6月の中旬、アメリカ軍のサイパン島上陸作戦が始まった。守備隊の苦境は新聞などで報じられたが、さしたる救援もなされないまま、守備隊と在留邦人たちは見殺しにされる結果となった。
戦局が逼迫しつつあることは明白であったが、国民には実情を知らされることがなく、戦意高揚にむけた言葉のみが声高に叫ばれた。7月18日には東条英樹陸軍大将の内閣が総辞職し、あとを小磯陸軍大将が継いだけれども、日本のおかれている状況は悪くなるばかりだった。
7月に単独飛行を許されるレベルに達した良太たちは、つづいて特殊飛行の訓練を受けることになり、霞が浦の空を赤トンボで飛ぶ日々がつづいた。
オレンジ色の赤トンボで訓練に励んでいたのは、飛行科予備学生だけではなかった。一般には予科練と呼ばれる海軍飛行予科の練習生たちが、同じように激しい訓練に立ち向かっていた。15歳になれば志願できるということもあり、飛行訓練に励む予科練生たちはまだ少年だった。所属する隊が異なるとはいえ、良太はその少年たちと競い合うようにして訓練に励んだ。
よく晴れていたその日、良太は宙返りの練習をした。筑波山にむかって飛んでいると、伝声管を通して教官の声が聞こえた。「同じ要領でもういちどやれ」
ようやく会得した要領で宙返りに挑むと、今度もどうやらうまくいった。水平飛行にうつると教官の声が聞こえた。「筑波山ヨーソロー」
良太は筑波山に進路をとったまま、教官からの指示を待った。見まわすと、入道雲を背にして飛ぶ赤トンボが見えた。
外出が許されるとき、機会があれば良太はひそかに浅井家を訪ねた。外出許可が取り消されたために、予告通りに訪問できなくなることもあったが、谷田部で中間練習機教程の訓練を受けている間に、浅井家を四度も訪ねることができた。時間に追われながらの逢瀬だったが、良太と千鶴にはかけがえのないひとときだった。
千鶴は上野駅に向かう良太についてゆき、不忍池の近くで別れをつげた。良太は途中で必ず振り返り、手をふってから道の角をまがった。千鶴は次の逢瀬を想いながら家路についた。
サイパン島につづいて、テニアン島とグアム島の守備隊が玉砕する結果となった。良太の胸中に、アメリカに対する敵愾心が噴きあげてきた。その敵愾心が良太に軍人としての意欲を高め、訓練にたちむかう忍耐力を与えた。海軍に入団して以来の教育と訓練が、そして危機に瀕している祖国の姿が、さらには悲憤の涙をもって聞かされた友軍の悲劇が、軍人としての使命を自覚すべく強く迫った。軍には批判すべきところがあろうと、軍の目指すところを信じてその命令に従い、与えられた任務を通して祖国を救うこと。良太が進むべき道はひとつしかなかった。
良太たちの専門分野が決められたのは9月の中旬だった。良太は戦闘機搭乗員としての訓練を受けるために、茨城県の鹿島灘に面した神ノ池航空隊に移ることになった。谷田部と同じ茨城県にある海軍の航空隊ではあっても、そこから浅井家を訪ねることはできそうになかった。
9月28日、良太たち戦闘機組の120名は神ノ池航空隊に移った。
良太たちは練習用戦闘機での訓練にとりかかったが、しばらくたつと飛行訓練はままならなくなった。訓練に必要なガソリンが欠乏しつつあった。
太平洋の島々で玉砕があいつぎ、極度に不利な状況に追い込まれていた日本にとって、フィリピンは死守すべき防衛線の中核だった。10月の半ば過ぎに至って、そのフィリピンに、大輸送船団を擁するアメリカ軍が迫った。その上陸を断固阻止するために、日本はついに特攻隊を出撃させた。
フィリピンで神風特別攻撃隊が出撃した数日後、その事実を知って良太は慄然とした。爆弾を抱えた戦闘機もろとも、敵の艦に体当たりしたのだ。こんなことがあっていいのだろうか。日本はついにここまで追い込まれ、そのような戦術をとらざるを得なくなったということか。それにしても何たる戦術であろうか。出撃したその特攻隊には、学徒出身の予備士官も加わっているらしい。どんな想いを抱いて出撃したのだろうか。
特攻隊が大きな戦果をあげたからには、このような攻撃方法がさらに採用される可能性がある。戦争が長びいたなら、俺が特攻隊で出撃することすらあり得るのではないか。
戦争がさらに1年も続けば、搭乗員の俺は戦死を避け得ないだろう。どうせ戦死するのであれば、大きな戦果をあげて死にたいものだが、特攻隊として出撃するよう求められたとき、俺はそれに応じることができるだろうか。
特攻には大きな戦果が期待できるだけでなく、特攻隊員として戦死すれば、あれほどの名誉が与えられるのだ。搭乗員はいずれ戦死する運命にあるのだから、戦況によっては、積極的に特攻隊を志願する者すらありそうな気がする。
