文化祭。
心躍る響きは、琢磨にとって嫌悪対象でしかなかった。
数年前までは自分も確かに経験していた筈なのに、語るべく内容など一つもない。無理に絞り出して話そうとすれば出て来はするが、それは苦い思い出だ。あまり思い出したくはない。
対して汐里は、感じ取れる範囲内ではあるが、高揚しているのが琢磨にも伝わっていた。理由は勿論ある。あるのだが、琢磨はそこで、別のことが気になった。
『一個、いいか?』
(ん?)
歩きながら、汐里は立ち止まることなく応じた。
聞いていいものか。いや、そも聞いたところで答えてくれるものなのか。どちらとも疑問は残ったが、琢磨としては聞かない訳にはいかなかった。自分のことは汐里に伝わっているというのに、その相手のことを何も知らないというのは、言い方は悪いがアンフェアだ。
自分が助けた相手がどんな人なのか。何故助けるに至る条件に含まれていたのか。
それは、何よりまず第一にはっきりとさせておかなければならないことだった。
『俺はオブラートに包むのが下手だから、と最初に謝っておくぞ』
(はいはい、どうぞ)
『君は、その……俺の生前のことを知っていると言ったな。自分の一部のようになっているって』
(うん言った)
『その上でそのブレない日常感――君、自分が未来で死ぬことを知っているのか? あるいは余程の馬鹿か?』
琢磨の問いかけに、汐里は少し考えた後で、
「ぷっ……ふふ、あははは!」
思わず声を大にして笑った。
何が可笑しかったのか。分からず、ただ黙っている琢磨に、汐里は笑い過ぎて零れた涙を指先で拭いながら説明を始めた。
「馬鹿ってね、貴方、随分と失礼よ。流石に、オブラートの『オ』の字も無いとは驚いたわ」
『悪かった悪かった、昔から口が下手なんだよ俺。だから最初に謝ったろ』
「謝られたけどひどすぎない?」
未だ息苦しそうに腹を抱えて笑う汐里。
流石に語彙力の無さを思い知った琢磨も、少し反省気味に頬を掻いた。
『そ、それで――?』
急かしたかった訳ではない。ただ、純粋にその答えが知りたかった。
笑いが収まるのを待ってくれても良かった筈なのに――と、少しばかりの不満こそ抱きもしたが、やはり自分もそれに関しては話さなければならなかったと改めて落ち着くと、汐里は、
「うーん。ちょっとだけ長くなるかも。そこの公園、寄って良い?」
『君の身体で君の時間だ。俺には何の許可も必要ないぞ』
「……ありがと」
短く礼を言うと、近くの自販機で珈琲を買って公園へ。一先ずほっと一息を吐く為に、甘いものがやや苦手な汐里に必要なのはブラックだった。
そこからすぐの所にある公園まで歩いてベンチに腰掛ける。
カチ。
プルトップを捻ると、程よく響いて余韻を残さない心地良い音と共に、芳醇な香りが漂ってきた。猫舌だからと何度か息を吹きかけてようやく一口、それでも熱そうに舌を出して外気にあてた。
「異常気象の所為で、年中ホットが売ってるのはいいんだけどねぇ」
『異常気象って――そういや、今って何月なんだ? 俺が変なじいさんに会ったのは、確か四月は頭だったんだが』
「ちょっと過ぎてるかな。今は六月の二十日」
『夏か。道理で日が長いと思ったんだ。なるほど、それで君はセーターまで着こんでいるわけだから、異常気象というわけか』
「そういうこと」
汐里は頷き、そこでもう一口珈琲を飲む。少し時間を置いたことで、流石にもう痴態を晒す程の温度ではなくなっていた。
事の始まりは今年の五月。気象庁により発表された情報によると、地球と太陽との距離が可笑しくなっているとか何とかで、『夏』と呼ばれる季節が一時的に無くなる事態が起きているそうな。以来、この時期まで来ても気温は平均で十度と少しいくかいかないか、そんな日が続いているのだと言う。
三月逝きで四月発表ということで、琢磨はそのことを知らなかったのだ。
すると、汐里は大きく伸びをして息を吐き、「さて」と切り替えた。
「どう話したものかな」
『出来れば分かるように頼む』
「了解っと。そうだなぁ」
存外と軽いノリで応じると、汐里は珈琲を横に置き、訥々と語り始めた。
「私は遠回しなのが苦手だから、まずは結論から言うわね」
『あぁ』
「まず第一、病名は《宝石病》」
「ほう、せき…?」
聞き慣れない――いや、耳にしたことすらも無いようなそんな話に、琢磨は思わず息を呑んだ。何かもまだ分からないけれど、『病』と付いている以上はそういうことなわけで、それを平然と言ってのける汐里の心にも驚いていた。
宝石病。症状は難病指定されているALSに似ているが、目に見えて変化や違和感が起こって進行していくものではなく、少しずつ、少しずつ体内を蝕んでいく病のことを指す。江戸落語に『宝石病』という名前のものがあったことからこの名前が付けられたというが、その内容とは全く異なる、死に直結するものだ。
症例は世界に数十件、難病指定もされている、現状は不治の病というわけだ。
症状別に細かな分類もあって、それは何れも宝石の名前を取っている。
ただひたすらに固くなっていくもの、ぼろぼろと崩れていくもの、温度に弱いもの。
中でも、有名且つ最も脆い――病で言うところの重篤な症状を来たす種類を汐里は患っている。その宝石とは、
「《ダイヤモンド型宝石病》。私はそう診断されたわ」
心躍る響きは、琢磨にとって嫌悪対象でしかなかった。
数年前までは自分も確かに経験していた筈なのに、語るべく内容など一つもない。無理に絞り出して話そうとすれば出て来はするが、それは苦い思い出だ。あまり思い出したくはない。
対して汐里は、感じ取れる範囲内ではあるが、高揚しているのが琢磨にも伝わっていた。理由は勿論ある。あるのだが、琢磨はそこで、別のことが気になった。
『一個、いいか?』
(ん?)
