顔を上げると、近くに紗雪の顔があった。あの日、放課後の教室で会った時以来の顔の近さに、太一は頬をあからめた。
「私は生きたい。月岡君が言ってくれたように、お母さんの為にも生きたいと思った。本当にありがとう」
にっこりと笑みを見せた紗雪は、転落防止の柵を越えようと柵に足をかけた。
瞬間、今まで静かだった風が急に強く吹き荒れる。紗雪の身体がよろめくのを見た太一は、紗雪の背中を支える。柵越しには森川先生が紗雪に手を伸ばしていた。
危なかった。太一はほっと息をついた。
その一瞬の気の緩みがいけなかったのかもしれない。
今度は先程よりも更に強い風が、太一の身体を揺さぶった。
風通しの良い屋上独特の風。昼間は比較的穏やかな風も、こうして夜になると裏の顔を見せてくる。風に煽られた太一の身体が、校舎とは逆の方向へと倒れていく。
「あっ――」
声が続かなかった。太一は足場のない空間へと放りだされる。先程まで目の前にあった光景が、真っ暗な空間に切り替わる。頭を下げて顎を引くと、紗雪の姿が見えた。
声は聞こえない。だけど紗雪が何か叫んでいるのが口の動きからわかった。
無意識に太一は紗雪へと手を伸ばした。それに応えるように紗雪も太一へと手を伸ばす。
しかし、無情にも太一の手と紗雪の手が触れることはなかった。
――俺は死ぬのか。
瞬時に脳裏によぎったのも束の間、同時に起こった現象に太一は思考の全てを奪われた。
太一の捉えている視界の先、漆黒の空で輝いていた一つの星が急激に光を放ったのだ。
その光は衰えを知らず、空間全体を明るく照らして太一を一気に飲み込んだ。
生の匂いを強く感じた。
一度は死を望んでいた人が、その苦しさを乗り越えた時に初めて出会う匂い。
人それぞれ匂いの感じ方には差異がある。それは、その人が死から生へと近づいた時の環境に依存するから。紗雪にとってその匂いを例えるなら、少し汗臭いのに何故だか病みつきになる、とても温かくて包容力のある匂いだった。
目を開ける。視界に天井が入る。暫くして、夢を見ていたんだと紗雪は実感した。ゆっくりと身体を起こし、窓のある方へと視線を移す。カーテンの間から、光が差し込んでいるのが見えた。
何時だろう。スマホを手に取り、時間を確認する。
午前六時過ぎ。
紗雪はほっと息を吐いた。カーテンを開け、部屋に太陽の光を取り入れる。いつも以上に明るさを感じたのは、偶然ではない。紗雪が窓越しに空を見上げると、太陽と同じくらい輝いている星が空で光を放っているのだから。
紗雪は身支度を整え、リビングへと向かった。いつも一人だった空間に、生活感漂う音が響いている。紗雪はドアを開け、リビングへと入った。
「おはよう、紗雪」
「……おはよう」
まさか父とこうして挨拶を交わすようになるなんて。今までの父との関係を考えると、絶対に訪れることがないと思っていた日常なだけあって、紗雪の心は大きく揺れた。
「朝ごはん、作った。冷めないうちに、早く食べなさい。あと、お弁当も作ったから」
父はそう言うと、半身を向けていた身体を戻して皿洗いを始めた。
紗雪は席に座ると、改めて父の方へと視線を移した。何故だかわからないけど、父の背中が異常に大きく見える気がする。普段、見たことがない光景を目の当たりにしているからなのかもしれない。紗雪は用意されたお皿に視線を移す。こんがりと焼かれたトーストと一緒に、誰が見てもわかるくらい焦げている目玉焼きが目に入る。瞬間、自然と笑いが込み上げてきた。
父が家事などできないことはわかっていた。今まで家のことに関しては、母が家からいなくなって以来、紗雪が一人でやってきたのだから。
新しい関係を築く為に、父がしたこともないはずの料理をしてくれている。
それがわかるからこそ、紗雪は心がとても穏やかになっていくのを感じた。