それにしても、と良太は思った。すでに制空権と制海権をともに奪われており、石油や鉄などの資源を確保できる見込みはなさそうだ。それどころか、今では食料すらも不足するに至った。このままでは国民が生きてゆくことすらままならなくなりそうだ。燃料が不足しているので、俺たちはまともな訓練を受けることもできない。いかに多くの特攻隊を出撃させたところで、この戦争に勝てるはずがない。国を動かしている軍の高官たちは、そのことを明確に認識しているはず。速やかに終えるべきこの戦争を、いったいいつまで続けるつもりだろうか。
神ノ池航空隊に移って2か月も経たない11月に、良太は120名の仲間と共にもとの谷田部航空隊にもどされた。神ノ池航空隊が桜花部隊の訓練基地になったためである。
桜花は人間が操縦するロケット推進機であり、爆撃機の胴体下部から発進できるように作られた、体当たり攻撃のための専用機であった。そのような特攻専用の兵器として、ほかにも人間魚雷などが開発されつつあったが、良太たちにその情報が伝わることはなかった。
11月24日、東京はアメリカの大型爆撃機B29による大規模な空襲をうけた。攻撃目標とされたのは、軍用機の製造工場だった。
東京をはじめとする大きな都市は、B29にる空襲を頻繁に受けるようになったが、日本は有効な対抗手段をとることができず、爆撃による被害が急速に拡大していった。
12月に入ってまもなく、良太は外出できる機会を得たが、訪問の予告ができないままに浅井家を訪ねることになった。
浅井家では良太の訪問を喜んでくれたが、予想していたことではあっても、千鶴と忠之の不在が良太を落胆させた。良太は千鶴と忠之に置き手紙を残すことにした。
良太は千鶴の母親にすすめられるまま、借りた用具を持って書斎に入り、千鶴の机で手紙を書いた。花瓶にはサザンカが活けられていた。
良太は2枚の手紙を書き終えると、首をまわして書棚に眼をむけた。棚の空いている所に、いくつかの花束らしいものが並べてあった。
書棚の前まで来てみると、花束に見えたものは造花であった。バラと芍薬それに沈丁花の造花が、それぞれ数本ずつに束ねられ、造花の材料とともに置かれていた。
良太は棚から造花をつかみだし、思わずそれを鼻に近づけた。香りを想像させるほど、それはみごとな沈丁花であった。千鶴がこれを作ったとは。千鶴は作り方をいつおぼえたのだろうか。千鶴はどういうつもりでこれを作ったのだろうか。
良太は千鶴への手紙に文字を加えた。
〈みごとな造花を見たら欲しくなった。勝手なことをしてすまないけれど、沈丁花の造花をもらいたい。一番小さいのをもらって帽子の内側に取り付けるつもりだ。〉
良太はまもなく浅井家を出て東京大学へ向かった。前年の秋に千鶴と訪れて以来の訪問だった。
良太は構内を見まわってから、講義をうけた建物の中に入った。誰もいない講義室の椅子に腰をおろすと、そこで受けた講義が遠い昔のことのように思いだされた。
良太は図書館の閲覧室に入り、学生時代に愛用した閲覧卓の椅子に腰をおろした。そこは窓際で明るく、書物を読むのに最もよい場所だった。
読書にうちこんでいた頃を思い返しつつ、良太は窓の外に眼をやった。出征がきまった前年の秋、そこから見た木は葉をまとっていたが、今は細い枝を通して遠くが見えた。
図書館に入ってきた教官らしい人物が、軍服姿の良太に訝しげな眼をむけた。良太は机の上から帽子をつかんで立ちあがり、静かな足どりで図書館をでた。時間にゆとりはあったけれども、大学をあとにして上野駅へむかった。
不忍池を通りすぎて曲がり角にさしかかったとき、良太はうしろをふり返ってみた。初冬の街の道のかなたに、街路樹が葉を落とした姿で立っていた。
その夜、千鶴は書斎で日記をつけた。
〈………良太さんは少し痩せられたらしいが、元気そうに見えたとのことだから心配はなさそう。良太さんは楽しそうに戦闘機のことを話されたとのこと。良太さんはどんな気持ちでがんばっておいでだろうか。
良太さんは沈丁花の造花を持ってゆかれた。とても嬉しいけれど、帽子の内側につけることができるだろうか。〉
千鶴は棚の造花に眼をやりながら、それを作ったときを思いかえした。友だちに作り方を教えてもらい、最初にバラを作った。バラがうまくできたので、沈丁花と芍薬も作ることにした。沈丁花と芍薬はよく知っているけれども、できるだけ上手に作りたいので、学校の図書室から植物図鑑を借りた。あの沈丁花は、自分でも驚くほどにうまく作れた。その一本が、いまは良太さんの帽子におさまっている。
忠之が帰ってきたらしく、戸が閉まる音が聞こえた。書斎に時計はなかったが、時刻はすでに十時に近いはずだった。
