良太さんは私や出雲の御家族のことを想うあまりに、写真であろうと特攻機の道づれにはできなかったのだ。良太さんは写真を持って行く代わりに、私が作った造花を身につけて行かれた。私の匂いをしみこませ、良太さんと初めて結ばれた日に渡したあの造花。
 出撃の二日前に書かれた手紙には、おわりの部分に歌が記されていた。その歌を千鶴は心のなかで読みかえした。
  枯るるなき造花に勝る花ありや愛しき人の香ぞしのばるる
 三鷹での良太との一夜が思い出された。良太への想いがわきおこり、千鶴の胸を満たした。良太さんはこの写真や造花を見ながら私を想い、あのことを思い出されたのだ。あのことは、三鷹で一夜を共にしたことは、良太さんのためにもほんとうに良かったという気がする。明け方の光のなかで眺めた良太さんの寝顔は、とても安らかで幸せそうだった。寝顔に触っていると眼を覚まされ、私の手をにぎって笑顔を見せられた。
 写真の良太と千鶴は微笑んでいる。千鶴は写真に眼をとめたまま、心のなかの良太に告げた。「写真のあなたを見るたびに、千鶴よ幸せになれとの声を聞く想いがします。もう少し時間をくださいね。あなたを忘れることはできなくても、そのうちいつか、あなたから離れて生きられるようになりますから。そうなることを、あなたが望んでおいでなのだから」
「靖国神社のことだけど、俺はこれまでのようには参拝できないと思うんだ」
 忠之のとうとつな言葉に千鶴は応えた。「出雲からではたいへんですものね。私はこれまで通りに行くつもりですけど」
「私はまだ参拝していないから、兄さんには申し訳なくて」
「いいんじゃないかしら。良太さんは神社の中に閉じこもるかわりに、宇宙を自由に飛びまわっておいでだもの。岡さんと靖国神社に行ったのは、良太さんの願いをかなえてあげたいからよ」
「このまま日本の復興に勢いがつけば、過去をふり返らずに、前ばかり見て走りそうな気がするんだ。そうなると、戦死者と遺族に眼が向かなくなって、良太の願いを叶えることが難しくなるかも知れない。だから、遺族の思いを世間に見せ続けるために、去年から千鶴さんと靖国神社に行ってるんだが、もしかすると、あの世で良太は怒っているかも知れないな、国民に戦死を名誉として受け入れさせ、進んで国に命を捧げるように仕向けた神社ではないかと」
「私もそんな記事を読みましたけど、戦前の私たちはそんなふうには考えなかったでしょう。兄さんも戦前の考え方のままに戦死したんだと思いますよ。そんな戦死者の気持を思ってのことでしょうね、たくさんの遺族が今でも靖国神社に格別な感情をもつのは」
「靖国の英霊にされたことを、良太がほんとはどう思っているのか分からないが、靖国神社だけでなく、他にも大きな墓標が必要だと思っていたことは確かだ。戦没者しか祀らない靖国神社とちがって、原爆や空襲の犠牲者なども含めた、すべての戦争犠牲者を追悼するための墓標だよ、良太がノートに書き遺したのは」
 忠之が続けた。「その墓標は単なる墓標じゃなくて、国家が国民に愛国心を要求するようなときには、いったいどんなことが起こり得るのか、そのことを学ぶための墓標でもあるんだ」
「私たちはいやと言うほど学んだけど、将来の日本人のためには必要だわね、そのことを学ぶためのものが」
「政治を見張っていないとどんなことが起こるか、私たちは身をもって学んだけど、そういうことを伝えるための象徴にもなりますよ、その墓標は」
「ほんとにそうね。良太さんが望まれた墓標には、象徴としての役割があるわね。戦争で苦しんだ私たちがいなくなった将来にも、二度と戦争をしてはならないと教え続けるための象徴」
「あの戦争を永久に忘れないための象徴になるだけでなく、国民のあり方を戒めるための象徴にもなるわけだよ。言論の自由を奪われていたにしろ、新聞や雑誌は権力の代弁者になってはいけなかったんだ。もうひとつ反省すべきは、戦前の日本人には付和雷同しやすい傾向があって、自分の頭でしっかり考えず、周りの声に影響されるような者が多かったということだと思うんだ。そんな俺たちがゆだんしているうちに、まさかと思っていた戦争になってしまった。軍部が暴走してあんなことになったと言うが、それを許したのは国民だったし、軍部を支持する国民も多かったんだ。俺にしたところで、今になって偉そうなことを言える立場にはないけど」
「悔しいわね。誰もがしっかり考えて、正しいことに勇気を出していたなら、あんな国にはならなかったでしょうし、あんな戦争も起きなかったでしょうに」
「そうだよ。もっと知恵と勇気を持つべきだったと思うよ、言論の自由を奪われてしまう前に。戦争を防げなかったことを、俺たちは心の底から悔やんでいるわけだが、将来の日本人にそんな思いをさせないためにも、あの戦争をふり返るための象徴を作るべきだよ」