結局、放課後は美希に付き合うことにした汐里。
肩を落とす美希に代わって二人分荷物を纏めて持ち、別にどうということはないだろうと背中を押して廊下を歩く。
あの状況に於いて、ただ出していたからという理由だけで取り上げるとは考えにくい。
そこに何があるとも知れないが、そうでも無ければわざわざ取り上げて指導室まで呼び出すメリットがない。
「本当にそうかな…?」
「分かんないけどね」
「無責任発言反対…!」
一歩前に出て振り返り、両手をぶん回して憤慨する美希。いつも通りの様子に満足すると、汐里は再び美希の隣に並んだ。
再開した歩みから数分、中央棟一階奥の指導室に辿り着いた。
これから決戦にでも向かうような緊張感を以って、美希が深く深呼吸をした。
「狩られる訳でもないんだろうし、そんなに固くならなくてもいいんじゃない?」
「それは分かってるけど……うぅ、何かやだなぁこの空気。初めてだよ指導室」
「私だって。自分のことじゃないのに来てるんだから。ほら、入った入った」
「あ、ちょっとしお…!」
抵抗虚しく、二度のノックの後に返事も待たず押し込まれる美希。
僅か二メートル先では、どこぞの皇太子さまみたく足を組んで座る高橋先生の姿が見て取れた。この人がそれをすると、ただ色っぽいだけなのだが――と、空気にも負けず考えるのは琢磨だった。
扉を閉めろと言われその通りにすると、今度は机を挟んだ向かいのソファに腰掛けろと指示を出す先生それにも大人しく従い二人して腰を降ろすと、
「呼び出した理由は分からんだろ」と一言。
それは当然、スマホの件でないのなら検討も付かないのだが、しかしそれ意外に一体何がと脳をフル回転させる美希。
此度の軽率さ意外で不正を働いたことは一度もない。それはこの数日や数ヶ月といった短い期間での話ではなく、この学校に入学をしてから一度も、ということだ。何の心当たりも無い美希は、先生の言葉に首を横に振った。
すると先生は目を伏せ息を吐く。
「携帯の件は勿論なのだけれど――陸上さんも居て丁度良かった。山田さんだけでも良いかとは思ったんだけどね。実は、二人にお願いがあって呼び出したんだ」
「二人って……え、しお――汐里にも?」
「ええ。まだまだ先だけれど、文化祭があるでしょう?」
と、先生は傍らから一枚の紙を出して机の上に置いた。
この高校で毎年開催されている文化祭は、他府県からも一目見ようと人が集まる程の大規模さで有名だ。豪華絢爛、屋台や催しの数も多く、一日で全部を回るチャレンジも密かに流行っているのだとか。
そんな大仰なイベントには、当然監視員も数が必要だ。そこで実行委員が敷かれているのだが、その数が今年はまだ足りないのだとか。
文化祭全体を管轄しているのは、例年、諸々の理由で倒れて運ばれてくる人が多いことから高橋先生らしく、現時点で集まっているリストの中に、三年二組の名前がまだ一つもないのだそうだ。
「山田さんは帰宅部で陸上さんは文芸部だったかしら? だから、都合が良いって言っちゃうと聞こえが悪いのだけれど、頼めるのが貴方達しかいないのよ」
「は、はぁ……」
それならそうと、別に保健室で話しても良かったのではなかろうか。スマホは確かに美希の落ち度だったが、あの場に他には誰も居なかった訳なのだから。
先生は続けて、仕事は特にないと言い張った。準備、及び当日に『実行委員』の腕章を着けているだけで、これといって具体的に何をしろというのは無いと。
「そういうことでしたら……ねぇ?」
「うん。断ることもないかな、とは思うけど……何で呼び出しを? 本当にそれだけなんですか?」
汐里の指摘はもっともだった。
それに先生は、またも小さく息を吐いて仕切りなおした。