千鶴は忠之あての置き手紙を持って、暗い廊下を忠之の部屋へ向かった。窓から見えるどの家も、空襲に備えた灯火管制を守っており、明かりはひとつも見えなかった。
千鶴は忠之に手紙をわたすとすぐに書斎にもどり、ノートに日記のつづきを書いた。
〈良太さんが岡さんに書き残された手紙を、帰られたばかりの岡さんに渡した。今日も岡さんは帰りが遅かった。あんなにしてまで働いて岡さんは大丈夫だろうか。私は丈夫なほうだと思っていたのに、一日中忙しく働いているととても疲れる。今日は良太さんがこの椅子で手紙を書いてくださったのだから、今夜はいい夢を見ることができそうな気がする。良太さんにもいい夢を見てもらいたい。〉
千鶴は書斎を出ると庭を見おろした。良太が見たはずのサザンカは闇にまぎれて、白い花すらほとんど見えなかった。
ガソリンの欠乏が良太たちの訓練を滞らせて、操縦技術の修得は進まなかったが、昭和19年の12月25日に、良太たちは海軍少尉に任官された。職業軍人ではないために、海軍予備少尉と呼ばれる階級だった。少尉に任官されたとはいえ、良太たちはまだ訓練を受ける身であり、それ以降は飛行特習学生と称されることになった。
まだ小学生だった頃の良太は、大将や大佐などの高級軍人に対して敬意をおぼえ、憧れに似た感情を抱いていた。そのような感情を抱くように仕向ける社会環境のもとでは、むしろそれが当然であったが、中学校で数年を過ごすうちに、そのような感情はすっかり消えた。性格が軍人に向いているとは思えなかったし、何よりも軍人という職業に興味を抱けなかった。
そのような良太ではあったが、少尉になれたことを素直に喜べた。喜んでくれる者たちの顔がうかんだ。外出に際しては、何も惧れることなく浅井家を訪れ、千鶴に会うことができるようになった。
良太は温習時間を利用して、家族などにあてた数枚のはがきを書いた。千鶴へのはがきをしめくくる言葉は、〈できれば今すぐチーズとパイナップルを味わいたい〉となった。それを読んでいる千鶴を想像すると、思わず微笑がこぼれた。
「森山、森山少尉」向い側の席から佐山が声をかけてきた。「そのはがきの相手はメッチェンだろう。貴様の顔を見ればわかるぞ」
良太はあわてて答えた。「メッチェンといっても、いとこなんだ。心配をかけていたから、任官したことを報せようと思ってな」
「うらやましいぞ、森山、そんな相手がいるとはな」佐山が笑顔で言った。「俺にもそんないとこがほしいもんだよ」
任官についての感想を記そうと思い、良太はノートをとりだした。
最初に開いたノートは土浦で買ったものであり、良太が戦死するような事態となれば、家族に遺すことになる日記であった。
良太は思うところを記しおえると、布袋から別のノートをとりだした。舞鶴海兵団に入ってから使い続けている日記帳であり、表紙裏には千鶴が記してくれた言葉があった。任官されての所感はそのノートにも記したかった。
B29による空襲は続いた。浅井家の様子が気がかりではあったが、良太にはどうすることもできず、ただその安全を祈ることしかできなかった。
第5章 昭和20年春
昭和20年の元旦、良太は仲間とともに整列し、年初の訓辞に耳をかたむけた。
良太は思った、自分が正月を迎えるのはこれがおそらく最後であろう。燃料不足のために訓練すらままならないが、搭乗員が不足していることを思えば、実戦に参加する日も遠くはないという気がする。未熟な技量のままに戦う空中戦に勝ち目はない。
その夜、良太はノートに元日の所感を記した。
〈………元日なれども外出できず、浅井家を訪問することあたわず。午後は雑談と読書に時間を費やし、今この所感を記す。………〉
気がつくと、元日らしからぬ暗い文章をつづっていた。
良太はひとりの海軍士官として、命じられるままに行動し、命じられるままに戦うことしかできない立場にあった。それでは、と良太は思った。国を導く立場にある者たちはいかにすべきか。戦争を継続すれば国はどこまでも荒廃してゆくだろう。彼らは真にとるべき方策をとっているのだろうか。
新しく迎えた年を意義あるものにしたくとも、良太自身にできることはなく、年頭の所感であろうと希望に満ちた文章は書けなかった。良太は短い文章を書き加えたノートを布袋に入れると、かわりに文庫本をとりだした。
浅井家では全員が無事に新しい年を迎えた。わずかとはいえ餅が配給されたので、浅井家の家族と忠之は、その餅でいっしょに正月を祝った。
それから間もなく、千鶴の祖父母と千恵は本郷を去り、渋谷からかなり西方に位置する三軒茶屋に移った。千鶴の祖母の実家であって、空襲の虞がない場所だった。
空襲を受ける虞れはあったけれども、千鶴は本郷の家に残ることにした。良太と会うためにも、動員先の製薬会社へ通うためにも、本郷を離れたくなかった。広い家で暮らすのは、千鶴と母親そして忠之の3人になった。