「お父さん、仕事は?」
「仕事はこれから行く。少し遅くなるって伝えてあるから問題ない」
「そう」
トーストにバターを塗りつつ、紗雪はテレビへと視線を移した。丁度、スポーツコーナーが終わり、特集のコーナーへと進んでいく。画面がライブ映像へと変わり、中継先にいた女性キャスターがにこやかにしゃべり出す。
『近距離で超新星爆発が起こったと言われている一〇五四年以来、およそ千年ぶりに超近距離で起こったベテルギウスの超新星爆発。超新星爆発は大質量の恒星が、その一生を終える時に起こす、大規模な爆発現象のことを指すと言われており、爆発後はとてつもない明るさで暫くの間、輝き続けます。爆発が起こって二日目の朝を迎えますが、依然上空には太陽が二つあるかのように輝きを放っています』
テレビカメラが空にある太陽を映す。そこには太陽とは別に、もう一つ光り輝くものが映し出されている。先程、紗雪が部屋から見た光景と同じ絵面だった。
「紗雪は身体に異常はないか?」
「うん……大丈夫」
父がマグカップを持って、紗雪の正面へと腰を下ろす。父の眼差しに、紗雪は咄嗟に視線をそらした。初めての出来事に、身体が勝手に動いてしまう。
父の顔を素直に見れなかった紗雪は、無意識にトーストにかじりついた。サクッと良い音と共に、口内には溶けたバターの味が広がる。
「そうか。もし辛かったら――」
「本当に大丈夫だから」
紗雪は父の言葉を途中で遮ると、残りのトーストを一気に口に入れ、マグカップへと口をつけた。カモミールティー独特の林檎の香りが鼻を抜け、ほんのりとした甘さが紗雪の心を落ち着かせる。
父がこんなにも気にかけてくれることが、紗雪はとても嬉しかった。こうして素直に父へと顔を向けられないのも、今まで父との距離感が分からずに生きてきたから。今まで父に対して憎しみの感情しか抱いてこなかった紗雪にとって、父の言葉はとてつもない愛を感じた。
テレビではスタジオに映像が切り替わり、専門家の人が話を続けている。
『今回のベテルギウスの超新星爆発は、我々天文学者からしたら非常に興味深い現象でした。特に注目してほしいのは、ズバリ地球からの距離。一〇五四年の超新星爆発、現在でいうかに星雲。近年で言うと一九八七年に大マゼラン雲内で起きた超新星爆発。この二つは距離にしてそれぞれ六五〇〇光年、一七万光年離れています。この二つの超新星爆発に比べて今回のベテルギウスは、およそ六四〇光年という非常に近い距離で起こりました。今まで解明できなかった超新星爆発の謎が解明できるかもしれない。それくらい興味深い現象なのです』
天文学者の力説に、進行役をしていた男性キャスターは口をぽかっと開けている。紗雪も何となくしか知らなかったので、キャスターの気持ちが何となくわかる気がした。
「でも、本当に地球に影響がなくて良かった」
「影響って?」
「ガンマ線バーストの影響だよ」
父がテレビの方を見るよう、紗雪に伝える。紗雪は視線を父からテレビへと移す。丁度父が言っていた、ガンマ線バーストについての話題へと移行していた。
『ガンマ線バーストは、正直まだ正体がよくわかっていません。そのため我々の予想する一つの説では、超新星爆発の際に引き絞られたガンマ線ということにしています。今までの見解では、ベテルギウスの自転軸からおよそ二〇度ずれた場所に地球があるので、ベテルギウスがもたらすガンマ線バーストの直接の影響はないと言われていました。でも、あくまでそれも可能性。超新星爆発が起きた時の衝撃で自転軸がずれる可能性もある。だから今こうして我々が生きていることは、従来の予想通り目に見える形で影響なかったと言えると思います』
コメンテーターの人が、もし直撃していたらという話を天文学者に振った。
