◇カズラからの依頼
「――と、まあ……そんな感じでこれから、また出掛けなきゃいけなくなった」
毎日の日課である今日の出来事を話し終えると、溜め息混じりにそう締めくくった。
「ふーん……『路地裏の亡霊』、かぁ」
膝の上からこちらを見上げながら話を聞いていたカズラは、先ほどの話で気になったのかポツリと呟きを漏らした。
「知ってるのか?」
「うん、まあねー」
その反応が気になった俺は試しに聞いてみると、意外なことにカズラは頷いてみせた。
「ちょっと待ってね――よいしょ、っと」
カズラは俺の膝の上から起き上がると、何を思ったのか再びパソコンの前に鎮座する。
そして警戒にマウスをキーボードを操作し、どこかのウェブサイトを表示した。
「それは?」
「nixi(ニクシィ)ってSNSだよ、お兄ちゃん」
「聞いたことあるな。確か一時期流行ったヤツか?」
SNSとはソーシャル・ネットワーキング・サービスの略称で、インターネット上の交流を通して社会的ネットワーク(ソーシャル・ネットワーク)を構築するサービスのことだ。
その定義は幅広いが、ここではコミュニティ型の会員制のサービスが当て嵌まるだろう。
簡単に言えばコミュニティーや日記などの機能を通して、ネット上から個人間の交流を図るウェブサービスのことだ。
「これは地域密着型のSNSでね、カズラも登録してるんだ」
「それって他のSNSと何か違うのか?」
「SNSにも色々と種類があるからねー。
ここは自分が実際に住んでいる地域を設定することができるんだよ。
住んでる場所が一緒なら話しやすいでしょ?」
「つまり同じ地域に住んでいるユーザー同士が集まって、より密接な交流をウリにしてるってわけか」
「さっきの話、試しにコミュニティーで検索してみたら、やっぱりヒットしたよ」
ディスプレイには『路地裏の亡霊の体験談』という題名のトピックスが表示されていた。
「コミュニティーってのは?」
「SNS上でのグループのことだよ。
自分と同じ考え・興味を持つ人、同じ環境にいる人と集まることができるから、まあ言ってみればネットでのしゃべり場みたいな感じかな」
「じゃあ、この場合だと『路地裏の亡霊』について遭遇したユーザーや興味を持っているユーザー同士が交流を図っているってことだな」
スレッドを読み進めていくと、そこには多くの体験談が書き込まれていた。
その数は思いの外に多く、これが暗に『路地裏の亡霊』の存在を証明しているようだった。
「なるほど。あながち飛燕の勘違い、ってわけじゃないみたいだな」
その様子を目の当たりにして、ポツリと独り言のような呟きを漏らした。
正直、飛燕の勘違いくらいにしか思っていなかった話が、急に現実味を帯びてくる。
「目撃談はどれも夜に限定されてるみたいだね」
「それから遭遇している場所も、だいたい同じみたいだな」
カズラと二人で内容を読んでいくと、ある程度の法則性があることが分かった。
体験談はどれも必ず夜に限定されていて、遭遇場所もだいたい一定だった。
「全部の体験談に共通してるのは、不気味な叫び声を聞いた……って点か」
「でも、実際に亡霊の姿を見た人はいないみたいだね」
「姿は見えないけど、声は聞こえる――か」
全ての内容に共通しているのは、不気味な声を聞いたと言うことだった。
この世のものとは思えない叫び声だとか、地獄から聞こえる怨嗟とか、地の底へ響く絶叫とか、表現の仕方は人それぞれだが、そこだけは変わらないだろう。
「正直な話、野良犬か何かの鳴き声じゃないか、とは思うんだけどな」
「んー……本当にそうかな?
だとしたら、この中の一人くらいは気付きそうだけど」
「じゃあ、表の店から聞こえてくる客や店員の声とか?
あそこら辺は居酒屋とか多いし」
「それも同じような気がするんだよねー。
ここで引っ掛かってるのは、みんな聞こえてきた声を“不気味”って言ってることなんだよ」
「薄暗い路地で急に声が聞こえてきたら、そりゃあ不気味だろ」
「うーん、それはそうなんだけど……」
正直な話、俺にはそうとしか思えなかった。
幽霊の正体見たり枯れ尾花、と言う言葉もある。
心霊現象なんて根本にトリックがあって、それが分かってしまえば大したことはないものだ。
問題なのは観測者側が心理的な恐怖によって、事実を脚色してしまうことだ。
しかしカズラはどこか納得がいかないように、難しそうな表情で唸っている。
「まあ、それも今から確かめてくるんだけどな」
ここで俺たちが頭を悩ませていても、この件は解決するわけではない。
今の俺にできるのは飛燕に同行して、これが与太話の類いであると証明することだけだ。
「あ、そうだお兄ちゃん。
ついでにちょっとお願いがあるんだけど、いいかな?」
『路地裏の亡霊』の話題は一区切りつくと、カズラは思い出したように声を上げた。
「ん、どうした?」
「今から繁華街に行くんだよね?」
「そうだけど、何かお使いか?」
また何か買い出しの類いだろうか、と俺は思いながら問いかける。
大抵の物は通販で事足りるが、それでも実際の店舗で買わなければ手に入らないものもある。
そう言ったものは、お使いを頼まれるのがいつものことだった。
「お使い、と言うか頼まれ事をしてもらえる?」
「頼まれ事?」
いつもとは違うニュアンスに俺は思わず首を傾げる。
そうするとカズラは、Konozamaのダンボールから黄色い箱を取り出した。
「これを今から言う場所に撒いてきて欲しいの」
「【野良犬忌避いやがる砂】……?
