それからも、榊さんはときどき憂うつそうな顔をしていた。そういうときに俺と目が合うと、彼女は「仕方ないよね」というように肩をすくめたり、微笑んだりしてみせた。

そんな彼女を見るたびに、彼女の悩みを軽くする役に立ちたいと思う。悩みを聞き出しても、助けになれないんじゃ何も意味がない……。



「紺野」

槙瀬さんに声を掛けられたのは、榊さんの話を聞いてから何日か過ぎた帰り。

「今帰り? 久しぶりにメシ食いに行く?」

聞き慣れた、オペラ歌手のような低くて豊かな声。こんなふうに気軽に声をかけてもらえることが、俺は結構嬉しい。俺を気に入ってくれているのだと分かるから。

入ったのは鰯料理が売りの小料理屋。槙瀬さんとはよく来る店だ。縦に長い座敷の一番奥のテーブルに案内されて、とりあえずビールで乾杯。美味しい酒と料理で、仕事の話に花が咲く。

槙瀬さんは上司や先輩にも厳しい評価を口にすることがあるけれど、嫌味にならないところがいい。愚痴っぽくなくて、豪快に笑って、「仕方ないよな、そういう人なんだから」でおしまい。自分をしっかりと持っているからこそできることなのかな、と思っている。

しばらくたったころ、思い出したように槙瀬さんが榊さんの話を持ち出した。

「昨日、榊に会ったら、同窓会があるんだって言ってたよ」

口止めされていた俺は言葉に詰まった。彼女がどの程度話したのか分からなくて。

「ああ……」

仕方なく、どうにでもとれそうな返事をしてみる。

「いつだったか、お前、あいつが元気がないって言ってただろ? 本人から何か聞いたか?」
「あ……、いいえ」

俺が話を聞いたことは知らないらしい。ということは、榊さんは、同窓会があるということだけを話したんだ。

「そうか。たぶん、同窓会のせいだと思うぞ」

「たぶん」と言いつつも、槙瀬さんは自信あり気に言い切った。それがなんだか気になる。

「どうして……ですか?」

槙瀬さんは落ち着いた様子で追加のビールを注文すると、箸を持ちながら言った。

「榊は男が苦手だから」
(!!)

あまりにも呆気なく言葉にされて、俺は槙瀬さんをただ見つめるだけ。それを言った本人は、平気な顔で料理を食べている。

「そ、そうなんですか?」

心臓がバクバクして、いろいろな疑問がすごい速さで湧いてくる。

なんで知ってるんだろう?
榊さんが話したのか?
俺が話したのだと、榊さんに誤解されないだろうか?
何人が知っているんだ?

落ち着くために手元のグラスを口に運んだけど、何の味も感じなかった。

「まあ、本人は隠してるつもりだろうけど」
「あ、そうなんですか……」

ほっとした。槙瀬さんが自分で気付いたってことらしい。そういうことなら、とりあえず、俺の責任を追及されることはないはずだ。それに、榊さんが話したのではないということも少し嬉しい。

「どうして気が付いたんですか?」

ほっとしたので、今度はそっちが気になる。俺は全然気付かなかったのに。

「ああ、一番はっきり分かるのは同期会だな」
「同期会……」

なるほど。

確かに、同期会には同い年の男がたくさんいるはずだ。俺の同期だって、50人いるうちの半分以上が男だし。それに、同期会なら俺は出られないんだから、気付かなくて当然だ。

「あいつ、いつも緊張してるから」
「そうなんですか?」
「うん。女同士でしゃべってるときと、男と話してるときじゃあ、全然違うな」
「へえ」
「まあ基本的に、自分からは男には近付かないよ。それに、話しかけられたときは、ひたすら相手にしゃべらせてるな」
「しゃべらせてる……?」
「そう。相手の話にタイミング良く笑ったり相槌を打ったりしてさ。聞き上手だから、相手は気持ち良くしゃべってるよ。で、話題が途切れると、また必死で相手が食いつきそうな話題を探してさ」
「へえ」

そんなに気を遣ってるのか。まるで接待をするときみたいじゃないか。

「息抜きのはずの同期会なのに、それじゃあ気の毒ですね」
「まあな。そういうときは、俺が間に入ってやってるけどな。ははは」

(え? あれ? 「間に入ってやってる」って……?)

微妙な言葉の遣い方が心に引っ掛かる。

「あ、ああ、そうですよね。あはは……」

何だろう? 急に胃のあたりがモヤモヤして……。

「さ……、榊さんに彼氏がいないっていうのは、そのせい、なのかな?」

どうしてこんなに落ち着かないんだろう? 槙瀬さんが榊さんを助けたっていいはず……だよな? だけど……。

「ああ、たぶんな」

どうして槙瀬さんは、こんなに自信たっぷりなんだろう?
どうして榊さんのことを、こんなに落ち着いて評価しているんだ?
今まであまり考えなかったけど、榊さんと槙瀬さんの関係って……?