空襲に際して大切な品を持ちだすために、リュックサックがふたつ用意してあり、水筒と菓子、さらには写真や位牌などが入っていた。千鶴はそのひとつに、日記のノートや良太からのはがきも入れていた。どんなことがあろうと、失ってはならない品々だった。
1月に入ってまもなく良太は外出許可を得た。すぐに浅井家に電報をうち、訪問する予定の日時をつたえた。
その日、良太は歩きなれた道を浅井家に向かった。道の角を曲がると、不忍池の近くに女が見えた。街路樹の下に立っているのは千鶴にちがいなかった。
もんぺ姿の千鶴がかけだした。下駄の音が聞こえる。良太はおもわず足を速めた。
千鶴の声が聞こえた。「お帰りなさい、良太さん」
良太は手をあげて応えた。
走ってきた千鶴が、息をきらしながら良太に笑顔をむけた。
「あい変わらず元気だな、千鶴は」
「もちろん元気。B29が来たって敗けやしないわ」
「頼もしいじゃないか。元気な千鶴がいるから安心だよな、お母さんも」
「岡さんも居てくださるしね。きょうは岡さんも家で待ってらっしゃるわよ」
「久しぶりだな、忠之と会うのも」
「私のはがき見たでしょ」と千鶴が言った。「お祖父ちゃんたちが三軒茶屋に移ったから、家に残ってるのは3人だけなの。千恵も三軒茶屋だから」
「周りは畑だと書いてあったけど、そんな場所なら安心だな」
「ここは危ないから、お母さんと私はもんぺのままで寝るのよ」と千鶴が言った。
浅井家の居間で千鶴の母親をまじえて語りあってから、良太は忠之とふたりで2階の部屋に移った。
良太は森山家の将来について率直に語った。良太が戦死するようなことになったとき、弟妹たちが最も頼りにできるのは忠之だった。
良太の用件がおわると、忠之が電探すなわちレーダーの開発状況を語った。
忠之が言った。「まさかとは思うけど、こんな話を聞いたぞ。陸軍と海軍は、電探の開発では協力し合うどころか、足を引っ張り合っているというんだよ」
「兵学校を出た連中は、軍人精神が足りないからと、おれたち予備士官を殴るんだが、お前の話がほんとなら、軍人精神が欠如しているどころか、反逆罪を犯しているようなものだな」
「兵学校や士官学校などで鍛えられた奴は、植えつけられた価値観と、教えこまれた知識の範囲でしか考えることができないからだろうな。俺が聞いた話がほんとなら」
「そんな連中が国まで動かすようになって、あげくの果てがこのありさまだ」
「今となっては軍人に任せるしかないから、東条の後をついだのも軍人の小磯國昭だ。軍人が政治に口を出し始めたときに抑えなかったから、いま頃付けが回ってきたんだよ」
「オニカンノンみたいなひとはいくらでも居たはずだし、その意見に賛同する者だってずいぶん居たはずなのに、そういう人は非国民呼ばわりされたんだからな」
「国を護る専門家の軍人が、専門外の政治をにぎって、ほんとに日本のことを考えるべき人間は、出番が無くなったということだよ」
「残念ながら、まともな政治家の出番が無い国だよな、この国は」
「さらに言うなら、国民にも責任があるわけだよ。軍部の思うままに引きずられて、ここまで来たんだからな。戦争にはならんだろうと思っているうちに戦争になり、今ではこのていたらくだ」
「軍部に引きずられたと言うけど、くやしいことに、軍を支持した日本人も多かったじゃないか。オニカンノンみたいなひとを責めていた連中は、今ごろどんな気持ちだろうな」
千鶴の声が聞こえた。「お食事の用意ができましたけど、お話はまだかしら」
その声に応じて、良太と忠之は下の部屋に移った。千鶴と母親が心をこめて用意したものとはいえ、戦時下のわびしい昼食だった。
日曜日にもかかわらず、忠之には大学での打ち合せに出席する予定があり、食事がおわると間もなく出かけることになった。
「真空管の試作が議題だけど、俺はまだ連絡係みたいなもんだよ」と忠之が言った。
大学へでかける忠之を見送ってから、良太は千鶴といっしょに書斎に移り、並んで腰をおろした。
千鶴は机のうえから良太の帽子をとりあげ、その内側を見ながら言った。「こんなふうに付けたのね、この造花」
「造花にはかわいそうだけど、そんなには傷まないだろ、そこに付けると」
千鶴が帽子を顔に近づけて、「この帽子、良太さんの匂いがする」と言った。
千鶴に腕をまわすと、千鶴は帽子を机に戻してもたれかかってきた。良太は千鶴の髪をかきあげて、眼を閉じている顔をながめた。千鶴は痩せたようだ。乏しい食料に耐えながら、千鶴は動員先の会社でがんばっているのだ。すべての老幼男女が歯をくいしばり、空腹に耐えながらがんばっている。それが今の日本の姿だ。
