そのような訳で、太田川は、一森に会えるという天国と、一森の羞恥心のせいで授業中に急激な尿意に襲われるという地獄の、両方を常に味わっていた。
(尿意が何だってんだ! 周りに笑われるのが何だってんだ! 一森さんに会えるんだから、そのくらいどうってことないさ!)
学校からの帰り道、往路と違ってゆっくりと自転車を漕ぎながら、太田川はそんな事を考えていた。
何せ、母親を除けば、誰かに対してきちんと恋に落ちたのは、これが初めてなのだ。
(明日も、一森さんに会える! 楽しみだな~)
通行人たちの羞恥心を感じ取り不意打ち尿意に苛まれる事はあるものの、時間内に学校に辿り着かなくてはならないという往路のプレッシャーも無く、授業中のようなトイレダッシュに対する嘲笑なども勿論無いため、復路の太田川はかなり気が緩んでいる。
(帰りなら、仮に恥ずかしい気持ちになっている人がいても、時間を気にせず近くのコンビニに駆け込めば良いだけだし)
(ただ、あの橋の近くだけは、近くにコンビニが無いから、要注意だけど。まぁ、あの辺は人通りも少ないし、大丈夫だろうけど)
太田川の双眸が、市内を流れる川に掛かる橋を捉えた直後――
「うっ!」
(何だ……これ……!? こんな強烈なの……初めてだ……!)
生まれて初めて感じる、尋常ではない尿意に、思わず急ブレーキを掛ける。
尿意の大きさは、感じ取る羞恥心の大きさに比例するのだが、これほど大きな羞恥心を感じるのは初めてのことだった。
見ると、橋の中央に誰かが佇んでいる。
(この異常な羞恥心……あの女の人からだ! くそっ! この辺コンビニ無いのに! これはヤバい! とてもじゃないけど、最寄りのコンビニまで持たない!)
黒ワンピースに身を包んだ黒髪ロングの女性は、虚ろな表情で眼下の川面を覗いていた。
女性は、自分自身に対して、恥ずかしい気持ちを感じていた。
ああ、私はなんて恥ずかしい存在なのだろう。
不細工な私。ああ、恥ずかしい。
三十路でやっと出来た生まれて初めての彼氏――結婚を考えていた彼にも振られた。ああ、恥ずかしい。
仕事もクビになった。ああ、恥ずかしい。
私には生きる価値もない。生きていることが恥ずかしい。
そう思い詰め、じっと橋の上から川を見詰めて、入水自殺をしようとしている女性の羞恥心を感じた太田川は――
「うわああああああああ!」
――河川敷の土手を勢いよく転がっていた。
否、ほんの一瞬前までは、
(近くにコンビニは無いし、こうなったら橋の下で立小便をしよう!)
と思い、歯を食い縛りながら、土手を走って下りていたのだ。
が、途中で転けてしまったのだった。
高速で回る世界に、ただただ悲鳴を上げ続ける事しか出来ない太田川は、そのまま川に着水して――
(あっ)
ブルブルッ。
最悪の事態に見舞われ――
「うわ~! くそー! 間に合わなかった~! 漏らしちゃったよ、ションベン! まさかこの年で漏らすなんて! 情けない! ぐすっ」
と、鼻水を垂らし、涙目になる。
どうやら小便を漏らしたらしい全身ずぶ濡れで鼻水を垂らし涙目の少年を見た女性は――
「……私、あの子に比べたら、まだマシかも……」
そう呟くと、自殺を思い止まり、少し前向きな気持ちになって、スタスタと帰って行った。
女性が立ち去った後。
「くそっ! 何が“あの子に比べたら、まだマシかも”だよ! 誰のせいでこんな目に遭ったと思ってるん……だ……!?」
自転車を置いた土手の上の方を振り返った太田川が、ふと、橋の上に視線を移すと――
「あっ!」
「え!?」
目が合った。
橋の上でしゃがんで、土手の下を覗き込んでいる一森と。
一森は慌てて、おたおたと、傍に置いておいたらしいピンク色の可愛らしい自転車に跨ると、走り去って行った。
(終わった……僕が漏らした所、見られた……僕の恋は、終わった……)
太田川は、ただただ川の中に呆然と立ち尽くしていた。
(尿意が何だってんだ! 周りに笑われるのが何だってんだ! 一森さんに会えるんだから、そのくらいどうってことないさ!)