何だこりゃ??」
「野良犬退治に使う忌避剤だよ」
「なんでまた、そんなもんを……」
確かにパッケージにも、臭いに敏感な犬や猫が嫌う臭気を持つ忌避成分を配合した砂状の粒剤、とは書いてある。
しかしどうしてカズラが、こんなものを持っているのかは依然として分からない。
「繁華街のメインストリートから一本入った路地に、廃ビルがあるのは知ってる?」
「いや、初耳だな」
「ちょっと前からそこに、野良犬が集まるようになったらしいんだよ」
「それは分かったけど、それとお前がどう関係あるんだ?」
廃ビルに野良犬がたむろしている、なんてことはよく聞く話だ。
だがどうしてカズラが、その野良犬の退治をしようとしているのだろうか。
「その廃ビルの通りって結構、裏道で使う人がいるみたいなんだ。
だから最近、nixiのコミュニティーでも話題になっててさ」
「それで、どうにかしたいって話か?」
「うん、そうなんだ。お願いできる、お兄ちゃん?」
「別にそれは構わないけど、そんなの他のヤツにやらせりゃいいんじゃないか?」
野良犬のせいで地域住民が被害を被っているのは分かったが、外に出かける必要のない人間がどうしてその問題に対処しなければいけないのだろうか。
冷たいと思われるかもしれないが、当人がどうにかするべきではと思う。
「ま、そこはコミュニティーのリーダーの辛いところだよねー」
「お前、リーダーなのかよ。初耳だぞ」
「これでも参加者三桁越えの大規模コミュニティーのリーダーDEATH☆」
「だからって、そんな見栄を張らんでもいいだろうに……」
人間関係で見栄を張りたくなる気持ちは、まあ分からなくもない。
自分が他人を率先するような立ち位置ならば尚更にだろう。
例えネット上の関係でしかなくとも、きっとそれは変わらないと思う。
「仕方ねぇな……分かったよ」
「わーい! お兄ちゃん、ありがとう(はあと)」
そもそも妹からの頼み事を断れるはずもなく、やれやれと頷くのだった。
「とりあえず、入り口と中にも適当に数カ所撒いてきてね。
後はデジカメを貸すから、証拠に何枚か写真とか撮ってきてもらってもいい?」
「あいよ。写真は何枚か適当でいいんだな?」
「うん。それで大丈夫だよ」
デジカメを受け取ると、久しぶりにそれを操作しながら続けられた言葉に頷く。
「あ、そうだ――」
一通りの使い方を復習していると、カズラが何か思いついたように声を上げた。
「せっかくだからそれを使って、現場の写真を撮ってくれば?」
「現場の写真?」
「『路地裏の亡霊』が出るって言う現場の写真。
もしかしたら、何か写ってるかもよ?」
ニシシ、と意地の悪い笑みを浮かべながらカズラは答える。
こいつは心霊写真の類いでも期待しているのだろうか。
「そうだな。
何かの証拠になるかもしれないし、撮っておくか」
俺としてもその意見には賛成だった。
現場の写真が幽霊騒ぎの正体を掴むヒントになるかもしれない。
流石に日が暮れてしまえば写真を撮ることは困難でも、今からならば多少は日が昇っているので撮影することもできるだろう。
「それじゃ、行ってくるよ」
携帯電話を見てみると、そろそろ家を出ないと待ち合わせに間に合わない時間だ。
ベッドから立ち上がると、デジカメをポケットにしまいカズラに外出を告げる。
「うん、気を付けてね。
まだ日があるから例の野良犬も集まってないとは思うけど、もしもの時は無理はしなくてもいいからね?」
「分かったよ。まあ、期待しないで待っててくれ」
ドアの方を向くと、カズラはこちらを気遣うように声を掛けてくる。
そんな言葉に軽い調子で答えると俺は、ひらひらと後ろ手を振って部屋を出て行った。
「――と、まあ……そんな感じでこれから、また出掛けなきゃいけなくなった」
毎日の日課である今日の出来事を話し終えると、溜め息混じりにそう締めくくった。
「ふーん……『路地裏の亡霊』、かぁ」
膝の上からこちらを見上げながら話を聞いていたカズラは、先ほどの話で気になったのかポツリと呟きを漏らした。
「知ってるのか?」
「うん、まあねー」
その反応が気になった俺は試しに聞いてみると、意外なことにカズラは頷いてみせた。
「ちょっと待ってね――よいしょ、っと」
カズラは俺の膝の上から起き上がると、何を思ったのか再びパソコンの前に鎮座する。
そして警戒にマウスをキーボードを操作し、どこかのウェブサイトを表示した。
「それは?」
「nixi(ニクシィ)ってSNSだよ、お兄ちゃん」
「聞いたことあるな。確か一時期流行ったヤツか?」