千鶴が眼を閉じたまま、つぶやくように「良太さん」と言った。良太は千鶴の顔を見ながら抱きよせた。
書斎でのひとときを過ごしたふたりは、いっしょに家を出て上野駅に向かった。
不忍池を通り過ぎてしばらく進むと、道の曲がり角で千鶴が立ちどまり、歩いてきた道をふり返った。
「ここだわね、良太さんがふり返って手をふったのは。私はあの樹のところから、良太さんが見えなくなるまで見送ったんだわ」
良太は千鶴の笑顔を見て、もう少し先まで千鶴といっしょに歩こうと思った。ふたりでいるところを、仲間に見せたくはなかったのだが、それよりむしろ、千鶴の気持を重んじたかった。
空襲に備えた建物疎開が街並を変えていたけれども、その街では多くの庶民が日々の生活を営んでいた。行き交う人と家並を見ていると、空襲時の有り様が思いやられた。
この辺りで千鶴と別れようと思っていると声が聞こえた。「よお、森山少尉」
いつのまに現れたのか、道のむこうがわに佐山がいた。
「ちょっとあいつと話してくる」と言いおいて、良太は佐山に近づいた。
「メッチェンと並んでいる軍服が、どうやら貴様らしいと思ったから、安藤たちと離れて来てみたんだが、やっぱりだな、貴様にはメッチェンがいたじゃないか」と佐山が言った。
「俺が下宿していた家のひとだ。話題にされたくないから他の者には黙っていてくれ」
「心配するな。発車時刻を確認してきてやるから、あのひとと、この辺りで待ってろ」
佐山が千鶴に声をかけた。「森山少尉の友人で佐山といいます。よろしく」
千鶴は声をださないまま、ていねいに頭をさげた。
足早に去って行く佐山を見送ってから、良太は千鶴のそばにもどった。
「海軍で俺がいちばん信頼している男なんだ。発車時刻が予定通りかどうか、駅で調べてきてくれるから、このまま、ここで待っていよう」
「もしも列車が遅れたら、どうなるかしら」
「空襲や故障で少しくらい遅れても大丈夫だよ。千鶴と会うときにも、そのための余裕を見てあるから」
しばらく待つと佐山がもどってきて、列車が支障なく運行されていることを伝えた。時間にゆとりができたので、ふたりは不忍池のあたりを散策することにした。
それからひと月の間に、良太は浅井家を2度訪れた。電報で訪問を予告しておいたので、千鶴には2度とも会うことができたが、忠之には1度しか会えなかった。工場が空襲に備えて分散したことにより、忠之の負担はさらに重くなっていた。
良太と千鶴は書斎でのひとときを過ごすと、つれだって上野駅へ向かった。ふたりが逢瀬を重ねている間にも、戦局は大きく推移して、一段と厳しいものになった。
2月20日の朝、良太たち120名の少尉は講堂に集められた。
訓辞を述べようとする飛行長に、良太は緊迫したものを感じた。その緊迫感は飛行長の訓辞にひきつがれ、良太に強い緊張をもたらした。
「ただ今より」飛行長の声が変わった。「特別攻撃隊員を募る」
良太は飛行長を凝視したまま、心の中で声をあげた。「ついに来たのだ。俺はどうしたらよいのだ」
飛行長の言葉はつづいた。学徒出身の少尉たちは身をかたくして、特攻隊への志願をもとめる声に聞きいった。
特攻隊への志願。命にかかわる決断でありながら、そのために与えられた時間は少なく、回答期限はその日の正午とされた。
良太は渡された紙片を凝視した。そこには回答として選択すべき言葉が三つ記されていた。〈熱望〉〈希望〉〈希望せず〉。家庭環境について問う項目もあったが、良太は志望の有無を問う文字から眼を離せなかった。
想いの底に沈んでいた良太は、眼をあけて教室の中を見まわした。仲間の多くが椅子に腰かけたまま、それぞれの姿勢で考えている。静まりかえった教室に椅子を動かす音が聞こえた。仲間のひとりが教室から出てゆく。どこへ行こうとしているのだろうか。いつの間にか、かなりの者が部屋を出ている。気持ちを静めて考えるには、場所を変えてみるのも良さそうだ。
良太は椅子をひいて腰をあげると、紙片をポケットに入れて教室を出た。
海軍では迅速な行動をもとめられ、歩くにしても常に速足であったが、良太は学生時代と変わらぬ足取りで飛行場に向かった。
良太は歩きながら思った。来るべきものがついに来たのだ。敵の飛行機と戦って戦死する運命にあった俺たちは、飛行機もろとも敵艦に体当たりして死ぬことになった。とはいえ、特攻隊を志願しなければ、生きて還れる可能性が無くはない。いや、それは無い。俺たちが生きて還れる可能性はないのだ。グラマンF6Fなどアメリカの新鋭戦闘機は、零戦を上回る性能を備えているようだし、その搭乗員は充分な訓練を積んでいるはず。訓練すらまともに受けることができない俺たちは、特攻隊に志願しなかったにしても、いずれは戦死する運命にあるのだ。
