綴られた文面を二度追いかけた。
三巡目に入ろうとしたところで、手紙を伏せる。
斜画の余白だけは整っているからか、文字自体は決して綺麗とは言い難いのに、読みにくさを感じさせない。一目見ただけで、夏哉の書く文字だとわかる。
夏哉はたとえるのなら、わたしの真ん前に立って大口を開けて笑う、小さな地上の太陽。
前面に備えていると疑わなかったその一面が実は側面だと知ったのは、教室での夏哉がひどく静かで大人しく、目立たない人物だったからだ。
借りてきた猫のように大人しく、わたしの前にいる夏哉とはまるで別人のようだった。
いつからそんな風にだとか、猫被りにしたって不自然なほどその姿で馴染んでいる夏哉にどうしてしまったのかと一度はきこうと思っていた。一度もきけなかった。
教室の中の誰も知らない、夏哉のそんな一面を、この手紙に書いてある『友だち』は知っているのだろうか。
わたしだけが知っているには惜しいほど、本来の夏哉は明るく朗らかであたたかい人だった。勝手な願いだけれど、手紙の宛先がそれを知っている人たちであってほしい。わたしの知っている夏哉が本物だったと証明するためにも。
それにしても、夏哉が心配という言葉を自分に使うことが過去に一度でもあっただろうか。自分が心配をすることはあっても、されていることを頑なに認めない人だったはずだ。
わたしにもそういう節があるから、よくわかる。自分は大丈夫だと高を括っていたわけではないけれど、人に心配されること、心配させてしまうことは情けなくて恥ずかしいことだから。
それでも、夏哉だけはいつも本気で心配をしているのだと、彼の言葉や挙動から感じ取っていた。夏哉の心配だけは、いつも無碍にすることができなかった。
夏哉がいなくなった喪失感は、こんな紙切れでは満たされない。そして、これ以上は奪われることもなかった。
目には見えない何かに満たされている心が気持ち悪くて、零してはいけないものだということだけはわかる。掬ってくれる人も、色を変えてくれる人もいない。足元に零せばそれは深い沼になって足元から飲まれてしまいそうだ。本当はもう、胸に宿る何かの正体には気付いていたけれど、まだ、認めるには早いのかもしれない。
宛名の代わりに数字が振られた、六通の手紙。
わたしへの手紙に入っていたもう一枚の紙を広げる。
裁断せずにコピーをしたときにできる独特の影が写り込む地図は隣町を示している。名前以外は会ってからのお楽しみ、と怪しい文言が指す通り、地図の左寄りに赤い丸がついている場所の名称に嫌な予感がした。
明日に託してしまえと甘えた考えが浮かぶ前に、厚手のコートに腕を通す。ポケットに地図と手紙、携帯とパスケースを入れて、粉雪の舞う寒空の下に出る。
住宅街の真ん中にわたしの家はある。
二年前に山を拓いて大規模な土地の拡大が行われ、端の方だった区画が中心部になってしまったのだ。家がどこにあろうと構わないし、むしろ道が増えて遠回りをする必要が無くなったから、以前よりも住みやすいと感じる。
十字路の角地に夏哉の家があって、その隣にわたしの家が建つ。緩やかな坂をずっと下っていくと、二年前まで中心部と呼ばれていた場所に合流する。
そこからは、道沿いに歩いて大通りに出て道沿いに進むと、駅前の通りに合流する。