ズキッ……と胸が痛くなった。
仲がいいのは仕方ない。同期だし、俺よりも2年も付き合いが長いんだから。それに、あんな光景、しょっちゅう見てる。前から同じだ――。
気にしていないことを証明するために、もう一度ふたりの後ろ姿に目をやる。“なんでもない” と思おうとしながら、そんなことをしている自分が変だと思う。
午前中の高揚感が引いて、気分がすーっと静かになった。そしてまた、槙瀬さんの言葉が頭の中に浮かんでくる。
――俺が「結婚するか」って言ったら……。
(やっぱり本気かも……)
表面上は何もないように隣の茂田と会話を続けながら、視線がどうしてもふたりに吸い寄せられてしまう。
料理をお盆に乗せて振り向いた榊さんが、俺に気付いて小さく手を振った。それに応えて会釈すると、槙瀬さんも笑顔で合図してくれた。
「あのふたり、同期なんだっけ?」
隣から茂田の声がした。
「ああ、うん、そうだよ」
ふたりは窓とは反対側に席を見付けて歩いて行く。まるで監視しているような気がしてきて、俺は自分の食事に視線を戻した。
けれど、茂田はそのまましばらくふたりを見ていた。そして、こちらに向き直ると何気ない調子で言った。
「あのふたりって、仲がいいよなあ」
「うん、そうだな」
またしても、ズキン、と胸が痛む。
茂田も何かの飲み会で、あのふたりと同席したことが何度かある。榊さんのところに用事で来ることもあるし、俺の友人だということで、榊さんも茂田を認識している。
「紺野も親しくしてるよなあ? あの人たちと、よく飲みに行ってるんだろ?」
「うん。あと、お前の職場の里沢さんと」
「ああ、里沢係長ね。あの人もいい人だよなあ。旦那さん、隣の会社の人なんだって?」
「うん、そうなんだよ」
2年前、俺たちが飲みに行っていた居酒屋で、隣のテーブルに座っていたことが縁の始まりだった。酒豪の里沢さん(当時は基木さん)に驚いてこっそり見ていたというその人は、翌朝、駅で彼女に声を掛けた。里沢さんは、ガンガンお酒を飲んでいても、その人がときどき自分を見ていることに気付いていたそうだ。だから、声をかけられてもあまり驚かず、スムーズに話が進んだと聞いている。
「なあ?」
茂田が体を寄せてくる。
「あのふたりって、どのくらい仲がいいんだ?」
お茶を飲んでいた俺は、むせそうになった。辛うじて咳一つでこらえて、茂田に顔を向ける。
「 “どのくらい” って…?」
「付き合ってるのかってことだよ」
まるで、察しが悪い相手に言い聞かせるように言われた。
「いや、そういう関係じゃないよ」
「そうなのか?」
「うん。間違いなく」
知らず知らずのうちに、言葉の調子が強くなる。
「ふうん……」
茂田が二人の方を見た。それにつられるようにして、俺も。
槙瀬さんと榊さんは、やっぱり親しげだ。今は、同じテーブルのほかの社員も一緒に談笑している。
「なんで急にそんなことを訊くんだよ?」
「え? ああ、責根がさ」
「責根? 同期の責根美佐代?」
「そう。あいつ、槙瀬さんのことが好きなんだって」
「へえ……」
責根は明るくて素直で、話していると楽しい。だけど……。
(榊さんと比べちゃうとなあ……)
槙瀬さんのそばには、ずっと榊さんがいた。“結婚してもいい” と思ったのは、榊さんなのだ。それが槙瀬さんにとっての “標準” だとしたら、責根は……。
(っていうか、どんな女の人でもダメなんじゃないか?)
榊さんほどの女性は、ほかにはいないんだから。
食事が終わってから、俺と茂田は食堂の自販機でコーヒーを買って、窓際の席に移動した。
昼休みも半分を過ぎると、食堂は空いてきて、結構ゆっくり話ができる。室内を見渡せる席を選んだのは偶然だと、自分に言い聞かせた。べつに榊さんたちを監視しているわけじゃない、と。
食堂の反対側では、榊さんと槙瀬さんが話しこんでいる。テーブルのほかの人いなくなってからも、残って。
さっきと違って真面目な顔。榊さんが何か言ったあと、槙瀬さんがしばらく黙って考えているようなのは、榊さんが何かの相談をしているからだろうか?
(いったい何を……?)