枯れた芝生を踏んで歩くと、斐伊川の堤防が思い出された。堤防で忠之たちと凧上げをしたのは、小学校の5年生か6年生の頃だった。冬の出雲は風が冷たく、遊んでいるとすっかり体が冷えた。体を暖めるため、忠之たちと枯れ草の河川敷や堤防を走った。
冷たい風が吹きすぎた。良太は我にかえった。良太はあたりを見回した。誰かが枯草の上に寝そべっている。遠くのほうで腰をおろしているふたりも、同じ隊の仲間にちがいない。
良太は芝生のうえに腰をおろした。仰向けになると、真上にひとかたまりの白い雲があった。その雲は良太の足の方向へ流れていた。
良太は流れる雲を見ながら、人は死んだらどうなるのだろうと思った。霊魂なるものが死後にも残っているらしいことは、遠縁のお婆さんの存在を通して知っている。あのひとは死んだ人の霊魂を呼びだし、死者の想いを聞きだすことができた。俺は非科学的なものとしてそれを否定していたのだが、あのできごとがあってからは、霊魂の実在を信じるようになった。あのひとは、死んだ者しか知らなかったことを、霊を通して聞きだすことができた。そのようなことが幾度もあったのだから、あれは決して単なる偶然のことでも、まぐれ当たりでもなかった。
霊魂はたしかに存在するはずだが、いまの科学では説明することも、その存在を証明することもできない。それどころか、現在の科学知識によれば、死んだ人間の霊魂が実在することなどあり得ないことになる。だが、俺はその存在を知っている。それでは、死んでからの俺は霊魂として、どのような存在になるのだろうか。俺の魂はどこへ行くのだろうか。それとも、行きたい所に自由に行くことができるのだろうか。
遠くで誰かがどなっている。良太は我にかえった。急いで結論をだし、調査用紙に回答を記入しなければならない。良太は体を起こして膝をかかえた。
俺がこうして悩んでいるのはなぜだろう。死にたくないからだ。なぜ死にたくはないのか。恐しいからだ。死んでも霊魂は残るのだから、恐れなくともよいではないか。俺にはやりたいことや、やらねばならないことがある。まだ死にたくはない。それどころか、俺は死んではならないのだ。もしも俺が死んだら、家族や千鶴が悲しむことになる。そうなのだ、俺が死んだら悲しむ者たちを悲しませたくないのだ。俺は死にたくないし、死んではならないのだ。
俺が死んだら千鶴はどうなるだろう。死んでしまえば悲しむ千鶴を慰めてやることもできない。俺は死んではならず、生き残るための努力を怠ってはならない。俺の生還をひたすらに願っている者たちがいるのだ。確実に戦死するような道を選んではならない。たとえ俺たちが特攻出撃をしたところで、この戦争に勝てる見込みはまったく無い。国が危急存亡の岐路にあろうと、無駄に死ぬわけにはいかない。
良太は特攻隊を志願しないことにした。そのように思い定めて眼をあけると、雲間からの陽射しがまぶしく飛びこんできた。
体がすっかり冷えていた。立ちあがって辺りを見まわすと、枯草の上にはまだふたりほど残っていた。
良太は歩きながらポケットから紙片をとりだし、そこに記されている文字を眺めた。〈熱望〉〈希望〉〈希望せず〉
良太は思った。俺は希望しないが、そのように回答した俺を、航空隊はどのように処遇することだろう。飛行長の言葉には志願を迫るひびきがあった。特攻隊を志願しないとすれば、冷たく扱われることを覚悟しなければなるまい。
良太は不安に襲われた。志願しても特攻隊員に選ばれるとはかぎらないが、志願を拒絶したなら、生還を望めない役割を与えられるのではないか。そうだとすれば、志願した方がよいのではないか。
良太は歩みを止めて、紙片に記されている文字をあらためて見つめた。〈希望せず〉を選んだところで、戦闘機乗りの自分が生き残ることは難しいはず。そうであろうと俺は志願しないが、仲間たちはどのように回答するのだろうか。希望しないと回答するにも勇気を要す。厳しい処遇を覚悟し、周囲の眼にも耐える勇気だ。もしかすると、かなりの者が、不本意ながらも〈希望〉を選ぶかも知れない。その一方で、すすんで志願する者も少なくないという気がする。フィリピンでの特攻出撃を知らされたとき、機会があれば特攻隊を志願するつもりだと、興奮しつつ語った仲間が幾人もいた。中には、敗北は必定と思いながらも、救国の念にかられて志願する者もいるような気がする。そのような殉国行為を無駄なものと言えるだろうか。そうであっては断じてならぬ。特攻隊員の戦死を無駄にしてたまるか。特攻出撃が無意味なものであろうはずがない。このまま敗けてしまうわけにはいかない。たとえ敗けるにしても、日本と日本人を残さねばならない。