『直撃していたら、当然人類は滅亡します。そもそも地球はオゾン層によって守られている。ガンマ線バーストは、そのオゾン層をいとも簡単に破壊するんです。オゾン層が無ければ、地球は太陽に焼かれるので、当然地球上の生物は死滅します』
実際に過去に起きた海洋生物の大量絶滅を例に、天文学者は活き活きと話を繰り広げている。テレビではもしもの話に、コメンテーターやキャスターが話に花を咲かせていた。
死滅という言葉を聞いた紗雪は、気持ちを落ち着かせるためマグカップへと口をつける。
二日前。紗雪は自ら死を望んだ。でも結果的に紗雪は生きている。
強く生きることを望んでくれた人がいたから。
大切な人の存在があったからこそ、紗雪は生きたいと強く思えた。
空に今もなお輝き続けて、必死にいることを人類に伝えているベテルギウスのように。
「学校、行けそうか?」
席を立った父が、紗雪の肩に手を置いた。そのずっしりとした重みが、紗雪の心に響く。
「……うん」
ゆっくりと紗雪が頷くと父は笑みをみせ、シンクにマグカップを置いた。そしてハンガーにかけてあったスーツを羽織ると「行ってくる」と言って、そのまま家を出て行った。
テレビでは依然、超新星爆発についての話が繰り広げられている。
学校でも必ず皆が話題にする話。超新星爆発の話題は暫く学校でも続くだろうなと思いつつ、紗雪はテレビの声に耳を傾ける。
もしもクラスメイトと超新星爆発の話になったら。
そんな淡い期待が脳裏に浮かぶ。でもすぐに紗雪は、その考えを振り払うように首を振った。
「……何馬鹿なこと考えてるんだろう」
楽観的な考えをしていた自分に、少し後悔を覚える。
だって今の自分には、話しかけてくれる友人なんて一人もいないのだから。
そんな環境を作ったのも、全て自分の責任。
息を吐いた紗雪は、まだ騒がしいテレビを消してからゆっくりと席を立った。鞄にスペースを作り、父が作ってくれたお弁当を入れる。
学校で幸せでなくても、今の紗雪には帰る場所がある。
その場所をくれた、大切な人とした約束を守るために。
「行ってきます」
ドアを開けた紗雪は、二つの輝く恒星の光を全身に浴びた。
◇◇◇◇◇
「柊さん、月岡君に告白したんだって」
「えっ!」
突然の出来事に、夏月は思わず声を上げてしまった。まさか柊が、自分から振った相手に告白をするなんて思ってもみなかったから。
「でも、月岡君は断ったらしいよ」
「そ、そうなんだ……」
「当然だよね。だって森川さんと付き合ってるんだもん」
そう夏月に告げると、クラスメイトの女子は夏月よりも仲の良い女子の方へと走っていった。
帰りのホームルームが始まる前。ふと夏月は太一の席へと視線を向ける。太一は告白されたことなんてなかったかのように、いつも通り手塚と会話していた。
昔の太一は、告白したことを真っ先に夏月に伝えてきた。だから告白された時も、同じように伝えてくれると思っていたのに。
本当に太一は変わった。わかっているはずなのに、変わってしまった太一を見ると、夏月の胸はキュッと痛みを発する。
全部自分がいけないのに。自分も変わらないといけないのに。
手を伸ばしても届かないところに、太一は行ってしまったのかもしれない。
瞬間、視界が暗転する。そして忽然と太一が現れた。
急な出来事に困惑している夏月をよそに、太一は背を向けて走り出した。目の前を走る太一を捕まえようと、夏月は必死に手を伸ばす。でも夏月の手は太一に届かなかった。夏月が走るのを諦め、太一の背中を見ていると、太一が足を止めた。その場所にいたのは、紗雪だった。二人は仲良く手を繋いで笑い合っている。まるで幸せを象徴しているような二人の笑みに、夏月の胸はさらに痛みを発した。
こんな未来、見たくない。そう思った瞬間、再び視界が暗転した。
ゆっくりと重たい目を開ける。