SNSとはソーシャル・ネットワーキング・サービスの略称で、インターネット上の交流を通して社会的ネットワーク(ソーシャル・ネットワーク)を構築するサービスのことだ。
その定義は幅広いが、ここではコミュニティ型の会員制のサービスが当て嵌まるだろう。
簡単に言えばコミュニティーや日記などの機能を通して、ネット上から個人間の交流を図るウェブサービスのことだ。
「これは地域密着型のSNSでね、カズラも登録してるんだ」
「それって他のSNSと何か違うのか?」
「SNSにも色々と種類があるからねー。
ここは自分が実際に住んでいる地域を設定することができるんだよ。
住んでる場所が一緒なら話しやすいでしょ?」
「つまり同じ地域に住んでいるユーザー同士が集まって、より密接な交流をウリにしてるってわけか」
「さっきの話、試しにコミュニティーで検索してみたら、やっぱりヒットしたよ」
ディスプレイには『路地裏の亡霊の体験談』という題名のトピックスが表示されていた。
「コミュニティーってのは?」
「SNS上でのグループのことだよ。
自分と同じ考え・興味を持つ人、同じ環境にいる人と集まることができるから、まあ言ってみればネットでのしゃべり場みたいな感じかな」
「じゃあ、この場合だと『路地裏の亡霊』について遭遇したユーザーや興味を持っているユーザー同士が交流を図っているってことだな」
スレッドを読み進めていくと、そこには多くの体験談が書き込まれていた。
その数は思いの外に多く、これが暗に『路地裏の亡霊』の存在を証明しているようだった。
「なるほど。あながち飛燕の勘違い、ってわけじゃないみたいだな」
その様子を目の当たりにして、ポツリと独り言のような呟きを漏らした。
正直、飛燕の勘違いくらいにしか思っていなかった話が、急に現実味を帯びてくる。
「目撃談はどれも夜に限定されてるみたいだね」
「それから遭遇している場所も、だいたい同じみたいだな」
カズラと二人で内容を読んでいくと、ある程度の法則性があることが分かった。
体験談はどれも必ず夜に限定されていて、遭遇場所もだいたい一定だった。
「全部の体験談に共通してるのは、不気味な叫び声を聞いた……って点か」
「でも、実際に亡霊の姿を見た人はいないみたいだね」
「姿は見えないけど、声は聞こえる――か」
全ての内容に共通しているのは、不気味な声を聞いたと言うことだった。
この世のものとは思えない叫び声だとか、地獄から聞こえる怨嗟とか、地の底へ響く絶叫とか、表現の仕方は人それぞれだが、そこだけは変わらないだろう。
「正直な話、野良犬か何かの鳴き声じゃないか、とは思うんだけどな」
「んー……本当にそうかな?
だとしたら、この中の一人くらいは気付きそうだけど」
「じゃあ、表の店から聞こえてくる客や店員の声とか?
あそこら辺は居酒屋とか多いし」
「それも同じような気がするんだよねー。
ここで引っ掛かってるのは、みんな聞こえてきた声を“不気味”って言ってることなんだよ」
「薄暗い路地で急に声が聞こえてきたら、そりゃあ不気味だろ」
「うーん、それはそうなんだけど……」
正直な話、俺にはそうとしか思えなかった。
幽霊の正体見たり枯れ尾花、と言う言葉もある。
心霊現象なんて根本にトリックがあって、それが分かってしまえば大したことはないものだ。
問題なのは観測者側が心理的な恐怖によって、事実を脚色してしまうことだ。
しかしカズラはどこか納得がいかないように、難しそうな表情で唸っている。
「まあ、それも今から確かめてくるんだけどな」
ここで俺たちが頭を悩ませていても、この件は解決するわけではない。
今の俺にできるのは飛燕に同行して、これが与太話の類いであると証明することだけだ。
「あ、そうだお兄ちゃん。
ついでにちょっとお願いがあるんだけど、いいかな?」
『路地裏の亡霊』の話題は一区切りつくと、カズラは思い出したように声を上げた。
「ん、どうした?」
「今から繁華街に行くんだよね?」
「そうだけど、何かお使いか?」
また何か買い出しの類いだろうか、と俺は思いながら問いかける。
大抵の物は通販で事足りるが、それでも実際の店舗で買わなければ手に入らないものもある。
そう言ったものは、お使いを頼まれるのがいつものことだった。
「お使い、と言うか頼まれ事をしてもらえる?」
「頼まれ事?」
いつもとは違うニュアンスに俺は思わず首を傾げる。
そうするとカズラは、Konozamaのダンボールから黄色い箱を取り出した。
「これを今から言う場所に撒いてきて欲しいの」
「【野良犬忌避いやがる砂】……?
