谷田部で訓練にはげんでいる良太たちのもとに、東京に加えられた無差別爆撃の様相が伝わってきた。千鶴たちの安否が気づかわれたが、良太にそれをたしかめる手段はなく、不安と焦慮のうちに過ごすしかなかった。
 良太たちはアメリカに対する憎しみを語った。焼夷弾による無差別爆撃が、いかなる結果をもたらすかを承知のうえで、アメリカは庶民の居住地域に対して、残虐きわまりない爆撃を加えたのだ。アメリカのこの爆撃は、史上最大の残虐行為と言えるのではないか。そのようにアメリカの蛮行を憤った良太たちであったが、日本が中国の重慶に対して、無差別爆撃を繰り返していたことに、まったく想いが及ばなかった。
 大空襲から一週間ほどたった日の午後、良太は面会人の来訪をつげられ、指定された建物に向かった。
 面会室には忠之がいた。良太は胸がおどった。忠之は無事だったのだ。ということは、千鶴と母親も無事だったということではないか。
 忠之が伝えた。浅井家は焼失したけれども、千鶴と母親は無事であり、三軒茶屋に移っていること。忠之自身は三鷹の農家のはなれを借りて、そこから工場に通っていること。
「よかったよ、みんなが無事で。東京が全滅したみたいな話が伝わってきたから、お前たちがどうなったのか心配で、気が気じゃなかったんだ」
「全滅したようなもんだな。あの焼け跡を見たら、誰だってそんな気分になるだろう。本郷の辺りも焼けたが、上野から東の方はほとんど焼きつくされてしまった」
 東京の真っ赤な空が思いだされた。千鶴や忠之たちはよくぞ助かってくれたものだ。
「ありがとうな、忠之。わざわざ報せに来てくれて。皆が無事だとわかったから、俺も安心してがんばれるよ」
「千鶴さんの動員先も焼けたから、当分は、千恵ちゃんと一緒に農業奉仕をするそうだ」
「お前が働いている工場は大丈夫か。真っ先に狙われそうな気がするんだが」
「いずれはやられるだろうが、今はどこに居たって同じことだよ。それよりも、お前の方はどうなんだ」忠之が声をひそめて言った。「特攻の訓練をさせられていても、特攻隊で出てゆくとは限らないと言ったよな」
「このまま戦争が続けば、いずれは出撃することになると思う」
「千鶴さんにはいつ知らせるつもりだ」
「千鶴には知らせない。俺が特攻隊だと知ったら、今のうちから、出撃しないうちから悲しませることになる。そんなことにはしたくないよ」
「俺はな良太、お前が特攻隊だと知らせてくれて、むしろ良かったと思ってるんだ」と忠之が言った。「何も知らないでいるよりも、特攻隊員と承知してお前と向き合っていた方がいい。千鶴さんが俺と同じように受けとるかどうか、俺にも自信はないけど、思いきって知らせた方がいいような気がするんだ、特攻隊のことを」
 受け入れ難い意見だったが、良太は忠之の声と表情にうながされ、忠之の言葉が意味するところを考えた。特攻要員であることを伝えたならば、今のうちから千鶴を悲しませることになる。悲しんでいる千鶴を想像しながら訓練をつづけることに、俺は耐えられそうにない。とはいえ、特攻隊員であることを隠していては、千鶴に思うところを伝えきれないかも知れない。もしかするとそのために、俺だけでなく、千鶴にも悔を残す結果となりはしないだろうか。そんなことにはしたくない。俺には間もなく出撃する可能性があるけれども、千鶴はそれからさらに数十年を生きてゆくのだ。これから数カ月の間を余分に悲しませることになろうと、特攻隊のことを知らせたうえで千鶴と向き合い、互いに思い残すことがないようにしておくべきではないか。
「俺が出撃することになっても、千鶴はまだ何十年も生きてゆくわけだから、お前が言うように、ほんとのことを知らせたうえで、千鶴を励ましておくべきかも知れないな、こうしてまだ生きているうちに」と良太は言った。
「お前が特攻隊員だとわかっていたら、千鶴さんはそのつもりでお前と向き合えるわけだが、何も知らないままお前に戦死されたら、千鶴さんには悔いが残るかも知れないよ」
 忠之の言う通りだという気がする。ここは忠之にまかせよう、と良太は思った。忠之なら間違いのないやり方で、俺のことを千鶴に伝えてくれるだろう。
「ありがとうな、忠之。お前のやり方で千鶴に伝えてくれないか、特攻隊のことを」
「千鶴さんには明日のうちに会えると思う。どんなふうに伝えたら良いのか、これからしっかり考えて、ここでお前に面会したことや特攻隊のことを話すよ」
 良太は机ごしに忠之の手をにぎり、「ありがとうな、忠之、たのむぞ」と言った。