歩きながら、汐里は立ち止まることなく応じた。
聞いていいものか。いや、そも聞いたところで答えてくれるものなのか。どちらとも疑問は残ったが、琢磨としては聞かない訳にはいかなかった。自分のことは汐里に伝わっているというのに、その相手のことを何も知らないというのは、言い方は悪いがアンフェアだ。
自分が助けた相手がどんな人なのか。何故助けるに至る条件に含まれていたのか。
それは、何よりまず第一にはっきりとさせておかなければならないことだった。
『俺はオブラートに包むのが下手だから、と最初に謝っておくぞ』
(はいはい、どうぞ)
『君は、その……俺の生前のことを知っていると言ったな。自分の一部のようになっているって』
(うん言った)
『その上でそのブレない日常感――君、自分が未来で死ぬことを知っているのか? あるいは余程の馬鹿か?』
琢磨の問いかけに、汐里は少し考えた後で、
「ぷっ……ふふ、あははは!」
思わず声を大にして笑った。
何が可笑しかったのか。分からず、ただ黙っている琢磨に、汐里は笑い過ぎて零れた涙を指先で拭いながら説明を始めた。
「馬鹿ってね、貴方、随分と失礼よ。流石に、オブラートの『オ』の字も無いとは驚いたわ」
『悪かった悪かった、昔から口が下手なんだよ俺。だから最初に謝ったろ』
「謝られたけどひどすぎない?」
未だ息苦しそうに腹を抱えて笑う汐里。
流石に語彙力の無さを思い知った琢磨も、少し反省気味に頬を掻いた。
『そ、それで――?』
急かしたかった訳ではない。ただ、純粋にその答えが知りたかった。
笑いが収まるのを待ってくれても良かった筈なのに――と、少しばかりの不満こそ抱きもしたが、やはり自分もそれに関しては話さなければならなかったと改めて落ち着くと、汐里は、
「うーん。ちょっとだけ長くなるかも。そこの公園、寄って良い?」
『君の身体で君の時間だ。俺には何の許可も必要ないぞ』
「……ありがと」
短く礼を言うと、近くの自販機で珈琲を買って公園へ。一先ずほっと一息を吐く為に、甘いものがやや苦手な汐里に必要なのはブラックだった。
そこからすぐの所にある公園まで歩いてベンチに腰掛ける。
カチ。
プルトップを捻ると、程よく響いて余韻を残さない心地良い音と共に、芳醇な香りが漂ってきた。猫舌だからと何度か息を吹きかけてようやく一口、それでも熱そうに舌を出して外気にあてた。
「異常気象の所為で、年中ホットが売ってるのはいいんだけどねぇ」
『異常気象って――そういや、今って何月なんだ? 俺が変なじいさんに会ったのは、確か四月は頭だったんだが』
「ちょっと過ぎてるかな。今は六月の二十日」
『夏か。道理で日が長いと思ったんだ。なるほど、それで君はセーターまで着こんでいるわけだから、異常気象というわけか』
「そういうこと」
汐里は頷き、そこでもう一口珈琲を飲む。少し時間を置いたことで、流石にもう痴態を晒す程の温度ではなくなっていた。
事の始まりは今年の五月。気象庁により発表された情報によると、地球と太陽との距離が可笑しくなっているとか何とかで、『夏』と呼ばれる季節が一時的に無くなる事態が起きているそうな。以来、この時期まで来ても気温は平均で十度と少しいくかいかないか、そんな日が続いているのだと言う。
三月逝きで四月発表ということで、琢磨はそのことを知らなかったのだ。
すると、汐里は大きく伸びをして息を吐き、「さて」と切り替えた。
「どう話したものかな」
『出来れば分かるように頼む』
「了解っと。そうだなぁ」
存外と軽いノリで応じると、汐里は珈琲を横に置き、訥々と語り始めた。
「私は遠回しなのが苦手だから、まずは結論から言うわね」
『あぁ』
「まず第一、病名は《宝石病》」
「ほう、せき…?」
聞き慣れない――いや、耳にしたことすらも無いようなそんな話に、琢磨は思わず息を呑んだ。何かもまだ分からないけれど、『病』と付いている以上はそういうことなわけで、それを平然と言ってのける汐里の心にも驚いていた。
宝石病。症状は難病指定されているALSに似ているが、目に見えて変化や違和感が起こって進行していくものではなく、少しずつ、少しずつ体内を蝕んでいく病のことを指す。江戸落語に『宝石病』という名前のものがあったことからこの名前が付けられたというが、その内容とは全く異なる、死に直結するものだ。
症例は世界に数十件、難病指定もされている、現状は不治の病というわけだ。
症状別に細かな分類もあって、それは何れも宝石の名前を取っている。
ただひたすらに固くなっていくもの、ぼろぼろと崩れていくもの、温度に弱いもの。
中でも、有名且つ最も脆い――病で言うところの重篤な症状を来たす種類を汐里は患っている。その宝石とは、
「《ダイヤモンド型宝石病》。私はそう診断されたわ」