しばらく歩いた先にヒマワリが咲いていた。花言葉は「愛慕」、「崇拝」、「あなただけ見つめる」。大輪と小輪でも花言葉があるようで、記憶が正しければ、小輪のヒマワリには「高貴」との花言葉もあったはずだ。七月二十日の誕生花で、その誕生日の友人が、ヒマワリの描かれたものやヒマワリを模した小物を多数持っていたのを鮮明に覚えている。わたしのラッキーフラワーなんだ、と嬉しそうに語っていた。ヒマワリの飾りがついたシャープペンシルを使っていて、授業中にボールペンをいじっているのは誰だと先生が声を荒らげたのもよく覚えている。ラッキーフラワーがアンラッキー運んできたねと直後の休み時間に言えば、彼女はわたしだってばれてないからあれは幸運だよと、得意げに笑った。何気ない会話に満ちた三年間だったが、実に満ち足りた高校生活だったと思う。
鳥の声や人々の会話、足音などの雑踏に紛れ、「おや」と声が聞こえた。男性のものだった。反射的にそちらを見ると、明るい金髪が眩く輝いていた。デニムを模した淡い青のシャツから覗く白の中心はカメラが飾っており、右肩には黒の箱のようなバッグが掛かっている。茶色と薄緑色の瞳が穏やかに細められる。「やっぱり君か。よく似た人だと思ったら」
わたしは目を開くとともに深く吸った息を、「ナオさんじゃないですか」と吐いた。
「びっくりしたあ、なにしてるんですか?」言った直後、自分に対して見ればわかるだろうと思った。
「たまにはこういうところも楽しいかなと」
「やっぱり植物、好きなんですね。カメラ得意なんですか?」
「しばらく前に手を出してみたら、はまっちゃってね」
「へええ。カメラに詳しい男性、好きですよ」
「褒めてくれてもなにも返せないよ」とナオさんは困ったように笑う。
ナオさんと歩きながら、ふと一つの花に目が留まり、「あ」と声を発した。「あの花綺麗」
「どれ?」と言う彼へ、「あの菊みたいな花」と答える。
「ダリアだね」
「あ、そうなんだ。なんか、図鑑で見たときと違う気がする」
「そう?」
「なんだろう、色味とかですかね」
「かもしれないね」
「花言葉、いっぱいあるんですよね。感謝とか清華、華麗なんかから、裏切りとか不安定とか」
「そうそう」
「一つの花にそんなにいっぱい意味込めます? 受け取った人、戸惑っちゃいますよ。どういう意味でくれたんだろうって」
「それらの花言葉には、かの有名なナポレオン・ボナパルトの妻、ジョセフィーヌのお話があるんだって」
「へええ。どんな話ですか?」
「彼女はダリアが好きだったんだって。そして、当時珍しかったそのダリアを宮殿で咲かせ、他の貴婦人を呼んでパーティを開いては、それを彼女らに自慢したんだと。ジョセフィーヌは、他人にそのダリアを求められても決して渡さなかった。そんな中、ある人物が球根を盗み、自宅の庭で花を咲かせる。そんな頃に、ジョセフィーヌは自慢するだけ自慢して、すっかりダリアに関心がなくなってしまう。そんな出来事から、移り気や裏切りとの花言葉がついたそうだよ」
「へええ。なんか、ダリアとしては悲しい話ですね」
「この話には、僕が知る限り、ジョセフィーヌがダリアにすっかり興味がなくなってしまったという形と、――球根を盗んだ人がいたでしょう」
「はい」
「それが、パーティに呼ばれていた貴婦人の一人という形があるんだ。その場合、貴婦人は、ジョセフィーヌの庭師をお金で釣って球根を手に入れて、自分の庭でダリアを咲かせる。やがてそれを知ったジョセフィーヌが庭師を解雇するっていう話になるんだ。この形で、裏切りとの花言葉がついたんだって」
「へええ、すごいなあ……」
「ジョセフィーヌはただ、珍しい花を咲かせた自分に酔っていただけなのかもしれないね」
「悲しいなあ……。ダリア、綺麗なのに」
「まあ、そのダリアも後に、美しいその姿から『華麗』とか『優雅』、『気品』なんて花言葉を身に着けてるからね」
「あ、裏切りとか移り気の後に、そういう綺麗な言葉がついたんですね?」
「そうみたいだよ」
「へええ。えっ、不安定とかは?」
「不安定は、フランス革命後の不安定な情勢に由来するみたいだよ。その頃に流行したってことで。感謝は――」なんだったかな、とナオさんは呟く。ああと声を発すると、「不安定と同じようだったかな。情勢が不安定な中に流行ったから」
