なんてすぐにできるでしょう?」

(俺、格好いいんですか!?)

思わず叫びたくなる。全然嬉しくない!

(じゃあ、俺が告白したら、榊さんは「いえ、結構です」って言うんですか!?)

そんなはずはない。絶対にそんなはずは。

「やだなあ、榊さん。そんなお世辞言わなくても。あはははは……」
「え? お世辞じゃないよ。あたしがお世辞を言わないことは知ってるでしょう?」
「あ、ああ、そう言えば……」
「そうだよ。紺野さんは格好いいよ。もっと自信を持って。ね?」
「は、はい……。ありがとうございます……」

榊さんは、もしかして、俺がうっとうしいのか? だから、早く彼女を作れと催促されているのか?

(ああ、もう!)

なんだか、もう思考が滅茶苦茶だ。あんなことを訊いてる間に、もっと気の利いた話をすればよかった。

職場に着いてから、俺は重要なことに気付いた。それは、思っていたよりも時間が無い、ということだ。

俺は槙瀬さんのことばかり気にしていたけど、今月の終わりには同窓会がある。そこで、榊さんは例のノート男に会うのだ!

彼女はそいつのことを「好きかどうか分からなかった」と言っていた。でも、「分からなかった」というのは、「好きな可能性がある」ということだ。

それに、もし、相手も本当は榊さんのことを想っていたとか、手紙をもらってから気になっていたとか、そんな状態だったら? そうじゃなくても、再会したその場で榊さんに惚れるってことだってある。そして、今でもそいつのことを忘れていない榊さんに言い寄ったりしたら?

俺には望みがなくなる!!

もしかしたら、ノート男が出席しないとか、信じられないほど嫌なヤツになっているかも……っていう可能性もある。でも、そんな可能性に賭けるのは危険だ。

どうすればいい?

同窓会は今月の最後の日曜日。残り3週間を切っている。それまでに俺は、榊さんにとって特別な存在にならなくちゃならない。

(そうか……。 “特別な存在” だ)

“榊さんの愛情を勝ち取る” というのは、そんな短期間では無理な気がする。もちろん、それが一番いいんだけど。

でも、とりあえずは無理をしないで、俺が榊さんにとって “いなくちゃならない” 程度の存在になればいいんじゃないか? そのくらいなら、可能性が高そうだ。そこまで行ければノート男には勝てる気がするし、そうなれば次へ進める。

榊さんにとって、いなくちゃならない存在とは……?

もしかしたら、あれかも。俺しか知らない秘密。榊さんの弱点。

そうだ。うん。それだ。

俺だけが役に立てることと言えば、それしかない気がする。同窓会のことで不安になっている榊さんを慰めたり、愚痴を聞いてあげたり。しかも、彼女は俺のことを、年下だという理由でまったく警戒していない。

これから同窓会は近付く一方で、榊さんは不安が増すはずだ。それを利用するのは心苦しいけど、ちょっとだけ不安をあおるくらい……いいよな? ほんのちょっとだけなら。

(すみません、榊さん)

信用して……本当は無理矢理だけど、話してもらったのに。その秘密を利用させてもらいます。でも、その代わり、俺が榊さんを絶対に幸せにしますから!



……というわけで、さっそく仕事に取り掛かる。まずは、二人だけで話す機会を見付けること。

「おはようございます、榊さん」

とりあえず、朝は重要ポイントだ。

「ああ、おはようございます」

まずは俺に対する態度をチェック。この笑顔、隣に並ぶ距離、いつもと変わりがない。

(よし!)

「同窓会、もうすぐですね」

少し小声で、こっそりと話しかける。彼女はパッと俺を見上げて、軽くしかめっ面をした。

「思い出したくなかったのに」
「あはは、すみません」

彼女のしかめっ面さえも心が弾む。相手が俺だから彼女がそんな顔をするのだと思うと、余計に。

「もう、着て行くものは決めたんですか?」
「んー、まあ、普通のスーツでいいかと思ってるけど」
「目立たないように?」
「そう! よく分かったね。ふふふ」
「もちろん。もう4年目ですから」

さり気なく、俺は榊さんを理解しています、とアピールしてみる。でも、これじゃあ伝わらないかな。

「あーあ……、思い出したらまた憂うつになっちゃった……」