「公私混同がしない性質なのだけれど、こうでもないと機会がないもので」
「機会?」
「ええ。ここからは山田さん宛ての話」
「私ですか…?」
美希は自分を指さし首を傾げた。
取り立てて急ぎというわけではないのだろうが、そうならそうと重要な話ではないのだろうから、すぐに話しだしそうなものを、先生は少し考え、
「……やっぱり、今はよしましょうか。いつでも構わないし」と首を横に振った。
何が何やら。二人は顔を見合わせ、更に深く首を傾げた。
「ごめんなさいね、変なことを言って。あ、これ、携帯。返しておくわね」
「は、はぁ…」
ポケットから取り出し、渡されたそれを受け取る。
一体、何だというのだろう。そんな疑問だけを残して、さっさと保健室へと戻っていく先生から少し遅れて、二人も席を立つ。
失礼しましたと誰もいない室内に一応の一礼をして、部屋を出た。
「何だったんだろ」
「分かんない。けど、私に関係あることって……うん、やっぱり分かんない」
少し考えてみても、出て来る結論は何もない。
諦めて二人して溜息を吐いて、下駄箱を目指す。
「そう言えば、今日は文芸部なかったの?」
黒のローファーを出しながら、美希が問うた。
「うん、今日は。って言っても、いつもだってあるかないのは分かんないような緩さだし」
「そこまで言われると、じゃあ何で入ってるのって聞きたくもなっちゃうよね」
「あはは、確かに」
言われてみれば、それはその通りだ。
成り行き、部活に入っているという点数稼ぎと、特にやりたいことのない汐里はそんな理由で入っている。そこに自らの意志を問われれば、それは無いに等しかった。
私、どうして文芸部を選んだのだろう。そう、心の中で考えていた時だ。
「いけない、宿題のプリント忘れて来ちゃった…!」と美希が声を上げた。
急いでいたのと緊張とで、机の中を確認してくるのをどうやら忘れていた様子。
一緒に着いて行こうか。そう提案した汐里に、しかし美希は「ごめん、ありがとう。先に帰っといて」と言い残して、再び上履きを履きなおすと、校則違反の全力ダッシュで階段を駆け上がっていった。
「白が見えてるよーっと」
『変態か』
「うわっと…! そっか、いたのね」
不意に自分の中で響いた声は、琢磨のそれだった。
色々と盛りだくさんで忘れてかけていた存在からの呼びかけに、一瞬間だけ心拍数が上がる汐里。
『ずっと居たよ。何でか視界まで共有されてるんだから、ちっとは目線にも気を付けてくれると助かるんだが』
「共有って、そんなこと言われても――」
と、そう聞くと真っ先に疑問なのは。
『どうした?』
急に固まり、口を開けたままの汐里に琢磨が尋ねた。
「と、トイレとかお風呂って、まさか――ちょ、それって大事じゃない…!」
『あー……確かに言われてみれば』
「ちょ、どうしよ……ねえ、貴方の意志で目を瞑ることって出来ないの?」
『美希って子の下着を見ない為に試して、不可能なことをたった今悟ったところだ』
「そんなっ……」
姿形は見えぬとは言え、男性だと分かっている相手に痴態を晒すことの恥ずかしさと言ったらない。これからどうしたものか、どのくらいまで続くか分からないこのままの未来を想像すると、笑えなかった。
『俺はいるようで居ない存在なんだ。忘れてくれて構わんぞ』
「構うにきまってるでしょ。裸見られるとか……小さいのに」
『論点そこなのか。なら、本当に気にする必要ないんじゃないのか?』
もっともだ。もっともだから、少し苛立った。
恥ずかしさともどかしさと諸々を詰め込んだ複雑な感情を抱きつつ、それを紛らわすように茶色のローファーに足を通して、上履きを半ば叩きつけるように下駄箱へ。
一つ弾かれた左足のそれにまた苛立ちを覚えつつ、今度は丁寧に仕舞って校舎を出た。