「それで感謝なんですね」
「皆の癒しだったのかなと僕は考えてる」
「ああ、なるほどね」
しかしよく知っているなと心底感心しながら、ナオさんの横顔を見上げる。
「ちなみに、ダリアが日本にきたのっていつ頃なんですか?」純粋に関心が湧いたのも勿論だが、その好奇心には、ナオさんの困った顔が見てみたいというのも見え隠れしていた。
「江戸時代の末にオランダ船でわたってきたみたいだよ。その前に、メキシコで生まれ、十八世紀に『メキシカン・アスター』の名でスペインに渡り、ヨーロッパに広がったらしい」
「へええ、すごいなあ。もう、歩く植物図鑑ですね。博士みたい」
ナオさんはこちらを見ると、「なんだか良心が痛むね」と苦笑し、「僕はそんなに物知りじゃないよ」と同じように続ける。
「あ、クレマチス」
「夏咲きのものだね」
「旅人の喜び。今のわたしにぴったりな言葉です。植物園で植物に詳しいナオさんに会えるなんて」
「マリア様にまつわる話で、イエス様と旅に出て、その道中に見つけたこの花の美しさに見惚れ、しばし休憩を取ったのが花言葉の由来なんだって」
「へええ」今のわたしは、当時の聖母と同じ思いかもしれない。旅の道中、思いがけず美しいものに出会い、しばしのんびりとした時を過ごす。聖母もきっと、こう穏やかな心持ちだったのだろう。
「ナオさんの誕生花はなんでしたっけ?」
「ユーストマとゼラニウム。ゼラニウムはどこかにあるかもしれないね」
「ゼラニウムには、なにか面白い話ないんですか?」
「洗濯がどうのって……」と、ナオさんは曖昧に言う。「ああそう。ムハンマドが、ある日シャツを洗濯した後、近くにあった植物に掛けて乾かそうとしたと。すると、シャツが乾くまでの間に、その植物が赤いゼラニウムに変わってたっていう話が」
「へええ。乾かないうちに変わったんじゃあ、そのシャツはさぞいい匂いになったでしょうね」
「バラみたいな匂いだよね。紅茶とかジャムの香りづけにも使われるとか」
「あんな匂いの香水とかほしいです」
「そういうのもあるみたいだよね」
「へえ、今度探してみよう」
「精油は高級なものみたいだよ」
「え、そうなんですか」
しばらく歩いた先に、池と、そこに浮かぶ花があった。
「あの黄色い花、かわいい」簡単に描いた花のような五枚の花弁が、濡れた濃い緑の葉に載っている。
「アサザだね。花言葉は『しとやか』とか『平静』、『信頼』。どの誕生日の花でもないんだ。花弁は、ここから見たらなんともないようだけど、近くで見ると造花にも見える形なんだ。一日花で、午前中に開いて夕方に閉じる」ハート形の葉っぱもかわいいんだよと、ナオさんは楽しそうに語る。
「いつの誕生花でもない花なんてあるんですね、初めて知りました」
「準絶滅危惧種に登録されてるみたいだけど、若葉は食用にもなるんだって」
「おいしいんですかね?」
「どうだろう」僕は食べたことない、とナオさんは言う。
「あっ、あっちはハスですかね?」
ナオさんはわたしの指の先を見ると、「あれはスイレンかな」と優しく声を発した。首から下げたカメラを構え、レンズを覗く。少ししてシャッターを切る。
「え、どこでわかるんですか?」
「葉っぱの形。スイレンは葉っぱに切れ込みがあるけど、ハスはないんだ。あと、花の高さかな。あれは水面のすぐ上で咲いてるでしょう? ハスはもっと高い位置で咲くんだ」
「へえ、すごい」
「そういえば、スイレンって日中に咲いて、日が沈むと花を閉じるでしょう?」
「ほう、そうなんですね」
「それには少し悲しくも美しい話があってね」
ほう、とわたしは続きを待つ。
「遥か昔、湖のほとりにワヲタという酋領と、その恋人の美しい少女があった。少女の両親は二人の交際に反対しており、少女は煩悶した末に、湖へ身を投じてしまう。ワヲタが彼女を助けようとしたものの、その姿は消え、スイレンが咲いていた。以降そのスイレンは、ワヲタ――太陽の暖かさに花を開き、日没の頃には花を閉じるようになったという。スイレンは漢字で書くと――」
「睡眠の睡に、蓮」
「そう。そのスイレンという名も、日没の頃に眠るように花を閉じることに由来するんだって」