暫くして、夏月の視界に見なれた景色が映し出される。そして自分の部屋だと 気づいた夏月は、夢を見ていたんだと自覚した。
身体を起こして掛け時計に視線を移す。もうすぐ日付が変わる時間になっていた。
「駄目だな、私」
今日学校で起きたことを夢で見るなんて。太一のことをどれだけ引きずっているのか。
夏月は枕元にあったクマのぬいぐるみに手を伸ばすと、ギュッと力を込めて抱いた。いつも不安を感じたりすると助けてもらっている。この年になって、ぬいぐるみを抱くのはどうなのかって素に戻ることもあるけど、誰も見ていないプライベートの空間なのだから問題ない。と無理矢理自分を納得させていた。
そんなことを考えていた矢先、突然窓際が異様に明るくなり始めた。
始めは何が起こったのか理解できなかった。でも窓の外を見た瞬間、その美しい光景に夏月は目を奪われた。
満天に散りばめられた星々。その中で異様に青白く光っている星が一つある。小さい頃から星を見るのが好きだった夏月は、有名な星座くらいは覚えていた。それでも、これほど光り輝く星など生まれて一度も見たことがない。
嫌な予感がした。咄嗟にクマのぬいぐるみを抱える腕に力を入れる。とりあえず何が起きているのか確認するために、夏月は部屋の電気をつけてからテレビの電源を入れた。
画面が映し出された瞬間、とある文字が夏月の目に入る。
「超新星爆発……」
でかでかと画面にテロップが表示されている。チャンネルを他の番組に変えても、どの放送局もこの異常な現象について報道していた。
「凄い……太一も見てるのかな」
もしも太一と二人で一緒に観れたら。
そんな淡い思いを抱いた夏月の耳に、スマホが震える音が入ってくる。
咄嗟にスマホを手にした夏月は、画面に表示された名前を見て拍子抜けした。
電話の相手は父だった。
「もしもし、お父さん。何か用?」
『な、夏月か。もうすぐ家に着くから、今すぐ外に出る準備をしなさい』
いつも言わないようなことを言う父に、違和感を覚えた。
「外って、もうすぐ日付変わるのに。どうして」
もしかしたら、この天体ショーをもっと綺麗に見ることができる場所に行くのかもしれない。そんな考えが脳裏をよぎった。だったら太一も一緒に連れていきたい。
その思いを父に伝えるため、夏月は口を開こうとした。
でも夏月よりも先に口を開いた父の言葉を聞いた瞬間、血の気が一気に引くのが自分でもわかった。
太一が意識不明の重体で、森川病院に運ばれたと聞いたから。
静謐な空間に灯る赤い光に照らされた「手術中」という白い文字が、夏月の不安をより一層募らせた。
目の前の集中治療室。その奥には夏月にとって大切な人が、今もなお生死を彷徨っている。
「お兄ちゃん……」
一緒に来た美帆が、声を震わせながら祈るように手を組んで俯いている。夏月の父と母も青ざめた表情をしている。
たぶん、自分も同じ表情をしているんだと夏月は思った。
父から話を聞いた時、最初は冗談かと思った。でもこの場にいれば、それが冗談ではないことくらい誰にでもわかる。誰一人として笑ってなどいないし、声を出すのも憚られる雰囲気が周囲に満ちていた。
「星野さん」
そんな空間の静寂を切り裂くように、聞いたことのある声が響く。声の先にいたのは、高野先生だった。
「先生……」
「星野も来てたのか」
夏月を一瞥した高野先生は父と母の方に身体を向けると、深々と頭を下げた。
「この度は、本当に申し訳ございませんでした」
高野先生の声が廊下に響き渡る。皆が高野先生の行動に声をかけられずにいる中、父が口を開く。
「先生……太一君はどうして……」
高野先生は姿勢を維持したまま、重い口を開いた。
「太一君は、とある生徒を助ける為に学校の屋上にいました。ですが、バランスを崩してそのまま転落してしまい――」
途中から高野先生の声が、夏月には聞こえなくなった。
