兄が素敵だと感じる女子生徒を知ったのもまた、高校三年のときのことであった。彼女を知るきっかけとなったのは部活動だった。兄は植物全般に関する知識を深めることを活動内容とした植物部の他、茶湯部にも所属していた。活動は週に一度で、それも植物部の活動がない曜日にあり、掛け持ちは決して難しくなかった。茶湯に関しては、知識はほとんど、経験はさっぱりあらず、双方が欲しいと考えて入部した。

 茶湯部の部室へ向かう途中、校内の出来事を綴った紙を並べた壁の前を通る。彼女の存在はそこで知った。新体操部の紙に、彼女の名は刻まれていた。上の名は中野、下の名は楓とあった。中野楓は頻繁に新体操部内で功績を収めているらしかった。少し前にも大会で輝いたという。

 茶湯部の部活内容は簡単なもので、和服に身を包んだ女性に、茶室での作法やその行儀について学ぶというものだ。女性は、年齢は六十代後半程度に見受けられた。そうはいっても、若々しく麗しいそれだ。漆黒の髪の毛を綺麗にまとめ上げ、細い目は吊り上がっている。化粧は薄く、短く切り揃えられた爪に紅は塗られていない。

 入部する前の、茶湯――茶道についての知識は、かつては男性の世界だったということくらいであった。チャトウと聞いてもぴんとこず、なんのことかさえわからなかった。調べてみると茶道の元の呼び方らしかった。茶湯の他、茶の湯とも呼ばれていたらしい。入部してから知ったことは、茶湯が抹茶を使うものに限らず、江戸時代より煎茶を使う煎茶道なるものもあるということだ。主に急須を使って、煎茶や玉露をいただくらしい。

煎茶と玉露に関しては、煎茶は上級で七十度ほど、中級で八十度から九十度の湯で一分から二分抽出し、甘み、苦み、渋みの調和がとれたものが良いとされていること、玉露は、五十度から六十度で二分、上級玉露の場合は四十度ほどで二分半抽出するのが良いとされていることくらいしか兄は知らない。