躊躇いがちに問いかける麒麟児に、カズラは緩やかに首を振って答える。
「でももしかしたら、そのメールを見ればそれが分かるかもしれないんです。だから――お願いします!」
 しかし、カズラは顔を上げて、麒麟児を真っ直ぐ見据える。
 その声は確かな決意が感じられるもので、精一杯の勇気を振り絞った証拠だった。
 だがその身体は震えている。緊張に押し潰されそうになっているカズラを安心させるように、俺は背中に回されていた手をそっと握った。
「先生、俺からもどうかお願いします」
 カズラを倣うように、俺も深々と頭を下げて頼み込む。
 麒麟児はそんな俺たちを見て、短く唸るように声を漏らして逡巡をしていた。
「……分かった。その代わり、内容については他言無用だぞ」
 そしてしばらくの沈黙のあと、ついに折れるように溜め息混じりに了承の意を告げた。
「これが学校宛てに届いたメールだ」
「ここに書いてあるURLは、Shabetterのものですか?」
 麒麟児がパソコンを操作すると、そこに例のメールが表示された。
 題名などは特になく、本文にはインターネットのURLと思わしきアルファベットの羅列が並んでいた。これをクリックすれば、指定のホームページへとアクセスできる。
「ああ、それから個人情報が、面白おかしくまとめられているサイトもあった。ご丁寧に画像まで添付されていた」
 辟易したように目を瞑る麒麟児。確かにメールには画像ファイルも添付されていて、そこには問題となっている篝火紫陽の飲酒の様子が写真に収められている。
「…………」
 まるでメールの内容を頭の中に焼き付けるように、カズラは画面を凝視している。
「ありがとうございます、先生」
 そのままカズラは目を閉じて、考え込むように沈黙した。
 しばらくすると、画面から目を離して麒麟児に向かってお辞儀をした。
「もういいのか?」
「はい、大丈夫です」
 確認するように尋ねる麒麟児に対して、カズラは頷いてもう用は済んだと答える。
「なにか分かったか?」
「……はい、多分」
 そんなカズラを見て麒麟児は、顎に手を当てて難しい表情で問いかける。
 カズラはそれに対して、自信がなさそうだが肯定するように頷いた。
「これからやることができたので、わたしたちはそろそろ帰ります。今日は本当にありがとうございました」
 もう一度頭を下げるとカズラは、感謝の言葉とこれから帰る旨を麒麟児に伝える。
「定家、ちょっといいか」
 そんなカズラを見て、麒麟児は静かに言葉を切り出した。
「お前には本当に済まないと思ってる」
「先生……?」
「お前のイジメの件が結局、有耶無耶になってしまったのは俺の責任だ。学校側は事を荒立てたくないの一点張りで、事実を頑なに否定していた。何度も掛け合ってみたが、結果は覆られなかった」
 痛みに耐えるように険しく表情を歪め、麒麟児は唸るように言葉を吐き出す。
「……俺にできたのは自宅で定期試験を受けることで、単位を取れるようにすることだけだった。問題を放置することしかできなかった俺を恨んでいるかもしれない」
 その口から語られる言葉には苦悶が充ちていて、自責するように言葉を続ける。
「俺は自分が不甲斐ない。いつも生徒のためにと厳しいことも言ってきたつもりだったが、いざとなればこんなに無力だ。許してくれ、とは言わない。ただ謝らせて欲しい」
「…………」
 項垂れるように頭を垂らす麒麟児の姿は、出会った時のような毅然としたものではなく哀愁を感じさせるものだった。
「……先生。わたしのことをそこまで気にかけてくれて、ありがとうございます」
 怒るのでもなく、責めるでもなく、カズラは静かに感謝の気持ちを告げた。
「先生がわたしのために、そこまでしてくれてたって分かっただけで……凄く嬉しいです」
 口元に僅かな微笑を浮かべて、心の底からカズラは言葉を続けた。
 カズラが不登校になった時に、ギリギリのところで退学にならなかったのは彼の努力によるものだった。それに感謝はすれど、恨むことはない。カズラならそう思うはずだ。
「そうか――」
 そんなカズラを見て麒麟児は、心の底から吐き出すように声を漏らした。
 ずっと胸に溜め込んできた後悔が、少しでも和らいだことを俺も切に願った。
「結局、目新しい情報はなかったな」
 職員室をあとにした俺たちは、家への帰路についていた。
 学校で見たメールからは、特に今まで以上の情報は得られなかった。
 当初の目的を考えれば、思ったような成果は上がらなかったと言える。
「ううん、そんなことないよ。あのメールには確かなヒントがあったから」
 しかしカズラはそれを否定するように、首を横に振って答えた。