何だこりゃ??」
「野良犬退治に使う忌避剤だよ」
「なんでまた、そんなもんを……」
確かにパッケージにも、臭いに敏感な犬や猫が嫌う臭気を持つ忌避成分を配合した砂状の粒剤、とは書いてある。
しかしどうしてカズラが、こんなものを持っているのかは依然として分からない。
「繁華街のメインストリートから一本入った路地に、廃ビルがあるのは知ってる?」
「いや、初耳だな」
「ちょっと前からそこに、野良犬が集まるようになったらしいんだよ」
「それは分かったけど、それとお前がどう関係あるんだ?」
廃ビルに野良犬がたむろしている、なんてことはよく聞く話だ。
だがどうしてカズラが、その野良犬の退治をしようとしているのだろうか。
「その廃ビルの通りって結構、裏道で使う人がいるみたいなんだ。
だから最近、nixiのコミュニティーでも話題になっててさ」
「それで、どうにかしたいって話か?」
「うん、そうなんだ。お願いできる、お兄ちゃん?」
「別にそれは構わないけど、そんなの他のヤツにやらせりゃいいんじゃないか?」
野良犬のせいで地域住民が被害を被っているのは分かったが、外に出かける必要のない人間がどうしてその問題に対処しなければいけないのだろうか。
冷たいと思われるかもしれないが、当人がどうにかするべきではと思う。
「ま、そこはコミュニティーのリーダーの辛いところだよねー」
「お前、リーダーなのかよ。初耳だぞ」
「これでも参加者三桁越えの大規模コミュニティーのリーダーDEATH☆」
「だからって、そんな見栄を張らんでもいいだろうに……」
人間関係で見栄を張りたくなる気持ちは、まあ分からなくもない。
自分が他人を率先するような立ち位置ならば尚更にだろう。
例えネット上の関係でしかなくとも、きっとそれは変わらないと思う。
「仕方ねぇな……分かったよ」
「わーい! お兄ちゃん、ありがとう(はあと)」
そもそも妹からの頼み事を断れるはずもなく、やれやれと頷くのだった。
「とりあえず、入り口と中にも適当に数カ所撒いてきてね。
後はデジカメを貸すから、証拠に何枚か写真とか撮ってきてもらってもいい?」
「あいよ。写真は何枚か適当でいいんだな?」
「うん。それで大丈夫だよ」
デジカメを受け取ると、久しぶりにそれを操作しながら続けられた言葉に頷く。
「あ、そうだ――」
一通りの使い方を復習していると、カズラが何か思いついたように声を上げた。
「せっかくだからそれを使って、現場の写真を撮ってくれば?」
「現場の写真?」
「『路地裏の亡霊』が出るって言う現場の写真。
もしかしたら、何か写ってるかもよ?」
ニシシ、と意地の悪い笑みを浮かべながらカズラは答える。
こいつは心霊写真の類いでも期待しているのだろうか。
「そうだな。
何かの証拠になるかもしれないし、撮っておくか」
俺としてもその意見には賛成だった。
現場の写真が幽霊騒ぎの正体を掴むヒントになるかもしれない。
流石に日が暮れてしまえば写真を撮ることは困難でも、今からならば多少は日が昇っているので撮影することもできるだろう。
「それじゃ、行ってくるよ」
携帯電話を見てみると、そろそろ家を出ないと待ち合わせに間に合わない時間だ。
ベッドから立ち上がると、デジカメをポケットにしまいカズラに外出を告げる。
「うん、気を付けてね。
まだ日があるから例の野良犬も集まってないとは思うけど、もしもの時は無理はしなくてもいいからね?」
「分かったよ。まあ、期待しないで待っててくれ」
ドアの方を向くと、カズラはこちらを気遣うように声を掛けてくる。
そんな言葉に軽い調子で答えると俺は、ひらひらと後ろ手を振って部屋を出て行った。