「榊くんの夢を見つける手伝いをする『先生』になれた。正解のマルはつかなくても、経験上嘘ではない『大人』としての意見を彼に与えられた。僕にできたのは、それだけです。『友だち』として、彼を止めることはできなかった」


くしゃり、と潰れた便箋。

朔間先生の目元が赤く色付いていく。

それは、苦しそうな、赤だった。


こんなときになって、ふと、夏哉は幸せだったのだろうか、という的外れな疑問が浮かんだ。

幸せか不幸せかどうかなんて関係ないのに、少なくとも、わたしが気にする範疇にない。


わたしは夏哉の死を止めることも、彼の抱えていたものに気付くことも、それどころか何かを抱えていることにすら、気付けなかった。


ずっと、夏哉に背中を押されて、その手に引かれていたから、どんな顔をしていたのかも、ぼんやりとしか思い出せない。

夏哉はどんな顔で笑っていたっけ。

いつも能天気でアホなことばかりをしていたけど、夏哉の笑い声は耳に残っていない。

残っているのは、わたしを呼ぶ、あの声だけ。


「……わたし、ずっと」


幼馴染みとしても、友達としても、それ以上、それ以外のなにかとしても、夏哉がくれた以上のものを返せなかった。

与えられるばかりで、それすらいらないと弾き飛ばして。

夏哉が傷付いているのがわかったから、その顔を見ないように背中を向けた。


隣にいるのが当たり前すぎて、夏哉とわたしがそれぞれに別の方向へ歩き出して行くのはまだずっと先の話だと思っていたのに、夏哉は違ったのだろう。

わたしの手を引きながら、肩を支えながら、背中を押しながら、わたしに見えないように辺りを見渡して、夏哉は別の道を選んだ。


いつから胸の内にこんな気持ちがあったのか、わからない。

幼馴染み以上の感情を、恋という一文字で呼びたくない。


ずっと、隣を寄り添うことはできなくても、夏哉の姿が見える場所にいたかった。

自分本位な願望ばかりで、本当にもう嫌になる。


「ずっと、思ってたことがあるんです」


夏哉がいた頃から、唯一変わらない気持ち。


ここにたどり着くまでに、夏哉のことをたくさん知った。

どんな風に過ごしてきたのか、どんな思いを抱えていたのか。

それでも、最後まで、夏哉が自殺した理由だけが、ふわふわと宙に浮いていた。

触れなければわからないのに、掴もうと、包もうとすると指の隙間を通り抜けていく。


「夏哉の抱えていたものは、死ぬことでしか下ろせなかったのかなって」


わたしと、みんなと生きていく未来を諦めてまで、ひとりで背負いきったものの正体を、きちんと形で見たい。

曖昧すぎる言葉たちだけでは納得ができなかった。


「夏哉はお母さんが亡くなってるから、命の重さは誰よりも知ってるはずなんです」


夏哉があれほど、自分の言葉を持っていたのに対して、わたしは人から借りた言葉しか吐き出せない。

もどかしかった。

なんだ、命の重さって。

命に重さがあるのなら、大きさは?長さは?高さは?形は?


「伸ばした手は引っ込めればいいのかもしれない。だけど、その手のひらに乗せて届けたかったものは、どこへ行けばいいんですか」


大切な人に届けるものだから、大切にしたかった。

何度も仕舞っては、やっぱり捨てられなくて、いっそ粉々に砕いてしまいたかったけれど、どんな形になってでも渡したかった。


渡せなかっただなんて、情けない、恥ずかしい、苦しい。

もういない夏哉に渡したいものがある、という言葉さえ、どこに吐き出せばいいのかわからない。


生きているうちに伝えなさいって。

生きているうちに聞いてあげなさいって。


人がそう言う理由が、ようやくわかった。