「へええ。なんか、素敵。本格的に台本作ったら、一本の映画作れそうじゃないですか?」
「そうだねえ。作家の翼というのは、実に容易く広がるものだから」
「自分の物語の書き方について、花火のようなものだって言った人がいた気がします。一度着火されれば、想像は一気に空へ飛び、大きく咲く。でも結構すぐに消えちゃうから、忘れないうちに制作に取り掛かるんだって」
「『三色菫』の作者かな」
「あ、そうですそうです」
「僕、あの主人公の女性の妹が好きなんだ。前向きで楽観的で、かわいかった」
「そういう女の子が好きなんですか?」
「まあ、あまり悲観的な人よりは」ナオさんは少し言葉を選ぶように間を空けて、少し笑って答えた。
「この辺りは野草だね」と、ナオさんは通路の端を見ながら言った。
「こういうのもわかるんですか?」
「ある程度はね」
「本当にすごいですね。知らないこととかないんですか?」
「なにを言う」と彼は笑う。「知らないことだらけだよ」
「それが嘘にしか聞こえないんだからすごいですよね」
「君は存外疑い深い人なんだね」
「この頃素直じゃなくなっちゃったので」と笑い返せば、ナオさんはただ穏やかに、「そうか」と笑う。一度は失いかけた素直さを取り戻しつつある、というこちらの中身がわかっているようだった。
あっ、と、わたしは足を止めた。ナオさんも足を止め、そっと横を向いたわたしの横に着く。「あの白い花かわいい。ちょっとコチョウランに似てる形の」
「ああ、トキワハゼだね。一年草で、花は基本的に四月から十月程度まで咲く。これも、いつの誕生花でもないんだ」
「へえ」いつの誕生花でもない花というのは少なくないのだろうか。
「漢字では、地名の常盤に爆発の爆って書くんだ」
「かわいい見た目して物騒な漢字当てられましたね」
「花言葉はかわいくて、『いつもと変わらぬ心』っていうんだ」
「そうなんだ」
「『常盤』は長期間花を咲かせること、『爆ぜ』は種の入った丸い実がはじけることに由来するみたいだよ」
「へええ。じゃあ、花言葉の『いつもと変わらぬ心』っていうのも、その長期間咲き続ける花に由来するんですか?」
「そうみたい」
「へええ」
植物っておもしろいですねと言うと、ナオさんは「それはよかった」と微笑む。しかし美しい人だ。絵を使って魅せる作品なら、この人を描けば登場人物は一人出来上がるだろうなどと、つまらないことを考えてしまうほどだ。
ヤブラン。漢字では藪蘭と書くその花は、どこかラベンダーにも似た形の花だった。ヤブランという名前は、藪に自生し、蘭に似た葉を持つことに由来するらしい。一日花で、花言葉は「忍耐」、「謙遜」、「隠された心」。薄暗い木々の下で凛々しく咲くことから、忍耐や謙遜との言葉がつけられ、葉の間に隠れるように咲くその紫色の花の姿に由来するという。八月十二日や九月二十日の誕生花。
クサノオウ。湿疹を治すということで瘡の王と名付けられた、茎や葉を切ると黄橙色の汁を出すことから草の黄と名付けられたなど、諸説あるらしい。一年草で、花言葉は「わたしを見つめて」。鮮やかな黄色の美しい花姿からつけられたのではないかという。七月二十六日の誕生花らしい。
他にいつの誕生花でもない花として、ジシバリやヘラオオバコ、身近な植物からは、パプリカやイグサ、サトイモ、ゴマを教えてもらった。
ジシバリは、漢字では地縛りと書くらしく、見た目はタンポポにも似ており、色も黄色だという。どこかしらで見たことがあるはずだと言われたときには、そのような花も見たことがないこともないように感じられたが、その花姿をはっきりと思い出す、思い浮かべることはできなかった。
名前の由来は、分岐した茎が地面を這って育つ様が、地面を縛っていくように見えることにあるという。別名にはイワニガという名前があるようで、それはニガナという植物の仲間で、岩の上に生えることに由来するという。
花言葉は「束縛」、「人知れぬ努力」。束縛の方は花名に由来し、人知れぬ努力は、少しでも土があれば岩の上にも自生し、美しく花を咲かせることに由来するのではないかという。