肩を落とす美希に代わって二人分荷物を纏めて持ち、別にどうということはないだろうと背中を押して廊下を歩く。
あの状況に於いて、ただ出していたからという理由だけで取り上げるとは考えにくい。
そこに何があるとも知れないが、そうでも無ければわざわざ取り上げて指導室まで呼び出すメリットがない。
「本当にそうかな…?」
「分かんないけどね」
「無責任発言反対…!」
一歩前に出て振り返り、両手をぶん回して憤慨する美希。いつも通りの様子に満足すると、汐里は再び美希の隣に並んだ。
再開した歩みから数分、中央棟一階奥の指導室に辿り着いた。
これから決戦にでも向かうような緊張感を以って、美希が深く深呼吸をした。
「狩られる訳でもないんだろうし、そんなに固くならなくてもいいんじゃない?」
「それは分かってるけど……うぅ、何かやだなぁこの空気。初めてだよ指導室」
「私だって。自分のことじゃないのに来てるんだから。ほら、入った入った」
「あ、ちょっとしお…!」
抵抗虚しく、二度のノックの後に返事も待たず押し込まれる美希。
僅か二メートル先では、どこぞの皇太子さまみたく足を組んで座る高橋先生の姿が見て取れた。この人がそれをすると、ただ色っぽいだけなのだが――と、空気にも負けず考えるのは琢磨だった。
扉を閉めろと言われその通りにすると、今度は机を挟んだ向かいのソファに腰掛けろと指示を出す先生それにも大人しく従い二人して腰を降ろすと、
「呼び出した理由は分からんだろ」と一言。
それは当然、スマホの件でないのなら検討も付かないのだが、しかしそれ意外に一体何がと脳をフル回転させる美希。
此度の軽率さ意外で不正を働いたことは一度もない。それはこの数日や数ヶ月といった短い期間での話ではなく、この学校に入学をしてから一度も、ということだ。何の心当たりも無い美希は、先生の言葉に首を横に振った。
すると先生は目を伏せ息を吐く。
「携帯の件は勿論なのだけれど――陸上さんも居て丁度良かった。山田さんだけでも良いかとは思ったんだけどね。実は、二人にお願いがあって呼び出したんだ」
「二人って……え、しお――汐里にも?」
「ええ。まだまだ先だけれど、文化祭があるでしょう?」
と、先生は傍らから一枚の紙を出して机の上に置いた。
この高校で毎年開催されている文化祭は、他府県からも一目見ようと人が集まる程の大規模さで有名だ。豪華絢爛、屋台や催しの数も多く、一日で全部を回るチャレンジも密かに流行っているのだとか。
そんな大仰なイベントには、当然監視員も数が必要だ。そこで実行委員が敷かれているのだが、その数が今年はまだ足りないのだとか。
文化祭全体を管轄しているのは、例年、諸々の理由で倒れて運ばれてくる人が多いことから高橋先生らしく、現時点で集まっているリストの中に、三年二組の名前がまだ一つもないのだそうだ。
「山田さんは帰宅部で陸上さんは文芸部だったかしら? だから、都合が良いって言っちゃうと聞こえが悪いのだけれど、頼めるのが貴方達しかいないのよ」
「は、はぁ……」
それならそうと、別に保健室で話しても良かったのではなかろうか。スマホは確かに美希の落ち度だったが、あの場に他には誰も居なかった訳なのだから。
先生は続けて、仕事は特にないと言い張った。準備、及び当日に『実行委員』の腕章を着けているだけで、これといって具体的に何をしろというのは無いと。
「そういうことでしたら……ねぇ?」
「うん。断ることもないかな、とは思うけど……何で呼び出しを? 本当にそれだけなんですか?」
汐里の指摘はもっともだった。
それに先生は、またも小さく息を吐いて仕切りなおした。
「公私混同がしない性質なのだけれど、こうでもないと機会がないもので」