父と母が説明を受ける中、夏月は高野先生が言ったとある生徒が誰なのかすぐにわかった。
高野先生が隠している生徒は、間違いなく紗雪。
「太一君が危険な場所にいたのを、高野先生は知ってたんですよね。なのにどうして太一君を止めなかったんですか」
父が高野先生に詰め寄る。この場にいる誰もが父と同じことを思っていた。
もしも高野先生が太一のことを止めていれば、転落するのを防げたかもしれない。それに助けることができたのにも関わらず、助けなかったとしたら。
皆の視線が高野先生に向けられる。
「……すみません」
それでも高野先生は父の問いには答えず、ただ頭を下げ続けているだけだった。
どうして本当のことを言わないのか。
どうして紗雪のことを隠そうとするのか。
夏月には高野先生が隠す理由が理解できなかった。
今もなお、太一は命の危険に晒されている。それなのに、どうしてそこまでしらばっくれようとするのか。
高野先生の態度に苛立ちを覚えた夏月は、思っていることをはっきりと告げた。
「とある生徒って、紗雪ちゃんのことですよね」
高野先生の身体がびくっと動いたのを、夏月は見逃さなかった。夏月は続けて口を開く。
「紗雪ちゃんを助けようとして、太一が転落した。そうですよね」
確信を持って、強い口調で高野先生に告げる。強気な夏月に父が口をはさんできた。
「夏月……いったいどういうことだ?」
何もしらない父に夏月は告げる。
「紗雪ちゃんは、最近学校に来てなくて。太一はそんな紗雪ちゃんを学校に連れだそうと、ずっと頑張ってたの」
紗雪が不登校になってから、太一は授業が終わると直ぐに紗雪の家に向かっていた。誰に言われるでもなく、紗雪の為に動いていた太一。その背中を、夏月はずっと見てきた。
「そもそも、太一が自ら転落の危険がある場所に行くとは私には思えない。行く理由があるとしたら、紗雪ちゃんが危険な場所にいた……から」
言い終えた夏月は、胸が締め付けられるのを感じた。
今まで高野先生に対する怒りの感情で溢れていたはずなのに、今は何もできずにいる自分の無力感が勝っている。
どうして、いつも遠くから見ているだけなんだろう。
どうして、ずっと苦しい思いをしているだけなんだろう。
――俺と夏月は幼馴染なんだ。
太一はいつだって、夏月のことを幼馴染という関係で見ている。最初はそれが嬉しかった。自分にしか築けない特別な関係だと思っていたから。
柊や紗雪には決して築くことができない、自分だけの特権。それを大切にした結果、今はこんなにも苦しい思いをしている。
太一を思う気持ちはずっと変わらないのに。
でも、やっとわかった。
太一はいつも変わろうとしていた。中学生の頃、好きな女の子に告白をするときもそう。来るのを待ち続けるのではなくて、自分から動いていた。
好きな人が変わろうとしているのに、変わらないままでいる自分が釣り合うわけがない。
いつまでも安全な場所にいるから、駄目なんだとわかった。
だからこそ、自分も変わらないといけない。
「そうですよね、高野先生」
頬を一滴の雫が伝っていく。抑えきれない感情が堰を切ったように溢れ出す。
高野先生はようやく頭を上げると、重たい口をゆっくりと開いた。
「……ああ。星野の言う通りだ」
それから高野先生は、屋上での出来事を夏月達に語ってくれた。
森川先生を屋上まで連れて来るよう太一に頼まれたこと。屋上に行くと、紗雪と太一が転落防止柵の外側にいたこと。紗雪が死を決意していたこと。紗雪と森川先生の間にあった家族の問題が、無事に解決したこと。
「月岡達のことを止めなかったのは、森川が親御さんと向き合うために必要な時間だと思ったからだ。だから私は、全てが終わるまで静観していた」
高野先生は握り拳を作ると、突然自分の太股に拳を振るった。パチンという音が廊下に響き渡る。