幼馴染みの(さかき)夏哉(なつや)が死んだのは、二週間前の一月四日。


河川を挟んだ隣町に架かる橋の下、川縁に上半身を伸し上げうつ伏せに倒れているところを、早朝に老夫婦が見つけたらしい。

上はトレーナー、下はジーンズという至って普通の格好だけれど、夜中や朝方は一層冷え込むこの時期に不揃いな姿で、夏哉は呼吸を止めていた。

遺体の発見場所よりも上流の河原に落ちていたジャケットのポケットに紙が入っていて、夏哉の直筆で書かれた自死の意思と検視の結果から、特に事件性や犯罪性はないとされ、終結。大々的なニュースになることもなかった。


住宅街はにわかに騒がしくなった。榊さんの家の息子さん、夏哉くん、と耳を澄ませば四六時中聞こえてくる。

両親は夏哉の話題をタブーだと判断したのか、わたしのいる前で彼の自殺については一切触れなかった。

そのくせ、夜中になれば『どうして夏哉くんが』と両親の寝室から聞こえてくるから、耳を塞ぐ日々が続いた。


ただでさえ短い冬休みが慌ただしく明けると、夏哉の訃報は新学期の寒くて退屈な始業式の中盤に伝えられた。

夏哉の父親は、彼が自殺であることを伏せるように学校に頼んでいたのだけれど、どこからか吹いてきた根も葉もない噂が瞬く間に広まり、わたしはその一部が真実であることが裏付けられることのないよう、祈っていた。


夏哉が死んだことは、案外すんなり受け入れられた。夏哉はもうどこにもいなくて、わたしの名前を呼ぶこともない。嘘だと叫ぶとそれこそ両親に心配をかけてしまう。空虚感の器の縁は時間とともに溶け始めて、夜は自分の体を強く抱きしめて眠る。

腹のなかに溜まる気持ちの悪いものを、夜毎に吐き出しては、夜明けとともに飲み込んで、いつも通りを装う。


そんな日々を過ごすうちに、夢を見るようになった。

白い空間に夏哉がぽつんと立っていて、瞬きひとつせずにこちらを見つめている夢。

声をかけても、体に触れても、くすぐっても、引っ叩いても、微動だにしない夏哉の夢を見続けた。

昔から明晰夢はよく見たから、醒め方も、そこに留まる方法も、自然と覚えていた。ふと我にかえると気味の悪い夢だとしても、わたしにとっては夏哉に会える唯一の時間だ。


夏哉の遺体が綺麗だったから、夢の中の彼もわたしの知っているままの姿をしているのだろう。夏哉の葬儀は家族葬で行われた。それが夏哉の遺書に記されていたのかはわからないけれど、喪主である彼の父親が自宅での葬儀に招いてくれた。

水死体は見るに耐えないという話を聞いていたけれど、恐る恐る覗いた棺桶に横たわっていた夏哉は、頬にいくつかの擦り傷を拵えていること以外は、眠っているかのように綺麗だった。


夏哉が両手に抱えられるほどの大きさになって帰ってきた日でさえ、わたしが泣くことはなかった。泣けなかった。流した涙で夏哉が戻ってくることはないから、泣いたあとに一人で泣き止むことの方が、今の自分には堪えると冷静な頭が働いて、泣きたくても泣けなかった。