槙瀬さんが肩に触れたのは、ほんの一瞬だけ。移動するように促しただけ。

けれど、ドキドキがおさまらない。そして……、そして……。

(どうしてこんなに……?)

悔しい。

ショックだ。

悔しい。

心が「なんで!?」と叫んでいる。「俺だって」と。

(だって)

男に触られるのは嫌だって言ったじゃないか。なのに……、槙瀬さんはいいのか?

――嫉妬。

頭の中に現れた言葉にびっくりした。

(嫉妬……なのか?)

俺が?

槙瀬さんに?

榊さんのことで?

自問しながら、すでにそれが正解であることを感じている。この気持ちは、ほかの言葉では言い表せないと気付いている。

(俺は………?)

どうしてこんなことになったのか、分からない。



午前中が高揚感で仕事に集中できたのとは反対に、午後は無理矢理仕事に没頭しなければならなかった。

その間、榊さんを視界に入れないように細心の注意を払った。声が聞こえるときは咳払いをしてみたり、頭の中で独り言を言ってみたりした。どうしても落ち着かなくなると、席を立って、トイレや給湯室に行った。

よく分からないまま、とにかく混乱している。

榊さんのことは、ずっと同僚の先輩、そして仲の良い友人と思ってきた。3年間、隣り合って座って仕事をしていたときも、恋愛感情は持っていなかった。なのに――。

(意味が分からない。どうして……)

ハッと気が付いたら、ぼんやりしていて、パソコンの画面に目の焦点が合っていなかった。いつの間にか、キーボードをたたく手も止まっている。

「ふ………」

午後になって何度目のため息だろう?

「榊さん。2番に電話です」
「はい、ありがとうございます」

榊さんが電話に出る声が聞こえる。相変わらずはきはきと、きれいな発音で流れる言葉。耳が、その声を聞き取ろうと働きはじめる。

(ちょっと一回りして来よう)

落ち着かなくちゃダメだ。落ち着いて、よく考えなくちゃ。

人に会わないように、階段を使って建物の中を歩いてみる。自分のリズムで体を動かすと、頭の中が少しずつ整理されていくような気がする。

榊さんと話すのは楽しい。

彼女の役に立ちたい。

尊敬しているし、いいひとだ。

そう。ずっとそう思ってきた。でも。

(俺にとって、榊さんは……?)

そこで止まってしまう。

途中の踊り場で壁にもたれたら、大きなため息が出てしまった。