ヘラオオバコは、漢字では箆大葉子と書くという。葉が箆の形に似ているオオバコというのが由来。オオバコは、大きな葉の形からきているという。花言葉は「惑わせないで」、「素直な心」。長い花穂の周りに、花弁のように風に揺れるおしべの様から、惑わせないでとの花言葉がついたという。素直な心は、まっすぐに伸びた茎の先で、おしべが風に花粉を乗せる様に由来するのではないかとのことだった。
パプリカはナス科の一年草で、梅雨から初夏にかけて白い花を咲かせるという。その鮮やかな黄や赤、オレンジ色の実は、わたしの家ではカレーの彩りに添えられる。
花言葉は「君を忘れない」。これには諸説あるというが、アステカ神話に登場するチャンティコという火の女神の話が関係しているのではないかとも考えられているという。チャンティコは、火山やお竈などの火を司る火の女神であり、彼女はあるとき、食の掟――パプリカと焼き魚を食べること――を破ってしまったという。それに怒った食の神であるトナカテクトリは、罰としてチャンティコを犬の姿に変えてしまった、という話だ。
他、かの有名なコロンブスに関する話もあるという。コロンブスが旅先より持ち帰ったトウガラシの仲間であるピーマンを品種改良し、パプリカが生まれた、という話だ。
花言葉は他にも、「同情」や「憐み」もあるという。
イグサは漢字では藺草と書き、畳や座布団、枕などに姿を変え、生活のそばにある植物だ。五月から九月に、黄緑色から淡い褐色の花を咲かせるという。果実の大きさなど、それぞれの特徴を持ったものがあるという。
燈心草とも呼ばれるらしく、それは昔、油で明かりをとっていた頃に花茎の髄を燈心に使っていたことに由来するという。花言葉は「従順」だが、その由来やそれに関する話は、ナオさんもよく覚えていないという。
サトイモの花言葉は「繁栄」や「無垢の喜び」、「愛のきらめき」。子孫繁栄を表す縁起物として、古くより祝い事に使われていたという。繁栄という花言葉も、一つの親芋から子芋、孫芋――とたくさんの芋ができることからついたという。花は黄色で、八月から九月に咲くという。
ゴマは、古代エジプト、プトレマイオス朝の女王であるクレオパトラも愛用したという最古の植物油であるという。七月から八月に咲く、朝顔に似ていなくもないという花には、「救護」という言葉がついているという。中国の薬物書、「神農本草経」に不老長寿の秘薬と記され、遠い昔に栄養食として重宝されたその豊富な栄養成分などからつけられたのではないかという。
花の色には白と淡いピンク色があり、白は白ゴマ、淡いピンク色は黒ゴマである場合が多いという。ちなみに、ゴマと聞いて想像するあの小さな粒は、その植物の種だという。
横に並んで緩やかな一歩を繰り返し、ナオさんの穏やかな声を聴きながら、彼の膨大な知識のこの極一部を、わたしはこれから何分頭に残しておけるだろうと複雑な心持ちになった。
「君、売店の方には行った?」ナオさんが言った。
「ええ、行きましたよ。休憩に」
「そうか。お土産買う予定はある?」
「あー……特に考えてはいなかったですけど。ナオさん買います?」
「そうしようかなと」
「いいじゃないですか。じゃあ、わたしもちょっと見ようかな」
売店へ向かう途中、「誰に買うんですか?」と、何気なく問うた。「友達と弟に」とナオさんは答えた。
「へえ、弟さんいるんですか」
「ああ、双子の」
「へええ」
「小さい頃はしょっちゅう間違われて、それぞれイニシャルのアルファベットの小物を持ったり、イメージカラー作ったりして」
「ナオさんは何色だったんですか?」
「黄緑」
「へえ」目の色と同じだ、と思った。
「弟は紫だった。まあ紫と言っても淡いものだったから、藤色という方が相応しいかな」
「へええ。そんなに似てるんですか?」
「個人的には、弟の方が柔らかい雰囲気持ってると思ってたけどね」
「ナオさんはとげとげしてたんですか?」
「まあ小学校低学年くらいの頃は大きな差もなかったろうけど」
「そうなんですね」
「弟の方が純粋な感じ」
「褒め言葉ですか?」
「褒め言葉褒め言葉」とナオさんは笑う。「嫌味じゃないよ」
なんていうのかな、と続ける。「素直なんだ、すごく」
「ナオさんは素直じゃないんですか?」
「いいや、そんなこともないよ」
もう脱皮したからと言う彼へ脱皮ってなんですかと笑いながら食い気味に返すと、彼も同じように笑った。