戦争に負けても日本を残すこと。そのためには、敵国に日本人の愛国心の強さを見せつけなければならない。その役割をはたすものこそ特攻隊ではないか。多くの特攻隊が出撃することによって示せるではないか、日本人は祖国を限りなく愛しているゆえに、国家の危急存亡に臨めば自らの命を捧げ、自分たちの祖国を護りきろうとするのだ、と。
飛行場をふり返ると、枯れた芝生に腰をおろしている仲間が見えた。冷たい冬の芝生のうえで、二人の仲間は彫像のごとく固まっていた。良太はその姿を見てうしろめたさを覚えた。自分が安易に卑怯な結論を出したような気がした。
良太は芝生に腰をおろした。仲間のひとりが立ちあがり、建物に向かって歩いていった。良太は膝をかかえて眼をとじた。
敗戦国としての日本を思えば、特攻隊の出撃には大きな意義がありそうだ。多くの特攻隊が出撃していたならば、戦後の処理にあたる戦勝国とて、日本人の愛国心を無視することはできないだろう。そうであるなら、我々のはたすべき役割は特攻出撃にあるのではないか。特攻機を操縦できるのは、おれたち操縦員しかいないのだ。このことに気がついたからには、おれは特攻隊に志願すべきではないか。隊の仲間たち全てにそれは言えることだが、仲間たちはどのように考えているのだろうか。
良太は眼をひらき、辺りを見まわした。芝生のうえには良太しか残っていなかった。
極めてわずかとはいえ、生還できる可能性のある道を選ぶか、それとも敗戦後の日本に再建の芽を残すべく、この国に命をささげる道を選ぶか、俺はいま、それを決めようとしている。死にたくないゆえに特攻隊を志願せず、しかも運よく生き残った場合、俺はどんな人生を送るだろうか。亡国阻止のための出撃を避けたことを悔い、負い目を抱えて生きてゆくような気がする。
良太はなおしばらく考えてから、ようやくにして答を出した。良太は腰をあげ、教室のある建物に向かった。
教室に入ってみると誰もいなかった。教卓に積みあげられた回答用紙が、仲間たちの多くがすでに回答していることを教えた。
良太は椅子に腰をおろして、回答用紙に眼をおとした。家族や千鶴たちの顔が次々にうかんだ。先ほど俺は特攻隊を志願することにしたのに、ここに座ったら迷いがある。俺は優柔不断に過ぎるだろうか。
良太は立ちあがり、〈熱望する〉という文字に印をつけた。これでよいのだ、と良太は思った。熟慮のうえで決断したのだ。志願するからには〈熱望する〉と答えたい。とにもかくにもこれで終わった。これでよいのだ。
志願しても特攻要員に指名されるとは限らなかったが、運命は既に決したような気がした。
良太は回答用紙を持って教壇に向かった。机のうえには回答用紙が積み重なっている。一番上に置かれた用紙には、〈熱望する〉に印がつけられている。そのことが良太に安堵感に似た感情をもたらした。
良太は靴音をおさえて教室をでた。威勢よく歩くことがためらわれるほどに、誰もいない教室は静寂だった。
その夜、良太は日記をつけることにして、家族に残すためのノートをとり出した。その頃は週に一回程度しか書かない日記だったが、特攻隊を志願したその日は、言葉を遺すべき重大な日であった。
良太はノートを見ながら思った。俺は家族や千鶴の願望を裏切ったのだ。俺が特攻隊を志願し、それによって戦死したと知ったら、遺された者たちの悲しみはいかばかりだろうか。このノートには、志願した事実を記さぬほうが良さそうだ。
とはいえ、と良太は思った。特攻隊員として出撃するに至るまでの日記に、隊員に選ばれた経緯が記されていなかったなら、遺された者たちはどう思うだろうか。悲嘆に沈むにとどまらず、釈然としない気持ちを抱き続けるような気がする。
ペンを手にしたまま、良太は学生舎の中を見まわした。訓練を共にしてきた仲間たちが、さまざまな姿を見せていた。肩をならべて話しあっている者。ひとりで静かに読書している者。ペンをとって何かを書きつけている者。特攻隊への志望調査が行なわれた日でありながら、書物に眼を通している者がいる。何を読んでいるのだろうか。このような日だからこそ読みたい書物があるのかも知れない。いずれにしても、ここに居る仲間たちのだれもが、つらくて厳しい選択をせまられ、そして決断したのだ。
良太が耳にしたところでは、熱望すると回答した者が多かったという。その者たちに良太は共感をおぼえた。その回答をなすまでに、彼らは何を思ったことだろう。あそこで何かを記している仲間は、家族の願いに対する裏切りを悔いつつ、重いペンを運んでいるのかも知れない。それとも、勇を鼓して志願した自らを誇りつつ、遺すべき言葉を記しているのだろうか。おれは敗戦後の日本を破滅から救うべく、勇を鼓して志願した。おれは日本と日本人のために、家族や千鶴のために志願したのだ。千鶴との約束を破ることになったとしても、千鶴は許してくれるにちがいない。家族の者たちも理解してくれるにちがいない。