「機会?」
「ええ。ここからは山田さん宛ての話」
「私ですか…?」
美希は自分を指さし首を傾げた。
取り立てて急ぎというわけではないのだろうが、そうならそうと重要な話ではないのだろうから、すぐに話しだしそうなものを、先生は少し考え、
「……やっぱり、今はよしましょうか。いつでも構わないし」と首を横に振った。
何が何やら。二人は顔を見合わせ、更に深く首を傾げた。
「ごめんなさいね、変なことを言って。あ、これ、携帯。返しておくわね」
「は、はぁ…」
ポケットから取り出し、渡されたそれを受け取る。
一体、何だというのだろう。そんな疑問だけを残して、さっさと保健室へと戻っていく先生から少し遅れて、二人も席を立つ。
失礼しましたと誰もいない室内に一応の一礼をして、部屋を出た。
「何だったんだろ」
「分かんない。けど、私に関係あることって……うん、やっぱり分かんない」
少し考えてみても、出て来る結論は何もない。
諦めて二人して溜息を吐いて、下駄箱を目指す。
「そう言えば、今日は文芸部なかったの?」
黒のローファーを出しながら、美希が問うた。
「うん、今日は。って言っても、いつもだってあるかないのは分かんないような緩さだし」
「そこまで言われると、じゃあ何で入ってるのって聞きたくもなっちゃうよね」
「あはは、確かに」
言われてみれば、それはその通りだ。
成り行き、部活に入っているという点数稼ぎと、特にやりたいことのない汐里はそんな理由で入っている。そこに自らの意志を問われれば、それは無いに等しかった。
私、どうして文芸部を選んだのだろう。そう、心の中で考えていた時だ。
「いけない、宿題のプリント忘れて来ちゃった…!」と美希が声を上げた。
急いでいたのと緊張とで、机の中を確認してくるのをどうやら忘れていた様子。
一緒に着いて行こうか。そう提案した汐里に、しかし美希は「ごめん、ありがとう。先に帰っといて」と言い残して、再び上履きを履きなおすと、校則違反の全力ダッシュで階段を駆け上がっていった。
「白が見えてるよーっと」
『変態か』
「うわっと…! そっか、いたのね」
不意に自分の中で響いた声は、琢磨のそれだった。
色々と盛りだくさんで忘れてかけていた存在からの呼びかけに、一瞬間だけ心拍数が上がる汐里。
『ずっと居たよ。何でか視界まで共有されてるんだから、ちっとは目線にも気を付けてくれると助かるんだが』
「共有って、そんなこと言われても――」
と、そう聞くと真っ先に疑問なのは。
『どうした?』
急に固まり、口を開けたままの汐里に琢磨が尋ねた。
「と、トイレとかお風呂って、まさか――ちょ、それって大事じゃない…!」
『あー……確かに言われてみれば』
「ちょ、どうしよ……ねえ、貴方の意志で目を瞑ることって出来ないの?」
『美希って子の下着を見ない為に試して、不可能なことをたった今悟ったところだ』
「そんなっ……」
姿形は見えぬとは言え、男性だと分かっている相手に痴態を晒すことの恥ずかしさと言ったらない。これからどうしたものか、どのくらいまで続くか分からないこのままの未来を想像すると、笑えなかった。
『俺はいるようで居ない存在なんだ。忘れてくれて構わんぞ』
「構うにきまってるでしょ。裸見られるとか……小さいのに」
『論点そこなのか。なら、本当に気にする必要ないんじゃないのか?』
もっともだ。もっともだから、少し苛立った。
恥ずかしさともどかしさと諸々を詰め込んだ複雑な感情を抱きつつ、それを紛らわすように茶色のローファーに足を通して、上履きを半ば叩きつけるように下駄箱へ。
一つ弾かれた左足のそれにまた苛立ちを覚えつつ、今度は丁寧に仕舞って校舎を出た。