「これで満足か」
　同前が投げやりに言う。彼はおもむろに布団を捲る。するとそこには白いヘッドホンがあった。君は何かをこらえるように唇を噛んでいた。
「俺の今までは、全部設定だったってことか」
「いや、今のお前のその言動は違う。お前はすねこすりでも猫又でもない、新しい誰かだ」
「……」
　君は無言で立ち上がって、静かに部屋から出ていった。私は彼を睨んだが、彼は苦々しく笑う。
「お前だって、外見があいつでも中身が知らないやつだったら嫌だろ」
　私は何も言い返せなくて、部屋から出て君を追いかけた。しかし喫茶同前のどこにも君はいなかったが外に出て自転車を走らせるとすぐに見つかった。海を見ながら、君は堤防に座っていた。
「…俺はどうしたらいいんだろう」
　私は隣に座って、一緒になって海を見る。
「蜂谷のことを忘れた俺は、前までの俺だった。何にも考えずに、ただ設定に沿って生きる悪夢だったけど、今は違う。人間じゃないけど、今は意志を持った人なんだ」
　君は突然頭を抱えた。
「呼ばないでくれよ…頼むからもう…」
　彼の体は、彼の意思に反して立ち上がる。そして白いヒーロースーツに身を包んだ。
「すねこすりみたいに勇敢じゃない。強くも優しくもない俺は誰にも必要とされてない。もう俺はきっと前みたいに戦えない。悪魔の前に飛び出る勇気なんかない。でもそんな役立たずなすねこすりがいたら大勢が死ぬだろ。だから俺は消えるべきなんだ。でも、怖いんだ。やっと見つけた自分の意思なのに、全部がなかったことになるんだ」
「猫又くん」
　私は今にもどこかへ飛んで行きそうな君の手をつかんで引き寄せた。
「私は君を必要としてるよ。私はすねこすりじゃなくて君に救われたんだよ。覚えてないの？君はすねこすりとしてじゃなくて、君として私を引き上げたんでしょう。私はすねこすりじゃない、君に命を貰ったんだよ」
　君はメットを外すと、私を抱きしめた。子供みたいに泣いていた。
「蜂谷、蜂谷は、蜂谷だけは俺のこと覚えててほしいんだ。他の誰でもなく俺がここで生きたこと、ずうっと覚えててほしい」
「当たり前だよ。君を忘れるなんて一生ありえない」
「ありがとう」
　しばらく泣いた後で、君は体を離して、鼻をすすりながら、にこりと笑った。
「お前は俺の世界の中心で、俺のかみさまだったよ」
　太陽でも月でもない、その柔らかくて幼くて、年相応の少年の笑顔が眩しかった。私の目から涙が落ちる。
「さようなら」
　君はそう言って、濁った海へと、ゆっくりと落ちていった。