「ははは、もちろん、嫌いじゃないよ。女の中では、あいつが一番仲がいいし。そうだなあ……、まあ、いいパートナーって感じだな」
「はあ」
「まあ、若い紺野には分からないだろうけど、そういう結婚もあるってことだな。はははは」
「はあ……」

照れもせずにそんな話をして、平気でお酒を飲んでいる槙瀬さんを、信じられない気持ちで見てしまう。でも、その間にも、二人が楽しそうにキッチンにいる姿や買い物をしている姿が次々と頭に浮かぶ。

(う……、お似合いじゃないか……)

考えてみれば、以前から見ている光景だ。背景が居酒屋からキッチンやスーパーに変わっただけ。いちゃいちゃしているわけじゃなく、笑顔で話したり頷いたりしているだけ。

確かにこんな夫婦もあるだろうけど……。

それに、槙瀬さんなら結婚相手として申し分ない。

明るくて頼もしい性格。仕事でも優秀だって言われてる。槙瀬さんに憧れている女子社員も少なくない。

そう。結婚相手としては……条件は、申し分ない。

でも!

好きなのかと訊かれて、「どうかなあ?」って、何なんだよ!?

そんなの有りか!?

そりゃあ、そういう結婚もあるかも知れない。あるかも知れないけど!

「あ、あの」
「んー?」
「もし」
「うん」
「もしもですよ?」
「うん」
「候補者がいたら……?」
「候補者? 榊に、ってこと?」

食べ物から目を上げた槙瀬さんに、コクコクと頷いてみせる。

「そんなの、今までだって何人かいただろ? でも、あいつがみんな適当にあしらっちゃったじゃないか」

思い出した。過去に彼女に近付いて来ていた男たち。

「ああ、いや、今までのはそもそも有望な候補者じゃなかったし……」

槙瀬さんが少し考える。と、突然ニヤっとした。

「有望な候補者。たとえば……、お前とか?」
「え!?」

心臓が爆発するかと思った。

急に酒がまわってきたみたいに暑くなって、思わずメニュー帳で顔をあおいでしまった。そんなことをしたら、槙瀬さんに図星だと勘違いされてしまいそうなのに。

「はははは、いやだなあ、槙瀬さん。あくまでも、“槙瀬さんのほかにいたら”って話ですよ」
「そうか?」
「そ、それに、俺、年下ですよ? さっき、槙瀬さんだってそう言ったじゃないですか。あははは」

槙瀬さんが、俺をじっくりと見る。まるで品定めをするように。

「紺野とだったら、意外と上手く行きそうだけどな?」
「え、あ、そ、そん、そうですかっ?」

(なんだこれは!? 罠か!?)

何かの計画にはめられているんだろうか? だとしたら、何の意味があるんだ?

噴き出してくる額の汗を、テーブルのお手拭きで拭ってしまう。普段は自分のハンカチを使うのに。大きくなった心臓の音が、槙瀬さんに聞こえるんじゃないかと不安になる。

こんな話になるはずじゃなかったのに!

「ああ。お前なら大丈夫だと思うぞ」

まるで、励ますように笑顔で頷いて。かと思ったら、ふっと表情をゆるめて少ししんみりと言った。

「榊が自分自身でいられる男は、紺野と俺くらいだからな」

――榊さんが自分自身でいられる男。

まだ焦りながらも、数日前に見た、榊さんの気弱な微笑みが目に浮かんだ。そして、あの打ち明け話……。

「まあ、誰であったとしても、榊がいいと思う相手ならいいんじゃないか?」
「誰でも……?」
「ああ。それは榊の自由だからな」

(「いい」……って、言うんだ……)

そこで追加の酒が来て、榊さんの話は終わりになった。でも、俺は動揺がおさまらなくて、そのあとに何を話したのかよく覚えていない。ただ、何か納得できない思いが残っていて、それは何だろうと、ずっと考えていた。

   * * *

翌朝、職場で会った榊さんは、いつも通りに落ち着いていて、きびきびしていて、みんなに親切だった。俺はそんな彼女を、自分の席からそっと様子をうかがっていた。見ていないときには、いつの間にか、耳を澄ませていた。

姿が見えたり、声が聞こえたりすると、なんとなく安心した。彼女が元気だと確認できたからだろうか。それとも……?

残業している途中、近くを通りかかった俺を、榊さんが呼び止めた。「ちょっとちょっと」と、小声でにこにこと手招きして。そこには、いつも通りの親しみがこめられていて、ふわっと胸が熱くなった。

「はい、これ。おすそ分け」

差し出した手に乗せてくれたのは、きつね色の焼き菓子。確か、マドレーヌというお菓子だ。榊さんはにこっと笑ってから、顔を近付けて小声で言った。

「お客様からいただいたんだけど、経理課のほかの人の分はないの。こっちで食べて行って」

来客の相手をすることが多い庶務係には、手土産のお菓子が置いてあることも多い。俺が甘いものが好きだと知っている榊さんは、俺が異動してからも、こうやってときどき俺におすそ分けをくれるのだ。

「はい。ありがとうございます」

今、庶務係で残っているのは榊さん一人。久しぶりに彼女の隣の席(以前の俺の席)を借りて、いただくことにする。彼女と座って話すのは、あの日以来初めてのことだ。

「あの…」