同窓会のことだろうか? もしかしたら、あの秘密を打ち明けて、対策を考えてもらっているのかも。
キリッ……と、また胸が痛む。
少しして、二人が立ち上がった。食器返却の棚にお盆を置き、真ん中の通路を通って出口に向かう。
歩きながら、榊さんはやっぱり真面目な顔で槙瀬さんに向かって話している。槙瀬さんは合間に少し笑ったりしながら、余裕の態度でそれに応じている。ふたりとも、俺には気付かない。
(あんなに話すことがあるんだ……)
話し込みながら並んで歩く姿を、こっそりと目で追ってしまう。そんな自分に嫌気がさす。
そのとき。
(あ)
すっ、と槙瀬さんが榊さんの肩に手を掛けた。何の疑問もないように、自然に。
ドクン、と心臓が鳴った。
榊さんが振り向きかけて、前から人が来たことに気付いた。すぐに榊さんが、槙瀬さんの前に移動する。そのときにはもう、槙瀬さんの手は榊さんからは離れていた。
(人が来たって教えただけだ)
自分に言い聞かせる言葉が呪文のように感じる。自分を落ち着かせるための呪文。
仲がいいのは仕方ない。同期だし、俺よりも2年も付き合いが長いんだから。それに、あんな光景、しょっちゅう見てる。前から同じだ――。
気にしていないことを証明するために、もう一度ふたりの後ろ姿に目をやる。“なんでもない” と思おうとしながら、そんなことをしている自分が変だと思う。
午前中の高揚感が引いて、気分がすーっと静かになった。そしてまた、槙瀬さんの言葉が頭の中に浮かんでくる。
――俺が「結婚するか」って言ったら……。
(やっぱり本気かも……)
表面上は何もないように隣の茂田と会話を続けながら、視線がどうしてもふたりに吸い寄せられてしまう。
料理をお盆に乗せて振り向いた榊さんが、俺に気付いて小さく手を振った。それに応えて会釈すると、槙瀬さんも笑顔で合図してくれた。
「あのふたり、同期なんだっけ?」
隣から茂田の声がした。
「ああ、うん、そうだよ」
ふたりは窓とは反対側に席を見付けて歩いて行く。まるで監視しているような気がしてきて、俺は自分の食事に視線を戻した。
けれど、茂田はそのまましばらくふたりを見ていた。そして、こちらに向き直ると何気ない調子で言った。
「あのふたりって、仲がいいよなあ」
「うん、そうだな」
またしても、ズキン、と胸が痛む。
茂田も何かの飲み会で、あのふたりと同席したことが何度かある。榊さんのところに用事で来ることもあるし、俺の友人だということで、榊さんも茂田を認識している。
「紺野も親しくしてるよなあ? あの人たちと、よく飲みに行ってるんだろ?」
「うん。あと、お前の職場の里沢さんと」
「ああ、里沢係長ね。あの人もいい人だよなあ。旦那さん、隣の会社の人なんだって?」
「うん、そうなんだよ」
2年前、俺たちが飲みに行っていた居酒屋で、隣のテーブルに座っていたことが縁の始まりだった。酒豪の里沢さん(当時は基木さん)に驚いてこっそり見ていたというその人は、翌朝、駅で彼女に声を掛けた。里沢さんは、ガンガンお酒を飲んでいても、その人がときどき自分を見ていることに気付いていたそうだ。だから、声をかけられてもあまり驚かず、スムーズに話が進んだと聞いている。
「なあ?」
茂田が体を寄せてくる。
「あのふたりって、どのくらい仲がいいんだ?」
お茶を飲んでいた俺は、むせそうになった。辛うじて咳一つでこらえて、茂田に顔を向ける。
「 “どのくらい” って…?」
「付き合ってるのかってことだよ」
まるで、察しが悪い相手に言い聞かせるように言われた。
「いや、そういう関係じゃないよ」
「そうなのか?」
「うん。間違いなく」
知らず知らずのうちに、言葉の調子が強くなる。
「ふうん……」
茂田が二人の方を見た。それにつられるようにして、俺も。
槙瀬さんと榊さんは、やっぱり親しげだ。今は、同じテーブルのほかの社員も一緒に談笑している。
「なんで急にそんなことを訊くんだよ?」
「え? ああ、責根がさ」
「責根? 同期の責根美佐代?」
「そう。あいつ、槙瀬さんのことが好きなんだって」
「へえ……」
責根は明るくて素直で、話していると楽しい。だけど……。
(榊さんと比べちゃうとなあ……)
槙瀬さんのそばには、ずっと榊さんがいた。“結婚してもいい” と思ったのは、榊さんなのだ。それが槙瀬さんにとっての “標準” だとしたら、責根は……。
(っていうか、どんな女の人でもダメなんじゃないか?)
榊さんほどの女性は、ほかにはいないんだから。
食事が終わってから、俺と茂田は食堂の自販機でコーヒーを買って、窓際の席に移動した。
昼休みも半分を過ぎると、食堂は空いてきて、結構ゆっくり話ができる。室内を見渡せる席を選んだのは偶然だと、自分に言い聞かせた。べつに榊さんたちを監視しているわけじゃない、と。
食堂の反対側では、榊さんと槙瀬さんが話しこんでいる。テーブルのほかの人いなくなってからも、残って。
さっきと違って真面目な顔。榊さんが何か言ったあと、槙瀬さんがしばらく黙って考えているようなのは、榊さんが何かの相談をしているからだろうか?
(いったい何を……?)
同窓会のことだろうか? もしかしたら、あの秘密を打ち明けて、対策を考えてもらっているのかも。
キリッ……と、また胸が痛む。
少しして、二人が立ち上がった。食器返却の棚にお盆を置き、真ん中の通路を通って出口に向かう。
歩きながら、榊さんはやっぱり真面目な顔で槙瀬さんに向かって話している。槙瀬さんは合間に少し笑ったりしながら、余裕の態度でそれに応じている。ふたりとも、俺には気付かない。
(あんなに話すことがあるんだ……)
話し込みながら並んで歩く姿を、こっそりと目で追ってしまう。そんな自分に嫌気がさす。
そのとき。
(あ)
すっ、と槙瀬さんが榊さんの肩に手を掛けた。何の疑問もないように、自然に。
ドクン、と心臓が鳴った。
榊さんが振り向きかけて、前から人が来たことに気付いた。すぐに榊さんが、槙瀬さんの前に移動する。そのときにはもう、槙瀬さんの手は榊さんからは離れていた。
(人が来たって教えただけだ)
自分に言い聞かせる言葉が呪文のように感じる。自分を落ち着かせるための呪文。