学校からの帰り道、往路と違ってゆっくりと自転車を漕ぎながら、太田川はそんな事を考えていた。
何せ、母親を除けば、誰かに対してきちんと恋に落ちたのは、これが初めてなのだ。
(明日も、一森さんに会える! 楽しみだな~)
通行人たちの羞恥心を感じ取り不意打ち尿意に苛まれる事はあるものの、時間内に学校に辿り着かなくてはならないという往路のプレッシャーも無く、授業中のようなトイレダッシュに対する嘲笑なども勿論無いため、復路の太田川はかなり気が緩んでいる。
(帰りなら、仮に恥ずかしい気持ちになっている人がいても、時間を気にせず近くのコンビニに駆け込めば良いだけだし)
(ただ、あの橋の近くだけは、近くにコンビニが無いから、要注意だけど。まぁ、あの辺は人通りも少ないし、大丈夫だろうけど)
太田川の双眸が、市内を流れる川に掛かる橋を捉えた直後――
「うっ!」
(何だ……これ……!? こんな強烈なの……初めてだ……!)
生まれて初めて感じる、尋常ではない尿意に、思わず急ブレーキを掛ける。
尿意の大きさは、感じ取る羞恥心の大きさに比例するのだが、これほど大きな羞恥心を感じるのは初めてのことだった。
見ると、橋の中央に誰かが佇んでいる。
(この異常な羞恥心……あの女の人からだ! くそっ! この辺コンビニ無いのに! これはヤバい! とてもじゃないけど、最寄りのコンビニまで持たない!)
黒ワンピースに身を包んだ黒髪ロングの女性は、虚ろな表情で眼下の川面を覗いていた。
女性は、自分自身に対して、恥ずかしい気持ちを感じていた。
ああ、私はなんて恥ずかしい存在なのだろう。
不細工な私。ああ、恥ずかしい。
三十路でやっと出来た生まれて初めての彼氏――結婚を考えていた彼にも振られた。ああ、恥ずかしい。
仕事もクビになった。ああ、恥ずかしい。
私には生きる価値もない。生きていることが恥ずかしい。
そう思い詰め、じっと橋の上から川を見詰めて、入水自殺をしようとしている女性の羞恥心を感じた太田川は――
「うわああああああああ!」
――河川敷の土手を勢いよく転がっていた。
否、ほんの一瞬前までは、
(近くにコンビニは無いし、こうなったら橋の下で立小便をしよう!)
と思い、歯を食い縛りながら、土手を走って下りていたのだ。
が、途中で転けてしまったのだった。
高速で回る世界に、ただただ悲鳴を上げ続ける事しか出来ない太田川は、そのまま川に着水して――
(あっ)
ブルブルッ。
最悪の事態に見舞われ――
「うわ~! くそー! 間に合わなかった~! 漏らしちゃったよ、ションベン! まさかこの年で漏らすなんて! 情けない! ぐすっ」
と、鼻水を垂らし、涙目になる。
どうやら小便を漏らしたらしい全身ずぶ濡れで鼻水を垂らし涙目の少年を見た女性は――
「……私、あの子に比べたら、まだマシかも……」
そう呟くと、自殺を思い止まり、少し前向きな気持ちになって、スタスタと帰って行った。
女性が立ち去った後。
「くそっ! 何が“あの子に比べたら、まだマシかも”だよ! 誰のせいでこんな目に遭ったと思ってるん……だ……!?」
自転車を置いた土手の上の方を振り返った太田川が、ふと、橋の上に視線を移すと――
「あっ!」
「え!?」
目が合った。
橋の上でしゃがんで、土手の下を覗き込んでいる一森と。
一森は慌てて、おたおたと、傍に置いておいたらしいピンク色の可愛らしい自転車に跨ると、走り去って行った。
(終わった……僕が漏らした所、見られた……僕の恋は、終わった……)
太田川は、ただただ川の中に呆然と立ち尽くしていた。