良太はノートにペンをおろした。
〈午前九時、第十四期生講堂に集合。飛行長より訓辞。米軍ついに硫黄島に迫る。皇国まさに危急存亡のとき、格別なる戦術によらずんば戦勢の挽回も困難な状況に至った。お前たちに殉国の至誠を望む。熱弁は我々に特攻隊への志願を求める言葉に続いた。
飛行場の枯草に座し、存亡の危機に瀕したる皇国の未来に想いを致す。戦争の帰するところに拘わらず、将来にわたって日本を存続せしめ、日本民族の繁栄を確かなものとしなければならない。求められるはまさに殉国の至誠。応えざるべからず。〉
良太は書き終えた文字を眺めながら思った。今日という日の日記のために、最もふさわしい言葉を書けたような気がする。そうは思いながらも、書くべきことがまだ漏れているような気がした。こんな言葉を書いたけれども、思い悩んだ末にくだした決断は、ほんとうにおれの本心から出たものであろうか。飛行場の芝生のうえで、おれはたしかに懼れていたではないか、志願を避けたら受けるであろう厳しい処遇を。とはいえ、〈将来にわたって日本を存続せしめ、日本民族の繁栄を確かなものとしなければならない〉と記したこの言葉に、いささかたりとも偽りはない。今はこれでよしとしよう。
いずれにしても、と良太は思った。たとえ特攻要員に選ばれることになっても、出撃するまでには日数があるはず。それまでに、書くべきことを書けばよいのだ、家族のために残す適切な言葉を。
良太はもう一冊のノートを開いた。千鶴に遺すそのノートには、先ほどと同じような文章を記したあとに、数行ほどの文字を加えた。
2日後の2月22日、良太たちは指揮所の前に集合させられた。
特攻隊の編成に関する説明があり、特攻隊要員が指名されていった。身じろぎもしないで整列している良太の耳を、飛行長の声が鋭く刺した。良太は身体を硬直させてしばし呆然となり、呆然としたまま思った。俺は特攻隊員になった。
母親の後ろ姿が思いうかんだ。台所で食事の用意をしているときの姿であった。さらにつぎの瞬間、良太は千鶴のことを想った。俺が特攻隊要員に指名されたことを知ったら、千鶴はどんな想いをいだき、どんな態度にでることだろう。
良太に与えられようとしている任務はいかにも重いものであったが、それにもまして良太にのしかかってきたのは、良太の戦死を悲しむ者たちの存在だった。
良太にとって、日記が極めて重要な意味を持つものとなった。適切な言葉を遺すことによって、自分の戦死が家族や千鶴たちに与える悲しみを、可能な限り和らげること。とにもかくにも、そのことに心をくだかねばならなかった。
良太たちは航空隊の学生舎に居住していたが、特攻隊要員に指名された者たちは士官舎に移された。
それまで受けていた訓練は、戦闘機による空中戦を想定したものであったが、特攻隊要員となったいま、その訓練は戦闘機もろとも敵艦に体当りするためのものに変わった。乏しい燃料を優先的につかって、零戦すなわち零式艦上戦闘機を用いた訓練がはじまった。死ぬことを前提とした目的のために、良太たち特攻隊要員は訓練に全力をつくした。世界の歴史にかつて見られなかったそのような訓練が、日本の各所で、さらには朝鮮や台湾などにおかれた基地でも行なわれていた。
3月に入るとすぐに外出許可がだされて、良太は4日の日曜日に外出できることになった。そのことを知った良太は、明け方に見た夢を思い起こした。
夢のなかで、良太は千鶴の机の前に立っていた。机のうえには一対のひな人形が飾ってあり、水仙の花をさした花瓶があった。台座に載せられた人形のうしろには、模型の屏風がおかれている。人形は色彩豊かな衣装をまとっており、台座のふちと屏風は金色に輝いている。
眼がさめてから、良太は夢に見た情景を思いかえした。あたかも実際に書斎を訪れた記憶を思いかえしているかのように、千鶴の机の情景が鮮やかに思い出された。それはたしかに夢であったが、目覚めてからも鮮明な記憶として残る不思議な夢だった。
日曜日には外出できると知って、良太は直感的に思った。あの書斎にはひな人形が飾ってあるにちがいない。千鶴の母校を訪れる前にも不思議な夢を見た。けさ見た夢も、あれと同じように不思議な夢だった。日曜日にはあの書斎でひな人形を見ることになろう。
その夜、良太は千鶴に渡すことにしている日記のノートをだして、その裏表紙に夢で見た情景を描いた。
そのあと、良太は浅井家に持ってゆく品物をそろえた。非常食として役立つはずの菓子の包と、最後のページまで使いきった2冊のノートであった。